TOPトーク教師📕言葉を整える、思考の時間#327 <単著執筆企画>成田さんとコラボ放送! 言葉にできる子とは、「言葉を更新し続けられる子」である1:05:30 7月29日 205再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「言葉にできる子」の真の意味とは外国語教育が目指す「話したい」情動思考を深める「言葉の更新」の過程教師が育む「言葉にできる」4つの条件「自分の世界を豊かにする」学習の視点AI文字起こし(β版) # おはようございます、 おはようございます。言葉を整える思考の時間、パーソナリティの藤井海です。 この番組では教室で見つけた学びを出発点に、仕事や子育て、日々のコミュニケーションにもつながる、考えるヒントをお届けしたいなと思っております。 チャンネルのフォローやいいねもぜひよろしくお願いいたします。 # めっちゃ良かった!!! はいおはようございます7月29日水曜日皆様いかがお過ごしでしょうか さあ本当にあの夏休みも早くも19%20%弱が過ぎたということで 昨日子供たちに グーグルクラスルームで配信したところでしたアビ共感としていましたが さあまあねえっとぼちぼち夏休みもねぇ 過ぎていくところで昨日成田さんと 短中執筆企画のコラボ放送させていただきました やっぱりね成田さんとは本当にずっと言葉をもとに なんでしょう外国語と国語教育が似ているようで 違うところもあるよねとかやっぱりでもここは根本一緒よねっていうところが本当に 成田さんとはお話が合うというか楽しくて で今回も絶対聞いてみたいと思ってて実現しました でちょっとね えっとまあ話の中身は聞いていただけたらと思うんですけども 1時間また例年あのいつも通り喋ってますんで1.5倍速で聞いてもらえたら嬉しいなっていう ところとやっぱり自分自身の考えをアップデートするには 頭フル回転させて自分で喋らなあかんなとつくづく思う 今日この頃なんですけども今日は本当にそれを感じたそんな日でした はいということでアーカイブを聞いていただければなというふうに思いますどうぞよろしくお願いします # 成田さんと単著執筆企画対談! はいということで改めまして皆さんこんばんは 今日は成田さんにお越しいただいて 僕がですね現在執筆している探聴の 言葉にできる子が育つ教室で先生がしていること 過去仮と連動したインタビュー企画させていただこうと思います 成田さんよろしくお願いします よろしくお願いします よろしくお願いします ちょっとね今先ほど話にも出てましたけど 熊本県の地震もありますので もちろん現地とか近くにいらっしゃる方とかは リアルタイムは聞いてはらないとは思うんですけど 何卒安全な場所でですね 今後に備えながら 情報には注意していただいて 皆さんも行動いただければと思いますので 皆さんどうぞよろしくお願いします はいということで この本ではですね子どもが 言葉にできるようになることを 単純にその子の語彙力とか 性格とかそういう発表する力の問題じゃなくて 教師がどんな問いを置くのかとか どんな風に聞くのかみたいな 教室の側から考えようとしているので 今まで3人の方とお話をさせてもらったんですけど 田辺くん越中屋くんで小崎さんと 3人と話していく中で 自分自身で本を書き切るんじゃなくて いろんな先生方と対話しながら 言葉にできる子が育つ教室って何かって 思ってる中で やっぱり成田さんとはずっと 言葉の話を 彼これボイシー始めてからもそうですけど ずっといろいろお話しさせてもらって 本当に成田さんの言語化というか 言葉にされる言葉 表される言葉に 僕はいろいろ助けられてきたし 学ばせてもらってきたしっていうところで 成田さんの教室と 外国語教育の そのいろいろな知見と一緒に 今回はお話できたらなと思っているんですが そんな固い固い話よりも 本当にめちゃくちゃ楽しみでした よろしくお願いします 軽く自己紹介お願いしていいですか 神奈川県の公立小学校で 教員をしております成田ジュニアと申します 専門は小学校外国語で 本書いたりね SNSで発信したり ボイシーやったりしています 藤井くんとは LBSでの仲間でもあり キャンパサーなどの仲間でもありっていうところで 仲良くさせていただいております よろしくお願いします 本当にね 国語と外国語ということで 違う教科ですけど どっちもすでに知ってる言葉を 正しく使うだけじゃなくて 相手に伝えるとか 言い換えるとか伝わらない中で もう一回自分の言葉を探す教科だと思うので そういうところを 成田さんもちろんね AIとか翻訳みたいなところも含めて 外国語教育っていうのを 考えておられるわけですけど ちょっとなんか僕一個だけ 今までお話も聞いてきたんで 僕はなんとなく解像度高いんですけど 成田さんいつも 僕中学校高校って今進んでる中で 英語の授業は見てきたんですけど 外国語教育じゃないですか その英語ではなくて 外国語教育ってやっぱり 言ってはるところが 僕はすごく素敵やなと思って なんかそのあたりの なんで外国語教育っていうのか みたいなところをちょっと お聞きしたいなと思ってたんですけど これはもう自分がずっと こだわっているところだね とかくさん日本において 外国語って言ったら 英語ってなっちゃうんだけれども いやそんなことないよねっていう話で それは外国語っていう言葉に こだわってるからこそ っていうのもあるんだけどね 英語以外にも当然 他の言語もあるわけで 今でも日本の中で義務教育を通して 学ぶ言語って言って 他に多分選択肢がまずないんだよね 基本的に 確かに 基本的に選択肢はない 高校の中で一部 選択性の高台 外国語を選べるところも あったりするけれども 本当に極めて少数だね 日本人にとってみると もう外国語教育って 英語しかないっていう状況なわけですよね だけど いろいろ日本の 内なる国際化って言われて 日本にいっぱい来てる 外国人の中で 英語話したって何パーセントか 1割ぐらいしかいないわけですよ 今はそうですよね 圧倒的に中国とかベトナムとかフィリピンとか っていう方が多いわけで そうなった時に 本当に英語だけやってれば ハッピーなんかっていうところが 気にしている 意識しているところなんですよね そこに来てAI翻訳ですよ これが来ちゃったことによって なお一層その思いは強くなっちゃって 実用面だけ言ってたら もはや 学べば 国際交流できるみたいな その発想が 成立しないよねって だから母語で 国際交流できちゃう時代になってるわけですよ 今 そうなってくると しかも英語 身近の近くにいる外国人が 英語話者じゃないってことを 現実と照らし合わせると ますます 英語だけでいいの? っていう話になってくるわけですよね 私は最終的に子供が どの言語に花開くかっていうのは それぞれが決めていいと思ってるし それこそ中国人の彼女ができたら 中国語学ぶでしょ フランスの文学が読みたかったら フランスの哲学とかに行きたかったら フランス語絶対学ぶじゃん それなのに あなたは大学で就職で 英語で試験されるから 英語しか学びませんみたいな それって本当に 学習者の立場に立ってる? ってなってくると すごく違和感があるわけですよね そうですね 確かに確かに 一方で英語が すごい便利な言語であるってことも 認める部分ではあるから だから英語ってことは学びつつ 入り口として学びつつも それはもう外国語を学ぶ 入り口に過ぎないと そういう位置づけで英語を学ぶ って言うんだったらいいんじゃない? っていう感じで 私としては英語以外の選択肢が 存在するんだっていうことを できるだけ小学生の段階から 伝えておいてあげたいなって思いが すごくあるんですよね だからもう外国語っていう言い方に こだわってるっていう いやーなんか 僕やっぱ印象 今のお話も含めてですけど 印象的なのが テントウムシの話 レディバグの話 懐かしいね あれがやっぱ僕すごく印象残ってて 漢字、中国語に置き換えて 漢字で表すとこうだけど なんでレディバグなの?みたいな話 やっぱそこって 言語っていうものに興味を持つ 本当入り口になってると思うし やっぱそこは 国語科の中で 日本語表現を 比較しているだけでは その興味関心にはたどり着かないなと そうそうそうそう そこがやっぱり 本当面白いお話だなって思うのと 英語ゴールとして見るんじゃなくて その入り口に見る? ってなった時に 今回の方にも寄せていきたいんですけど ナイトさんが授業の中で どんな経験をさせて 英語だけではないけども 子どもが英語も含めて 言葉にしようと 従るわけじゃないですか 自分の考えてることを もちろん日本語も含めてですけど なんとか英語で表現してみたい って思ったりとか 英語を話したいとか 英語に限らず外国語っていうものに興味を持って それを自分で喋れるようになりたい みたいな 何かなりたい喋りたいみたいな 大事な 好奇心だと思うんですけど そういう授業の中で 具体的にどんな経験を させてるのかなとか どういう時に意識されて 話せるようになってるのかな っていうところとかを お聞きしたくて 授業の中で意識していることとか どういう時にそういう風に感じてるのかな みたいなところを ぜひ最初お聞きしたくて 大前提として 言葉を使うこと それ自体 日本語にしろ外国語にしろね その言葉を使うこと それ自体は別に楽しくも 優れても劣ってもいない っていう話なのよ 英語 違うな 言語は 所詮言語でしかなくて 英語を喋ること それ自体は別に優れても 劣ってもいないし楽しくも楽しくもないんですよ じゃなくて 大事なことは 何を伝えたいか っていうこと だから 私としては フジ語の言葉を借りるならば 話したいって思う浄土のほうが すごく大事だし 話したいと思う コンテンツを 自分が持っているっていうことが すごい大事だと思うわけ コンテンツね 伝えたいって思わなきゃさ 言語で伝えようって思わないでしょ コンテンツ確かに いいですね 私以前 自分が担当したセミナーの時に 英語の教育者向けの セミナーだったんだけど 冒頭に 日本人の テッドって知ってる? プレゼンテーションのやつね あそこに 日本の正式なスピーカーとして 最初に選ばれた人が誰かって話をしたことがあるのね ほうほうほう これどういう人だと思いますって会場の人に聞くと 英語の先生とか 医者とか 政治家みたいな話になるんだけど 実は正式に選ばれた最初の人って 最初? とにかく最初の方の話 そんなにテッドとか今みたいに知名度がない頃に 代表作者として 選ばれたのは ヨーヨープレイヤーだったんだよ えー面白そうなんですか ヨーヨーパフォーマーの ブラックさんっていう方なのね この人が バッティキされて 英語でスピーチをする動画を 私のセミナーの冒頭で 見せたんだけど じゃあその結構 一応ちゃんと練習して 覚えてるからちゃんと聞ける英語なんだけど じゃあやっぱり日本的な 名前がすごくあるわけよ だからこの人の英語って 上手ですかって聞くとみんな 上手ではないよでもよく分かるよ っていう話をするんだよね でこの人の英語って すごく上手なわけじゃない だけど スタンディングオベーションで迎えられるんですよ この映像を見ると分かるんだけど なんですごかったかっていうと この人がヨーヨーにかける思いとか 自分の人生の迂回曲説とか っていうのをちゃんと英語で語り そしてそれを乗り越えた 私のヨーヨーのパフォーマンスを見てくださいって 最後そのパフォーマンスで死にくくるんだよね だからもう観客は そのストーリーに のめり込んで最後のパフォーマンスを見て もう万来の拍手で迎えられるわけ その姿を見たときに いや英語で伝えるって そういうことじゃないですかって 英語がいかに 上手く喋れるかっていうことよりも この人には人に伝えたい っていう思いがあって 人に見せたいっていうパフォーマンスが そこにあって だからこそこのプレゼンが成立してるんだって すごい価値があるプレゼンとして 強化されてるんだっていう話をしたんですよ 私が自分の子供に こうあってほしいのね それが 日本語だろうが英語だろうが フランス語だろうが中国語だろうが それは究極どれでもよくて 私はあくまで それの入り口って 外国語日本語だけじゃない 他の言語でも自分のことを 表現することができるんだよ ということの原体験みたいなところとして 入り口に英語を据えてる というだけの話なんですよ だから 私の授業の中では 英語が喋れるっていうことが すげえじゃなくて たまたま自分が言いたいこと 生きたいもの 食べたいもの なりたいもの 答えたいクイズ この前 例に出たテントウムシの例なんかも まさに考えたくなる 答えたくなるクイズを仕掛けたわけだよね 日本語と 英語と中国語の 昆虫の名前の表記を見て これが表している 生き物は何か 虫は何か そういうことを子供に考えさせる そういうクイズを仕掛けたわけだよね そのコンテンツを 伝えたいとか取り組みたいって 思っているところに たまたま英語が乗っかってるっていう そういう構造なわけですよ 自分の授業はいつも 英語で 言うことに対して そんなに特別な感情を持ってほしくない っていうのが正直なの だから 私としては 成田先生が来たら 英語で話すのが当たり前 みたいな英語 に聞くのが当たり前 みたいな状況さえできていれば 私としては小学校の外国の 教育は大成功だと思ってるんだよね そこに 特別な違和感なのか 緊張感とかそういったものが なくて 3時間まで日本語で喋った子が 成田先生が来たら英語になり 給食になったら また日本語に戻る が当たり前になる なんか 今日英語があるんだって どうしようとか じゃなくて 3時間目が国語で 4時間目が外国語だってよ みたいな そうそうそうそう 普段はそうですもんね すごいな そういう ハードルを下げるっていうことに 私はずっと不信してきた って感じだよね なんか すごいいいなって思うのが やっぱこう 僕も国語の授業をしていて感じることが 多いんですけど どう話すかどう書くか みたいなんて教えようとしてしまうんですよね 分かる分かる これは大事じゃないですか どう話すかとかどう書くかっていうのは 話す書くの基本やし 僕らがずっと教えないといけないこととして 言われてきたけど やっぱり僕も本当にそういうときに ふと思うとか 考え直すみたいなことを思うときに 何を伝えたいかっていう コンテンツがあるかどうかってすごい大事やから 前僕がやった 自分の好きを語るみたいなのも わからんなんなんそれないし でまずは 自分のことを深掘っていく マインドマップ作りから始めるみたいなもん 結局その何を伝えたいのかっていう コンテンツをちゃんと言語化してから スタートするみたいな やっぱそういうことを 話してるとね 今ちょうど書いてる本の中で 言葉は思考の途中にある って書いてる部分があるんですよ それって結局 その伝えたいっていう情動とか体験が 今 考える前にある 自分の 例えば英語だろうが 日本語だろうが一緒ですけど 今自分が思ってることを伝えたいな っていうときに日本語だったらスムーズに出てくる こともあるけど 英語も一緒やけど 日本語で特に考えるのは この人によりよく伝わるためには より相手に自分の思いが 詳しく伝わるためには どういう風な 語彙を使ったらいいだろうか どういう文章構成にすれば いいだろうかっていう風に 考える 英語はもちろんそのレベルまで 考えられたらいいけど 小学校中学校やったらそこまで 深く深く文章構成というところまで 考えられへんかったらとにかく英語で 自分の持ってる表現で話してみるみたいなところ って考えたときに さっきのTEDの話も そうですけど 英語が評価されるだけとか 国語としてきれいな言葉 使えるねいい文章書けるね だけじゃなくてその人にしか 語れない経験とか情熱があるから 多少 伝わらなくても人の心を 動かすみたいな そう考えると 国語で言うと AIから 出てきた言葉 で語っても そうじゃなくてあんたなりの言葉で伝わらなくても いいからそれに価値があるっていうところの ほんま説得力が増す話ですよね 今のTEDの話は 今ねちょうど 私もその話したいなと思ってた 今まさにさ テクニックの話をしたじゃない テクニックって すごい教えやすいじゃない それはもうこういう風に 言うものだとかこういうフレーズを 使うと良いっていうのは教えやすいんだけど そのコンテンツの ところとか あとはその言語化した 言葉ものの 聞き手が それに感銘を受けるかどうか とかっていうのは なんか教えにくい コントロールしにくい部分だなって思ってて すごい極端な例だけど 例えばさめっちゃ 語彙が少ないつたない それこそ幼児 今お子さん何歳だっけ 今下は3歳です ちょうどいいよ 片言の子がさ 限られた語彙の中で ボソッと例えばお母さんが 作ったご飯美味しいねって 一言言ったらさ 藤井くんめっちゃ感動するし そうですね確かに おい美味しい言うか 美味しいって言えんのか このご飯最高とか言ったら 最高とか言えんのか なりますね確かに これを10代20代の アイドルとか俳優さんたち とかがテレビで食レポ頼まれて 感想食レポしてください って言って美味しいねって言ったら はぁんってなるよね 下手くそかって言われるやん それって多分文脈とか状況とか その話者の 状況をどう理解してるかとか 聞き手との関係性とかで 全然その反応って変わってくることで 何がいいかって なかなか規定できないよなって思ってて 今藤井くんが 本の中で書こうとしてることが 言語化できる 言葉にできる子が育つ教室 そうですそうですまさに なるわけでしょ そのさ 言葉にできるっていうのを逆に 俺が質問したいのは藤井くんが どこに規定してんだろうって思って あーなるほどなるほど 言葉にできるっていうのは 例えばその美味しいねって 片言で言った子はさ 言葉にできてないのかっていう あー なるほど そこが もしかしたらそのテクニック的なこととか 表現 技法的な 優越 法説っていうのか そういうところで 規定しようと考えているのか そうじゃないのか そうじゃないのかっていうところが いやーそうですね いやすごい 嬉しい質問というか ほんまに成田さんの 本質を 差しにくる感じの質問が すごく久しぶりでドキドキしてる 大好きで すごい難しい問いだなと思うんですよ で 今のお話も含めて思うのは まず言葉にできるって 語彙が豊かとか上手に話せることではない っていうのはまず一つ でさっきの3歳の うちの息子の美味しいねみたいなんて やっぱその子が感じたことを その子なりの精一杯の 言葉で表してるから 僕らって心動かされると思うんですね ただ 大人はやっぱ語彙が豊富 っていう前提もあるし そうじゃないとしても語彙が豊富やとしても 自分の実感とか思いが乗ってなければやっぱ 人の心動かんし 言葉にできるって まず僕がずっと 国語の上位目標として 何のために国語を勉強するの先生 っていうのの答えと一致してて 自分の中にあるものを 自分なりの言葉で外に出せること が 言葉にできるっていう風に 定義ではないですけど そうじゃないかなっていう感じで 僕は思ってて それが 国語を学ぶ理由だと 相手に 自分の感情自分の気持ちを伝える 言葉を学ぶために国語を学んでる っていうのが僕の 国語の上位目標なので その上で教師の役割 今回の本で語る 第2章とかのところなんですけど その言葉を評価することが 教師の役割なんじゃなくて その言葉を もうちょっと聞かせてよとか 受け止めたり問い返したりしながら その子の言葉が 自分の感情を作ることなんやなと思ってます なるほどね わかる 田辺くんのときのボイシー も聞かせてもらったし チュウくんの話も聞かせてもらったんだけど 小学校の先生たちっていうこともあって かなり浄土的な部分とか 人間関係性の ところとかってところが 大きな 大部分を占めてたなって聞いてたと思うんだよ 田辺くんで言えば お互いに聞き合える 関係性とか学級づくり ってところがすごく大きく 置いてあったし チュウくんで言うならば 会教師との関係性の中で 言葉を 貸すっていう表現をしてたけど あなたの言いたいことって こういうことなんじゃないの 言葉を提供してあげることによって その子が 発達の 最近説領域じゃないけど 自分だと表現できるのは ここまでなんだけど 先生によって足場をかけてもらったことで ちょっと上のところに引き上げてもらえるみたいな そういう部分が話されてたんじゃないかな って思うんだけど 言葉にできるっていうことを 藤井くんが本にするときに その部分をぼんやり語るのか ちゃんと切り分けて語るのかっていうのを 本の中で整理した方がいいよね それって結局 なんだかんだ言って人間関係じゃんとか なんだかんだ言って ふわっといい感じの話で まとまったねってなると 藤井くんがこだわっているところが ぼんやりしちゃいそうな気がしてね なんか 今お話しいただいたようなことって 本当その通りで 僕は中高の先生 ほとんどが中学校の先生 なので 本全体の設計みたいな話をしていくと すごく深掘ってもらったら嬉しいんですけど 切り分けるっていう前に まず言葉にできるっていうものを 僕4層に整理してたんですね 4層っていうか4つの要因環境みたいな話ですけど 一つはコンテンツ それは今のお話をして コンテンツっていう風に今言ってますけど 要は伝えたいものですよね これがあるっていうのと 言語化 語彙とか表現とか 言葉を選んで形にする力 あとは環境 言葉が生まれる条件として これが田辺くんとか越谷くんの話では 深く言ったんですけど 人間関係とかリアクションとかそういう話 安心感とかも言ってましたね 受け手としての聞き手の感受性 っていうのを考えた時に 言葉にできるっていうのが 子供だけの能力では成立しないよね とは言いたいんです 考えた時に 僕は切り分けて書く こうと思ってて 今のお話を受けてですけど もし全部を言葉にできる って一言で包んだら 何言いたい本なん? ってなっちゃうのは分かるし 僕はちゃんと 言葉にできるっていうのは いくつもの条件が 重なった結果で 現れる現象だと思うんですよ 今書いてる本の中でもそうですけど 第一章は あるあるなんですね 要は 振り返りが楽しかったで 終わることってよくありますよね とか そこって別に 事実の整理というか 実体の体感の整理 みたいな感じで 先生らはこう思ってるけど 子供らもこう思ってて環境として こうですよね 先生のせいというか生徒のせいというか やっぱ環境ですよって 言い直してたり えらいさん講師先生が来て せっかくなんで手挙げてください 質問ある人って言った時に えらい真剣に聞いてたのに 質問は誰も上がれへんとか 意見交流しててみんなで 意見交流してくださいって せっかく交流の時間作ってんのに 見せ合うだけで終わって 振り返りに人の意見が聞けてよかったです だけで終わるとか そういうあるあるを 一章にいっぱい書いてるんですね でもそれって結局 どう捉え直すことが 教師の環境設計授業設計に いいマインドを及ぼすのか みたいなのを第2章で書いてるんですよ 第2章はどっちかというと マインドセット的なところ 具体の話が第3章なんですよ 第2章のところで 言ってもらったような言葉にできる いくつもの条件が重なってるから その条件をそれぞれ 出していくイメージなんですね だから振り返りってやっぱり こういう風に先生らは 書かせたいなと思ってるけど 実際こうですよね だから振り返りをそもそも 書かせないといけないものじゃなくて 授業の中でどうやって 振り返りを書けるような 書こうと思える課題とか 授業設計をすることが大事なんじゃないですかね みたいな そんな感じで第2章はやってて 具体を第3章で じゃあこんな感じどうでしょうって 第3章で軽く具体を紹介していく みたいな感じなんですよ なるほどね まだ正直整理しきれてないっていうのが 書いてはいるんですけど まだほんとずっと 手を入れ手を入れしてるのが現状で 今みたいに分けて考えている っていうところはあるんですけど 逆に質問させてもらいたいんですけど どうぞどうぞ 成田さんやったら 言葉にできるっていうのを 一つのものとして語るのか 今みたいにいくつかの要素に切り分けることも できると思うんですけど 成田さんの言う 言葉にできるってどんな感じで 考えてありますか これは 私は別に本を書くわけじゃないから 世界に話をするんだけどね もちろんですもちろんです 話をするんだけど 言語化できるって ずっとそのことを 考えているからこそできるっていう 部分があると思うのよ パッと振られて 言語化してごらんって言われたときに パッと言語化できるっていうことは そのことについて何らか ずっと考え続けてるからできる 間違いないですね それは多分何度も何度も 自分の中で反するされて 一回飲み込んではまた戻りみたいなのを 繰り返して 寝てるからこそ 言われたらパッと答えられる ってことだと思うんだよね 逆に言うと そういうことができるようになるためには まさに藤井くんが言ったことなのかもしれないんだけど 考え続けるきっかけを 子供にどんだけ与えられるか っていうことなんだろうなって 思うけど そのこと本当にその表現でいいと思うとか そう考えて本当にそれでいいのかな みたいなことを揺さぶり揺さぶり 揺さぶり続けられた結果 最後に出てくるものがきっと その子の言語化 その時点での言語化なんだろうなって 思いますよね ポッとでで急に聞かれて ポンと答えるっていうのは多分 ほとんど言語化になってなくて それこそさっきも いい話を聞いた気がしますとか 究極やばかったですみたいなことになるわけじゃん 確かに確かに 何がどうやばかったっていうところを この観点からはどう この観点からはどうっていうことを 揺さぶられ続けたからこそ その観点で言うなら この言葉かそっちのことを言うなら こう言わなきゃいけないかもなみたいなことが 何度も何度も 往復させそれこそ 壁打ちした結果として出てくるものだと思うんだよね はいはいはい 確かに確かに じゃあなんか 実はこの放送の前にちょっとね 藤井くんって この放送で私にどんなこと期待してるって 質問したんだよね もちろんその 即興で話をするつもりでいたんだけど 藤井くんにどんなことを話したらいいって サラッと聞いたんだよね でもこれは私は意図的に聞いてて それを 藤井はきっと言語化してくるだろうなと思ったから あえて聞いたんだよ そしたらさ多分 送った多分3分後くらいに返ってきたでしょ そうですね即別しましたね そう多分これだよと思って なるほどなるほど 藤井くんはこのことをずっと考え続けてるから そしてそのことについて 私に質問したいって思ってるから なりたから このこと聞いてやろうって思ってるんじゃない だから この分量を3分で返ってくるってことは さすがに言語化してるなって思った で そしたら そういうことだと思うのよ いや間違いないです 本当に僕は なりたさん 今回一番最初にも お話ししましたけど やっぱこの話の中で 最初ではないなと思って 最初になりたさんに聞いてしまうと 僕なんか最初じゃないなと思って 最初田辺くんに聞いて で実際教室を見に行った えっちゅうやくんの授業を見に行った えっちゅうやくんに聞いて でいつもの小田さんに 逆に僕のことを聞いてもらって でこの先で言うと なりたさんにこうやって このタイミングで深掘ってもらう 今僕なりたさんにインタビューするつもりが 今僕逆にインタビューずっとされてるんで そうなるだろうなって思って 僕今こうやって深掘ってもらってる っていうのと でこの後に僕いろいろ 天野さんとか 太郎くんもそうですし いろんな先生にいろんな角度から 聞いてみるんですけど 僕はこの中で今お話してたみたいに なりたさんに これを聞きたいっていうのが明確にあるから 即レスもするし これ最近渡辺道原さんにも 言われたんですよ 今さらっと言うのって いつも言ってるからさらっと言えるんだよね みたいなの言ってくれあって まさに僕ずっと ありがたいことに いろんな話させてもらうところで やりきれずにずっと話してるのが そこにつながってるなって 思うのが一つ感じたのと そのまま お返しすると それってほんまにその表現でいいの? みたいなのをずっと 聞き続けることって言ってたじゃないですか それが僕は振り返りの勝ちづけを 今ずっとしてるんで 振り返りの中で どんだけ 楽しかったって言ってるけど 具体的になんやったんとか そういうのをずっと聞いて それをフジーの眼鏡かけた状態で 振り返りを書くみたいなのを ずっとやっていって 振り返り書くときには ミニフジーが横におる みたいなイメージまでさせるみたいな そこがなぁと思ってます 俺そのフジーくんがさ 振り返りについて Xで投稿したじゃない? それに対してちょっと絡まれたじゃん はいなんかいろいろ 嬉しい絡みとかいろいろありましたね その時に振り返りっていうの ちょっと言葉があるけど 良くも悪くもね 批判っていうのがさ 健全な国だから その批判の中の一つにさ 振り返りってさ させなきゃいけないのかとか 振り返りをコントロールさせようとしてるのか みたいな ありましたね 俺その指摘は 振り返りっていう言葉が 良くなかったんだなって思ったのよ はいはいはい というのはなんかその 授業行為としての振り返りで 先生が評価の対象とする ものと 資料としての振り返りみたいな 印象がものすごく強くから その振り返りの 質を上げるということが 子供の思考を操作してる ってことなんじゃないかコントロールしようとしてる ってことなんじゃないかみたいな指摘になるのは そりゃそうだろうなと思って でも俺は多分 俺が正しく理解できてればね 理解できてれば 振り返りってのは分かりやすい 言葉として使ってるだけで 今のその壁打ちの過程っていうか その表現を ブラッシュアップしていく自分の思考を クリアにしていくっていうプロセスを 授業の中に自然に溶け込ませたい ってことだろうなって思ったの 授業してる流れの中に 自然にそういうことが繰り返し繰り返し 繰り返し起こっているものを たぶん授業行為としてはそれが 振り返りっていう表現をするのが一番分かりやすいんだけれども はい たぶん授業の中に当たり前に それが組み込まれていって 最終的にその成果物が出てくる っていうことだ そういうことが授業全体として デザインできてないと いけないんじゃないっていうのが 藤井くんの言い分なんだろうなって思ってたんだけど 合ってる? めちゃくちゃ合ってますもんね さすがの言語家です まさに 別に僕に対しての 直接の批判的な内容 っていうよりかは そもそも振り返りっていうもの 自体への批判やったと思うんだけど そうだね そう考えるとやっぱり 振り返りっていう時点で文科省が 出してるからだろうみたいな いう話とかもあったけど そもそも振り返りを評価のものとして 評価対象として見る 評価のための振り返りみたいな それの最たるものが よく最近も振り返りの話を 研修でさせてもらうんですけど 時間がどうしても なくてって言い張るんですけど 時間があったらやるものって 捉えてる時点でっていう話 そうだね 時間がないって出てる時点でだし そういうところを あのポストでも 振り返りっていうワードに対して けぎらいじゃないですけど そういう固定観念とか 日頃思ってることはある でも裏返せば 振り返りがダメなんじゃなくて 振り返り自体を どう捉えてるのか 教師がどう捉えてるのかとか 何のためにやるのかとか どう勝ちづけしているのかっていう 言語化があまりにもされすぎてない うんうん 思ったので 今はさっきもおっしゃっていただいたようなことですね 振り返りっていう言葉を その言葉じゃない 言い方ができるとなおいいのかもしれないけどね ちょっと難しいね まあまあまあXやなと思いながら でね だとするならばってところで それがその理解が正しいのであれば 一つ 自分だったら もしそういう質問されたらこう返すかなって 思ってる例があって 例えば有名なね 小説家がいたとしましょう 例えばお亡くなりになられた東の慶吾さん 大好きなんだけどさ 同じく で あの著名な方々が 小説を出します その時これハードカバーで出すじゃない それが何番目って売れましたと でなって それがさ文庫版とかになるじゃない キットした後 その時にさ 歌詞修正ってするだろ はいはいはい プロでもやってねって話なのよ あーなるほど 一回さ商品として それこそさ小説家としての プライド そういったものを全部詰め込んで 命かけて出した商品が 最初にあるわけじゃん はいはいはい でもそれに対して納得いかないから 歌詞修正するんだよね うんうんうん まあまあしないケースもあるけど うんまあまあまあ 納得いかない部分は 歌詞修正してるじゃん うんうんうん それがまさに 言語化がさ終わらない っていうことの証かなと思ってて なんかね あの一回出したものが それが終わりじゃなくて やっぱりそれ時間置いてとか 途中の人生経験とか年齢とか そういったものが重なったことによって 多分言語化ってブラッシュアップされるんだと思うんだよね うんうんうん それがまあ年単位で見ることは当然できないから まあまあまあ 何時間かの中でって 何かにしかならないとは思うんだけれども うんうん 一回アウトプットしておしまいじゃなくて それ本当にそれでいいの とかこの視点はない こういうところはどうっていうのを いろいろかけていった結果 多分ブラッシュアップされたものが最後に出てきて それが多分その時点での 一番の言語化 なんだと思うのね 3歳児には 3歳児なりの言語化があって ティーネイジャーなりの 言語化があって それはそれぞれ多分その時点で 最高の言語化なんだよやっぱり それをどうこうって話じゃなくて いや あなた自身のその年齢でできる 最高のアウトプットになってますか っていう 問いかけであり やってほしいのは自問自答なんだと思うんだよね うんうん それの言語化これで限界なのかな みたいな いやなんか 今間挟むと 僕本の中に 未完成な言葉を大切にするっていうのも 入れてるんですよ やっぱりそうやって未完成な状態でも それを 未完成として認識した上で 未完成なものとして扱うっていうのを 大事にしてるんですけど それだけじゃなくて 完成したと思ってる言葉ですら 実学的になってきますけど ほんとそう いやなんかそれをね 今回本に値する 入れていくってことで なんかこう 汎用的じゃないですけど これ僕らの今の話やから通じる話もあるじゃないですか うんうん だいぶねこう 別に成熟したとは言いませんけど お互いずっと喋ってきて あるからこそも あるんですけど 今んーって思いながら聞いてたんですけど 言葉にできるって どういうことって言ったとき うまく言えることではないけど 昨日の自分の言葉を 今日こう もう一回言い直せること って言ったりとか 言葉を完成させる子が 言葉にできる子じゃなくて 言葉を更新し続けられる子みたいな 更新っていいね 更新そうそうそう それがすごい今僕の中ではしっくりきてて 自分もさやっぱこういう発信活動しているんだけどさ うん もうだって今自分が 外国語教育とかそういうことちゃちゃっと英語の中で書いてるような 発信って 実は2019年の段階では もうほぼできてんのよ ほうほうほう 2019年の3月に俺学会で発表した内容が はいはいはい 今でもそのまんま言ってんの うーん なんだけどじゃあそのときの言い方と 今の言い方が同じかっていうと同じじゃねーのよ うんうんうん やっぱり AIの登場とかによって状況も変わってきてるし はい そこまでの自分の人生経験みたいなものとか あるいはそのセミナーをやったことによって 得たフィードバックみたいな それは良いものも悪いものも含めてね 悪いっていうかその この言い方にした方がいいとか その言い方はちょっと反感を買うかもしれないみたいな アドバイスをもらったりとかしたことによって 表現を変えたりとか アップデートし続けてるわけよね 今現在俺はこの言い方が 一番いいって思ってるけど 多分それすらも AIの進歩によったら変わりうるし うーん しかもそのAIに対する 一般の人の 認知度の 程度によっても変わるでしょ いやーほんとそうですねそれは 生成AIってものがさ全く未知のものだ ほんとアーリーアダプター ごく一部のギークとかアーリーアダプターしか使ってなかった ような時代に 話すのと みんなが当たり前に使ってる時に話すのと 全然話の質が違うじゃん 今全然違いますもんね 全然違うでしょ ちょっと前に渋谷くんも言ってたけどさ なんか生成AIで画像作ったら みんな当たり前じゃんって反応されちゃったって話をした そうそうそうそう まさにそうで 多分その状況によって変わってくるし 例えばその 40代前半で喋ってたことと 40代後半で喋ること 変わってくると思うんだよね 教師もさ 子供が生まれる前と自分の子供が生まれた後と 当然変わってくるし 多分孫が生まれたらまた変わるんだよ いや孫 確かにね 絶対変わる 言葉遣いにしてもそうだし 子供の世の中に出ても変わるし 常に更新されていくっていうことは 一つ言語化としての 言語化 するという行為において すごい重要なことだなって思ってる いやー そこに 更新をする 更新するって どういうことっていうことと 更新の仕方みたいなものは やっぱり 学校で学べきだと思うんですよね やっぱり教師がモデリングするっていうのを 僕ずっと言ってるんですけど最近 教師のモデリングもそうやし 子供らが自分でできるようになること だけじゃなくて そこはしっかりと 伝えなあかんところではあるから そうだね それは本当に教師の仕事だろうね そうなんですよね そこに国語化の意味合いも出てくるし もっと言ったら 更新する 視点とか 更新する目みたいなものも どういう風な目線で更新するのか 例えば柴田くんが SAIで画像作っても 当たり前やんっていうのに 当たり前やんって思われてるのに 気づかない柴田くんがいるかもしれへんし なるほどね 当たり前やんっていうのを 認識してたとしても 別にだからって更新する必要はないって 思う柴田くんもおるかもしれへんし やっぱそこの 当たり前って思われたってことは これはもう古いからこうしなあかんな っていう目を養うこととか 感覚を養うことも やっぱりそれも経験をどんだけ 詰めるかだと思うし そういう環境づくりとか それに気づかせてあげられる時間とか 教師の声かけみたいなものが やっぱマインドとしてどれだけ モテるか みたいなところはすごく大事だし この話 いや続けてください だからこそ教師の 関わりが必要だし 国語の先生が 言葉を貸してあげ 先生が言葉を貸してあげる ってことも大事だし 優れた文学作品 の魅力に触れさせる っていうことがやっぱり 意味があるんだ それは多分間接的に いろんな手法というか 可能性というか を伝えてるってことになるんだと思うんだよね そこに感銘を受ければ 多分そこから 言葉をもらってくることだってきっとあるはずだし 私もだってね 小説とかあれば 聞いたプレゼンとかで その表現いいなと思ったやつを パクらせてもらったり することは当然あるわけで パクらせてっていうか 敬意を持ってオマージュね サンプリングですね することは当然あるわけで だからこそ 自分の表現が 自分だけのオリジナルだと 最初から思ってなくて 過去からの知識の 理念を受け継いでの 今の自分っていう部分もあるから 完全に自分のオリジナルだなんて 最初から思ってないけどさ だからその いろいろ経験することによって 自分なりの寄せ集め方 ができたら それは立派なその人の表現の 重要なのだろうし そうですね寄せ集め方みたいな 感覚も 多分なんか コラージュするみたいな イメージで考えていくと 言葉を寄せ集めて いくっていう感覚も なかなか多分 抽象的というか 想像しづらいと思うんですよ 人の言ってることを寄せ 集めてきて自分の言葉にするって どういうことみたいな でもそれって一瞬で 集めてきて一瞬でというか 持っていくんじゃなくて あの時に坂本さんが言ってた あの日の表現ってめっちゃしっくり きてたなっていうのが 今この場のこのタイミングの この今自分が喋ろうとしてることと 合致して出てきて 使えるなって認識して その時のことが全部トレースできる ぐらいに頭の中入ってて初めて 使えるじゃないですか そこまでだと思うんですよ だからやっぱり めっちゃええなって思ったフレーズとかを メモしておくでもなんでもいいですけど 自分の中で記憶しておく これがだから語彙力の 源だと思うんですよね 引き出しのうちの一つだし 引き出しの中に入れているだけ やったら使えないから 引き出しから取り出しやすいように しておかないといけないし 取り出すためにはラベリングしといて 自分の頭の中にフォルダを開けておかないと いけないし それをこういざ使おう ってなった時に使えた経験 とか適切に 使えるような用法容量守れる ようなも必要だし そうそうそう そういうとこですね 外国語でもそうなんよ やっぱり 自分の母語じゃないから 圧倒的にインプットの量って少ないんだよね うんうん なんだけどやっぱり どっかで認知した表現とか ラジオ講座聞きましたとか 喋ってる人とかに 言ってるの聞きました みたいなのを これ使ってみたいとか 真似してみたいみたいな欲求ってあるわけ それ それをさずっと 自分の心の中に持ってて ある日そのタイミングが巡ってきたときに いいバカみたいなの使うときってあるわけよ むっちゃありますね その時の快感っていうか 分かります これやった自分の中に この言葉眠ってたんだちゃんとみたいな っていうのってやっぱあるよね 僕は英語で言うと ALTの先生と喋ってるときに どっかで聞いたフレーズ 例えば最近 通勤が電車になったんで ずっとUNEXとかプラで 映画見てるんですけど 全部洋楽 字幕なしの 音声英語で聞いてるんですよ おーすごい そういうガテラね 面白い英語だけですけど このフレーズ こういう風に使うんよフレーズ っていうのとかをやっぱり 意識してると残るんですけど 使えるタイミングなんかないんですよ ほんまに 使えるタイミングなんかないんですけど どうしても言いたいって思って 無理やりALTの先生のところ行って 喋りに行こうとするけど ゴモゴモして言えずに終わる みたいなのがよくあるんですけど それと同じ現象がやっぱり 英語なら 尚更かもしれないですけど 外国語だったら 日本語でも 最近知った言葉とかって 使いたくなるっていうのもあるじゃないですか あるある それこそ最近仕入れた ネタとかもそうですけど こういうのって結局 言葉に限らず 先ほどの話に戻るとコンテンツもそうやと思うんですよ でも 最近知ったコンテンツを 誰かにも伝えたくなる 噂話とかも一緒ですよね そこが 自分の中でのコンテンツとしての 伝えたいとかの一つやと思うんで そこは 今までの話 全部繋がると繋がってくるなとは思うのと やっぱり 僕ちょっとまとめも含めて 今お話ちょっとしてみますけど 言葉にできる子っていうタイトル なんですよね でも言葉にできる子ってすごく 言語家が得意な子 みたいなイメージに どうしてもなっちゃうなと思って だから言語家が得意な子 だけじゃなくて 言葉にできるってそもそも 状態じゃなくて営みみたいなイメージ を持ってるので 話して終わりとか書いて終わり 振り返って終わりじゃなくて 何回も考えて何回も言い直して 何回も更新していくみたいな この 終わらない言語家みたいな視点 これが本全体の背骨になる みたいな感覚は してるなって思うので 今すごく頭の中が びんびんに研ぎ澄まされてる状態です おーよかったよかった いやー本当に なんか やっぱり成田さんの話聞くと いつも整理されることが多いんですけど あーよかったよかった なんか思ってたことと 違うなじゃないんですよね 思ってることその通りその通り 本当そう思うんですけど 自分の言葉とはやっぱり違うし あー それもまた言葉の面白さだもんね そうですね でもバックボーンの違いですよね 僕そんな小説家の 必修生なんか思ったことなかったですもん 確かに 確かになんですけど 今のは僕多分 あたかで使うと思うんですよ あたかも 自分が言ったかのように まあまあね色んなパターンありますけど 成田さんも言ってたんですけど っていう時もあれば そういうのって結局今の話にも 繋がるし そうだね 最後に言わせてもらうと 言語化が それぞれのレベルが あっていいよねっていうところなのよ 最初の話と どう規定してるかって話と繋がってくるんだけど はいはいはい そのAくんBくんCくんの それぞれの言語化のレベルが当然あっていいわけじゃん うんうんうん それがCくんが一番こうなんか教師から見たら 優れてるからBくんしAくんを それに近づけようっていう声優発想の 部分はむしろ AくんはAくんなりの表現の仕方の 伸びがあってっていうことで いいんだと思うんだよね うんうんうん それって多分外国語の学習も まさにそうで 私はなんか ネイティブ話者を 百理として 自分がいかに劣ってるかを見せつけられて じゃあお前は10だから それを20にしろみたいな そういう学習ってつまんねえなって思ってるわけ うーんまあ確かに すげえつまんねえなと思って だから自分が10しか持ってなかったものを 20にできたっていう プラスの加減の方が絶対価値がある そっちにワクワクしてほしいっていう もっと言えば 母語じゃない言語を ネイティブ話者の10%でも 使えるようになったらすごくねって うーん 例えば私が日本人として 書くとは言わないけどさ 90何点とかだとしましょうよ まあいいや ざっくり 四捨五入して100だとしよう ネイティブ話者としては 遜色ない レバーとしては100だとしよう そうすると そこに私は ネイティブ話者から見たら 10%とかその程度なのに 英語力しかないわけだよ これをさ嘆いて 俺あと90も足んねえよ ってなるか 100あるものの上に 10の外国語が載ってたら 俺110じゃねっていう いいですね いいマインドですね こっちの方が多分俺豊かなと思うのよね いや確かにな だからなんかそういう 自分が持ってない 言語力みたいなものを ちょっとでも ちょっとでも 自分の地肉に取り入れるという行為 これを楽しんでほしいな っていう思いがあるの 自分の外国語教育館として すごいな それ多分国語でも同じかなと思ってて 自分の範囲 自分が生きている範囲では 絶対出会わないであろう表現とか 語彙とかっていうのが それはきっと本の中にあったり 映画の中にあったり 演劇の中にあったり 何なら音楽とかの中にあったりするんだと思うんだよね うん そういうのを つまい食いでもいいから 自分の中にちょっとずつでも取り入れられたら あなたの言語世界ってすごく豊かになるんじゃない っていう その行為そのものを楽しんでほしくって それが自分が 他と比べて 何割なのか 10点なのか20点なのか 相手との差が40点50点あるのか とかそんなことじゃなくて 自分の世界が豊かになるっていうことを どれだけ楽しめるか そしてそれを楽しませてあげられるか そしてそれが 尊いよって 豊かだよって 我々が言ってあげるかっていうことだと思うんだよね うんうんうん だから俺が外国語教えてるときも いや僕じゃないんだから 言えなくて当たり前じゃんって 最初から言ってるし 当たり前だよって それが言えたらすごくない って 言うよ そのマインドやな やっぱり そうですね そうそう それがね小学校だから それが許されるのかもしれないとも思ってるよ 同時にね 大中学高校とかで それを学問として学んだときに そのマインドじゃ足らないよっていう指摘は それはそれでごもっともだなとも思うから そこはなんか いわゆる英語教育の 世界ってのと その導入部分の 小学校外国語 っていうところとの違いかな とは思ってる 自分は言うなれば 後ろに試験が迫ってるわけでもないから うんうんうん その指摘される世界が 直後には待ってないからね 中学や高校とかは その直後に英語で 査定される世界が待ってる そうですね 悲しいからね 俺はこれ自体をなんとかしろって思ってんだけど うんうん 日本人の査定をするのに英語を使うなって 個人的には思ってんだけどね いやー 日本人なんだから 間違いないですね うんうん 自分は小学校という 後ろに査定が待ってないところにいるからこそ こんなのんびりしたことを 言ってられてるのかもしれないなとも思ってる でも だからこそ小学校で そういう話とかそういうマインドの 先生が教えることの 価値が高まりますよね 中学校高校いったらそれはできへんから そうだと思いたい いやーそうだと思いますし それがなんかそういう そういう風なマインドで 言ってる先生が素敵やなと思うし みんながみんなできるわけじゃないと思います あーそうかね それは どうしても英語 っていう風に捉えてる そこが根本戻って 外国語教育として 授業を考えてる 成田さんならではの 視点だし考え方だし うん 素敵だなと思います だからなんかね 英語のhow to teachをどれだけ 精度を高めるかっていうことよりも うん 外国語 僕じゃない言語を学ぶってこんなに豊かだよね っていうことをもっと 肯定的に語れる人とか あとはもう自分自身が 英語とかスペイン語とか フランス語とか 全然しゃべれないんだけど 新しい語彙を覚えるのが楽しくて しょうがないんだよっていう そういうね それが豊かなんだよっていうことを語ってほしいな って思ってて あのyoutubeの人ですね 男性のいろんな言語喋る人 誰でしたっけ あーいるね 僕あの人めっちゃ好きなんですけど ずっとネットでハローって言って初めて うんうん やる人 カズマやカズマ そうそうそうそう ああいう人はそのマインドやし なんか語彙を獲得するのが好きというか うんうんうん まああれはまたちょっと得意な体質だけどな いえいえまま間違いますね 意味わからん いやそう いいななんかそういう話が聞けるのも 僕一個こうあの今日 言いたかったスラングがあって どう スラングなんか分かんないですけど スラングって悪い意味だけじゃないですよねたぶん じゃないよ なんかアイアムブート なんかブーツは 靴のブーツやけど ブートは見せ物とか初心者のスラング あー っていう風に あのサッカーワールドカップの あのなんか解説とか 現地におったあのアイドルのカギヤマ なんたら カギヤマ言うか が今日Xでポストしてて これは成田さんに使おうと思って 私は英語の初心者ですっていう なんかそれをでもスラングってねそういう風に どういう意味合いで過去背景が 背景として出てきたかとか言われてきたか みたいなの分かんないじゃないですか調べないと そうだから なんかそういうのも含めて 外国語と日本語のそういう なんか表現の 言ってみたい喋ってみたいに対する 壁とかハードルも違うなって思ってて そこまで喋り出すキリがないな と思ってたのが 今日の夕方ぐらいでした 今もすでに あのもうずーっと なんかまとめながらこれ なんか僕ずっと最後に 本に このまま入れたいとか 成田さんの言葉をそのまま さっきの言葉で言うとパクって入れたいな っていうわけではなくて なんかこうそもそもの 自分自身の勉強もそうだしアップデートしたい っていうのと 僕の中での できる子っていうのを 解像度高めたかった っていうのがこの企画の趣旨なので その成田さんにさっきの あの っていう それはほんまのほんまのまさに 今ずっと考えなあかんかったところ だったので すごくなんかこう 言葉にできる子を育てるっていうのが 全員を同じゴールに連れていくことじゃないこと やなって思ったし なんかその子自身の 言葉が昨日よりちょっと豊かになったり なんか 僕はその子自身の言葉の世界が 広がることも大事やなと思うし で それを積み重ねていくことで なんか言葉にできる子になってくるん じゃないのかなと思うので なんかまた新しい意味が一つ タイトルに入ったなと思いました なるほど 話した甲斐があった いやもうめちゃくちゃ いやほんでねやっぱ なんかいい意味で僕は緊張するんですよ 成田さんが喋るとき なんかこの言葉遣いとかに緊張じゃなくて 考えてるところの 視点とやっぱりこうね 切り口がやっぱりいつも 斜め上なので こう緊張しながら いやなんなんでしょうね 僕なんか 天の尺やとなんか全然 180度違うとかって多分なるんですけど 自分が見てて 多分こういう風に 言われるだろうなとか こういう風な角度だったら 確かになって思うなっていうところ とは違う角度っていうイメージですけど なるほどね年の子かな いやでもねやっぱり いろんな経験がなされることだなと 本当思います 特別試練の話もしてあるじゃないですか やっぱり前もそうですけど やっぱね 直接そこの話は出てこないですけど そうやっぱそういうのがね すごくこう なんやろ全演部含めてかな って思います ありがとう 俺を言語化してください いやいやもう本当に 価値あるお話を いやなんか固いな いやすごい楽しかったです 楽しかった楽しかったありがとう めちゃくちゃ楽しかった いやありがとうございます本当に とんでもないとんでもない ありがとうございます みなさんもねずっと聞いてくださってる方 本当今日はめっちゃ多くて ずっとこうずっと聞いてくださってる方が そうだねコメントないもんね そうなんですよ 好きないですって今日は コメントに 好きないと思います いやー 改めて夜遅い時間でしたがありがとうございました とんでもないとんでもない またありがとうございます ホームの方もよろしくお願いします ありがとうございました お疲れ様 バイバイ もっと見る📕言葉を整える、思考の時間藤井 海|思考と言葉を整える国語教師00:171.おはようございます、01:282.めっちゃ良かった!!!1:03:463.成田さんと単著執筆企画対談!コメント感想・質問・応援メッセージを書こう Asu ka8月7日成田さんとのコラボ、やっぱ最強だね💕1返信 土屋綾乃7月29日成田さんとのコラボありがとうございます✨成田さんの言葉は本当に深くて鋭くて重くてあったかい…「振り返り」という言葉の読み解き方にはもう震えましたいいなぁ…なんだかすごく贅沢な時間でした✨3返信 yurika.uri7月29日「言葉にできるとは」の解釈がおもしろいですね。隙のないラリーが心地よいです😊2返信
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成田さんの言葉は本当に深くて鋭くて重くてあったかい…
「振り返り」という言葉の読み解き方にはもう震えました
いいなぁ…なんだかすごく贅沢な時間でした✨