TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第576話 【1行書く】私の内省ルール15:36 7月19日 164再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「内省」とは?多忙な日々で失われるもの去年感じた「空っぽ」感の正体とはマルクス・アウレリウスの自省録に学ぶ母の手帳と内省習慣が始まった理由たった一行の問いが変える明日の自分AI文字起こし(β版) # オープニング 日日気付きだより佐藤美奈子です。 今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルでは、エモン道や日本文化の学びを通して感じた 心の在り方や人との向き合い方を 仕事や暮らしに優しく重ねてお届けしています。 はい、今日のテーマは 私の内政ルールです。 日曜日に内政化という話題ですけれども Voicyのトークテーマは内政ルールだったんですよね。 この7月ももうそろそろ終わりで もう後半走り出しているという感じのこの時期ですけれども 皆さん何か内政する 何か自分で自分をいろいろ考え直すというか そういうことをしていらっしゃいますでしょうか。 私はこの私の内政ルールというテーマの中で 自分なりの振り返りの習慣というものが そういえばあるなぁと思い出したので それをお話ししたいと思います。 特に特別なことというほどのことでもないかなとは思うんですけれども 続けているという感じのことはあるので 自分との対話が深まってきたような感じがする。 そんなお話です。 # 去年はなんか抜けていた 今日は私の内政ルールというテーマで、自分なりに続けている振り返りの習慣をお話しします。 この内政という言葉は少し硬く聞こえるかもしれませんし、漢字で書くと内側内で反省のせいと書いて内政。 漢字で見てもすごく反省しなければいけないような感じの言葉です。 私がやっていることはとてもシンプルで、今日の自分はどうだったかということを問う時間を持つ、それだけです。 今日は問う時間をこの時間ではなくて、仕事が終わった後の帰りの電車の中だとか、家路に向かっている家に着くまでの間、 駅から3分くらいで家に着くので、その間駅から降りてゆっくり歩いていながら何となく考えていることが内政にあたるかなという感じです。 忙しい日々の中で気がつくと、何かをこなしているという自分がいます。 皆さんもそうではないでしょうか。毎日外でお仕事をしている方、自宅でお仕事をしている方、家事、育児、いろんなことをこなすということをしていますよね。 次から次へと処理をしていって、夜になってみると、今日私は何をどうしたっけなぁみたいに思うこともあるんですよね。 どんなことを感じていたんだろうなぁと思うことも私はあります。 ちょうど去年ぐらいの秋、前の年度、2025年度の秋ぐらいの時に、仕事的にはとても充実はしているし、いろんな取り組みもチームでしてきているし、充実しているはずなんだけれども、 何かがちょっと、もうちょっとだなぁというか、まだちょっと抜けているなぁという感じがしたんですよね。 その感覚の正体を探ろうとした時、何で空っぽに感じるんだろうと、こんなにやってもらってもいるし、自分だけじゃないし、やるものはやる、頼むことは頼む、いろんなことをしているんですけれども、 何か抜けている感じがあって、それは何かなと思った時に、私は自分に問いかけるということをやめていたということに気がついたんですよね。 そういうところまで考える方はいないのかもしれませんけど、逆にこれをし続けている方もいらっしゃると思うんですよね。 ジャーナリングをしたり、朝したり、夜したり、いろんな自分の言葉を綴ってみるということを日々なさっている方というのは、自分に問いかけることを続けている方です。 でもその時期に何となく何も問いかけていない。これはどうだったかとか、仕事の振り返りもできていない。 いろんなことが目の前のことをこなすことで、やった、終わった、次はなんだ、かんだとか言いながら、どんどん処理していく。 後々が美しく収まっているかというよりも、目の前のことをとにかく本当にショベルカーのように、ブルドーサーのように、どんどん進んで、脇の方にそれていった土砂を何もしていないみたいな感覚ですよね。 外へのアウトプットというのは続けていました。このようにボイシーで話をしたり、あとは教材作りに着手したり、日々の受講生さんたちとのやりとりの中で、いろんな伝えたいことを伝えていましたし、それは続けていた。 けれども、自分の内側への問いかけがなかったし、逆に内側へ溜め込む学びが少なかったかなという気がしてきたんですよね、その年。 その不均衡な感じ、バランスが取れていないという感じが、なんとなく空っぽな感じがするという原因だったのではないかなと思っています。その年明けになんとなく感じました。 なんでその年明けに感じたのかというと、今年の新年ですよね。年明けから今年の4月からは、今年の新年度からは、こんなことをしよう、あんなことをしようということをすごく今年は年始めから考えられたんですよね。 ちょうど市中水明的に言うと、今年はとても私は実りの年で、どんどんどんどんやれる年だそうなんですけれども、やっぱりそういう成熟したもの、自分の中で熟してきたものをどんどんどんどん皆様に提供して喜んでいただく年にしようって、やっぱり自分でも思えていたので。 そうですよって後から聞いたときに、やっぱりと思ったんですよね。けれどもそのときに、果て去年はどういう、2025年はどういうスケジューリングで、どういう感じでお客様の要領はどうだったかなとかということを考えたときに、ちょっとあまりにもバタバタしすぎてて思いつかなかったんですよね。 ということは、あまりそれに対して振り返りだとか、スタッフとの一応反省会、反省会というか、終わった後の話し合い、次に向けて改善するべきこと、そういうことをちょっとしてなかったからこそ、自分の頭の中とか体の中に2025年の取り組みがスポーンと抜けてまして、 今年さ、いざやろうというときに、なんとなく、これじゃまずいなと思ったので、最初にスタッフと打ち合わせをして、年内、この12月までの予定をある程度ですけどね、100%ではないですけど、タイトルとか内容とかそういうことを決めて、 学校の母体であるスケジュールが4月にポーンと年間行事が出るので、それが出たときに照らし合わせながら本気めしていくということは今年はできた。けれども、本当に去年はできなかったんですよね。 それを感じたときに、この時間はやっぱり必要だなというふうに思いました。 # ローマ皇帝の【自省録】 はい、皆さん、ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスという方、ご存知でしょうか。 この方はですね、在位中に自分自身への忌ましめを綴った、自生録という日記を書き続けていました。 戦場でも、政務の合間にも、毎日自分に問いかけ続けた記録です。 今日、私は何者であったか、何に揺さぶられて何に戻ることができたか、 その問いの繰り返しというのが、2000年を経た今も読まれる思いを巡らすための、 本当に集約された読み物になっているわけです。 印象的なのは、このアウレリウスさんがその日記を誰かに見せるために書いていなかったことです。 あれはあくまでも自分自身との対話だったわけです。 誰かに見せて評価されるためのものではなくて、ただ自分を知るために書き続けていたわけです。 私はそれを知った時に、2000年も前もローマ皇帝がここまでしていたのかと思って、 何となくその時、これを知ったのは3、4年前だったと思います。 コロナでいろいろ自粛せざるを得なかった時、ちょっと時間があったので、 いろんなことを見ていた時に、そのことがググってたら出てきたのかな、 そういう風になった時に、ああと思って、その時に私も手帳に一行でもいいから書いてみようかなと思ったんですよね。 もう一つは、母が小さな手帳を毎年毎年更新していて、 その手帳に予定を書くというよりも、それを日記代わりにしていた、 本当に手のひらサイズぐらいの小さな手帳なんですけれども、 毎日ではなかったですけれども、何月何日、美奈子から電話、明るい声、孫たちの近況を聞くとか、 そんな感じで一行書いていたんですよね。 ある日は和歌を読んでいたんですよ。 その日にパッと思い浮かんだ和歌を綴っていて、いいなと思って、 私、母の記録を次にまとめようかなと思っているんですけれども、 いいな、私もやってみたいなと思って、 そのノートが私のかたみになって、東京に持ってきているので何冊も、 そういうことを真似てみようかなと思いました。 ローマ皇帝と母、すごい二人ですけれども、 今日何が心に引っかかったのか、 今日私が誰々さんに言った言葉はそれでよかったのか、理解してくれてるかなとか、 もうちょっと次の日に加えてみようとか、言葉を言い換えて理解してみようとか、 そういうことを思って、その日のうちに考えるためにちょっと考えるようにもなったし、 頭の中で、自宅に帰るまでの間に内省するということをし始めたのもやっぱりこれがきっかけです。 本当に自分のための問いですね。 はい、今日は私の内省ルールというテーマでお話をしました。 完璧な振り返りである必要はありませんが、 一行でも今日の自分はどうだったのだろうかなということを問う時間が、 明日の自分を少し丁寧にしてくれると感じています。 皆さんも無理にとは言いませんが、寝る前にちょっと1分だけ自分へ、 今日はこれをしたなとかでもいいです。 今日のこれはおいしかったなでもいいです。 そういうことをちょっと問いかけをしてみて、お休みになってはいかがでしょうか。 今日もお聞きいただきありがとうございました。 また次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。 それではまた。ごきげんよう。 # 余談ですが… Voicyの収録は終わったんですが、終わった後、ふと気づきました。 実は今日は母の誕生日でした。 4年前に亡くなりましたけれども、生きていれば92歳の母です。 ローマ皇帝の話をしながら、ふと母の手帳のことが浮かんできたということは、母が話せと言ったのかと思うようにしています。 私がこれを話している後ろには、母の家の写真が飾っているんですけれども、 この写真は私の主人が初孫、両親にとっては私の子供が初孫でしたので、 初孫が生まれた時に、父と母と孫を抱いて写真を撮った時に、一番いい顔をしていた時を主人が撮影してくれました。 それが大好きで、そのまま実家には飾ってあって、父も母さんはこの写真が好きだったから、この写真を家にしようと言ってくれて家にしたものです。 その母に見守られながら、私は音声を吹き込んでいるんですよね。 私の話を少しでもしろということだったのかと思って、今日はこれで終わりにしたいと思います。ごきげんよう。さようなら。 もっと見る #内省 #自己観察 #マルクスアウレリウス #振り返りの習慣 #私の内省ルール 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ01:331.オープニング07:492.去年はなんか抜けていた04:353.ローマ皇帝の【自省録】01:414.余談ですが…コメント感想・質問・応援メッセージを書こう Fortune Cookie8月3日ふと、お母様のお話もされたのは……「ふと思う心は神心、あとで濁すは人心」お母様はもちろん、神様からのメッセージですね。心温まるお話ありがとうございました。1返信 さとうみなこ8月5日ありがとうございます😊ありがたいことです。家族でもたくさん母の思い出を語ろうと思います。
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「ふと思う心は神心、あとで濁すは人心」お母様はもちろん、神様からのメッセージですね。
心温まるお話ありがとうございました。