#253 マウントおじさんが、ただの面白いおじさんになる
08:39
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■なぜ求められてもいないのにアドバイスしたがるのか
ちょっとトゲトゲしい表現になっています、ごめんなさい。
先日、娘の友達が遊びに来てくれて、いまいる会社とそのお客さんに「マウントおじさん」がいっぱいいるという話をしてくれました。
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マウントおじさんは、「知識も経験も豊富な自分が、何も知らない若い女性に教えてあげる」という態度で近づいて来るそうです。
昔どれだけワルだったかとか、死にかけた経験とか、苦労話などを聞いてもないのに喋るのだそうです。
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あー、それはおじさんだけでなくおばさん(私)もやるかも、とドキドキしつつ、どうしてそうなっちゃうのかを考えてみたのですが、もしかしたら世代が違うから「何を話せばいいかわからない」という緊張感から来ているのかもしれません。
なのに相手のことを知ろうとするかわりに自分の話をしてしまうのはなぜか…自慢話や武勇伝は、何度も語ってきたデフォルトのレパートリーなので、安心できるからかもしれません。カラオケの十八番のように…
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彼女いわく、おじさんは彼女がすでに知っていることでもお構いなしで上から目線で語り、相槌を打ったりすると、それを尊敬や感謝と受け取るそうです。
場合によっては好意と勘違いして「LINE交換しようか」「ご飯行かない?」などと言い出すそうで「キモ」と一刀両断していました。(つらい…)
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■ 感情労働
私もかつてはよく、あいまいな笑顔で適当な相槌を打っていたなと思い出します。
パワーバランスが不均衡だったり恐れを感じる相手を前に、自身の感情をコントロールして求められる感情(笑顔や共感やいたわりなど)を表現すること。これをアメリカの社会学者アーリー・ホックシールドは「感情労働」と名付けました。
具体例として、理不尽なクレームに耐えながら笑顔で接客する販売員や、患者の不安を受け止めつつ冷静に対処する看護師などが挙げられますが、ゴリゴリな家父長制の家に育った私は、母が、そして周りの女性たちがこれをやっているのを見て自然と身に着けていったように思います。
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もちろん望んでやっているわけではなく物事を進めるために、余計なコストをかけないために、あるいはやらざるをえない状況に追い込まれているからやっているわけですが、これをやり続けていると、ある価値観が生まれてきたように思います。
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「男性を手のひらで転がしてうまく進めるのが女の器量だ」。
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私が20代の頃、博多の山笠の取材をさせていただいた時に初めて聞いた言葉でした。商家の妻のことを「ごりょんさん」と呼びますが、これは表舞台に立つ夫を支えて、不平不満を言わずに、家事はもちろん、夫がいない間の店を切り盛りする。そういう芯の強い女性の代名詞です。
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そのコミュニティでは、男性が仲間と風俗に行くことすら黙認するのが女の器量だという価値観があると聞いて驚きました。山笠に命をかけている人と結婚した友人は、それを受け入れられないというと逆に責められたといい、なんと義理のお母さんからも非難されたと嘆いていました。
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もちろん本人が幸せであれば、それはその人の人生です。たちが悪いのはそういった価値観を女性自身が内面化してしまうことです。
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本当は嫌だけど口にすると不都合が起きる。傷つく自分を認知しないために「これが正しいのだ」と思い込んで正当化するうちに、今度は不満を口にする他の女性に対して攻撃的になる。感情労働を強いられてきた側が、いつの間にかその行動を守る側に回ってしまう。(義理のお母さんのように)
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その結果として、マウントおじさんの行動をさらに強化してしまう。
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子どもたちの世代は、感情労働を当たり前だと思わない傾向があると感じます。ゆえに「なぜ私がこの人の機嫌を管理しなければならないのか」とハッキリ言えるのでしょう。
人間と人間が対等に接するという感覚は、本来みんなが持っているものだと思うのですが、だんだん失われていく。それをちゃんと維持し続けられる人が、若い世代には比較的多い。ゆえに世代による違和感がめちゃくちゃ大きくなるのかもしれません。
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■昼スナに迷い込んでくるおじさん
不思議なことに昼スナを始めてから、そういうタイプのおじさんたちが、周りからどんどん消えていっているみたいで😅
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たまに「中洲 昼飲み」でGoogle Map検索して間違ってふらりと立ち寄られるおじさんがいます。
声が大きくて、話が長くて、アドバイスしたがったりするので、トーンが違って最初は浮いて見えるのですが、不思議なことにしばらく経つと変わってくるんです。
だんだん声が小さくなって、口数が減って、気がつくとニコニコしながら他のお客さんたちとカウンターに馴染んでいる。こんな変化を何度も見てきました。
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昼スナを知ってきてくださっている方の場合、共通点があるような気がします。会社を倒産させてしまったとか、大きな会社に勤めているけど閑職にいるとか(ご自分で左遷されたおっしゃっる方も)。彼らがサバイバルしてきた社会やコミュニティの中で、致命的な痛みを経験している。そしてそれを、自分で認知して開示できるだけの当事者性を持っている。
仮説ですが、自分を強く大きく見せなくてもいい場所に来た時に、本来のその人の姿が一瞬出てくるのではないかと思っています。
しかし、こんな風におじさんおじさんと言い続けるのもフェアではありません。こうした構図は男性に限った話ではなく、周囲に感情労働させることを当然のように捉えている人は、性別を問わず存在します。マウントおじさんはひとつの典型に過ぎません。でも構造的に力を持っている人が多いから面倒くさい、というのも事実ではあります。
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役にたたなくてもいい場所になると、マウントおじさんだった人がただの面白いおじさんになっていく(かもしれない)。
それを見ることができるのは、なかなか興味深いですし、そこに私は自分自身を見る気がするのです。
ちょっとトゲトゲしい表現になっています、ごめんなさい。
先日、娘の友達が遊びに来てくれて、いまいる会社とそのお客さんに「マウントおじさん」がいっぱいいるという話をしてくれました。
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マウントおじさんは、「知識も経験も豊富な自分が、何も知らない若い女性に教えてあげる」という態度で近づいて来るそうです。
昔どれだけワルだったかとか、死にかけた経験とか、苦労話などを聞いてもないのに喋るのだそうです。
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あー、それはおじさんだけでなくおばさん(私)もやるかも、とドキドキしつつ、どうしてそうなっちゃうのかを考えてみたのですが、もしかしたら世代が違うから「何を話せばいいかわからない」という緊張感から来ているのかもしれません。
なのに相手のことを知ろうとするかわりに自分の話をしてしまうのはなぜか…自慢話や武勇伝は、何度も語ってきたデフォルトのレパートリーなので、安心できるからかもしれません。カラオケの十八番のように…
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彼女いわく、おじさんは彼女がすでに知っていることでもお構いなしで上から目線で語り、相槌を打ったりすると、それを尊敬や感謝と受け取るそうです。
場合によっては好意と勘違いして「LINE交換しようか」「ご飯行かない?」などと言い出すそうで「キモ」と一刀両断していました。(つらい…)
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■ 感情労働
私もかつてはよく、あいまいな笑顔で適当な相槌を打っていたなと思い出します。
パワーバランスが不均衡だったり恐れを感じる相手を前に、自身の感情をコントロールして求められる感情(笑顔や共感やいたわりなど)を表現すること。これをアメリカの社会学者アーリー・ホックシールドは「感情労働」と名付けました。
具体例として、理不尽なクレームに耐えながら笑顔で接客する販売員や、患者の不安を受け止めつつ冷静に対処する看護師などが挙げられますが、ゴリゴリな家父長制の家に育った私は、母が、そして周りの女性たちがこれをやっているのを見て自然と身に着けていったように思います。
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もちろん望んでやっているわけではなく物事を進めるために、余計なコストをかけないために、あるいはやらざるをえない状況に追い込まれているからやっているわけですが、これをやり続けていると、ある価値観が生まれてきたように思います。
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「男性を手のひらで転がしてうまく進めるのが女の器量だ」。
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私が20代の頃、博多の山笠の取材をさせていただいた時に初めて聞いた言葉でした。商家の妻のことを「ごりょんさん」と呼びますが、これは表舞台に立つ夫を支えて、不平不満を言わずに、家事はもちろん、夫がいない間の店を切り盛りする。そういう芯の強い女性の代名詞です。
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そのコミュニティでは、男性が仲間と風俗に行くことすら黙認するのが女の器量だという価値観があると聞いて驚きました。山笠に命をかけている人と結婚した友人は、それを受け入れられないというと逆に責められたといい、なんと義理のお母さんからも非難されたと嘆いていました。
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もちろん本人が幸せであれば、それはその人の人生です。たちが悪いのはそういった価値観を女性自身が内面化してしまうことです。
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本当は嫌だけど口にすると不都合が起きる。傷つく自分を認知しないために「これが正しいのだ」と思い込んで正当化するうちに、今度は不満を口にする他の女性に対して攻撃的になる。感情労働を強いられてきた側が、いつの間にかその行動を守る側に回ってしまう。(義理のお母さんのように)
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その結果として、マウントおじさんの行動をさらに強化してしまう。
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子どもたちの世代は、感情労働を当たり前だと思わない傾向があると感じます。ゆえに「なぜ私がこの人の機嫌を管理しなければならないのか」とハッキリ言えるのでしょう。
人間と人間が対等に接するという感覚は、本来みんなが持っているものだと思うのですが、だんだん失われていく。それをちゃんと維持し続けられる人が、若い世代には比較的多い。ゆえに世代による違和感がめちゃくちゃ大きくなるのかもしれません。
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■昼スナに迷い込んでくるおじさん
不思議なことに昼スナを始めてから、そういうタイプのおじさんたちが、周りからどんどん消えていっているみたいで😅
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たまに「中洲 昼飲み」でGoogle Map検索して間違ってふらりと立ち寄られるおじさんがいます。
声が大きくて、話が長くて、アドバイスしたがったりするので、トーンが違って最初は浮いて見えるのですが、不思議なことにしばらく経つと変わってくるんです。
だんだん声が小さくなって、口数が減って、気がつくとニコニコしながら他のお客さんたちとカウンターに馴染んでいる。こんな変化を何度も見てきました。
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昼スナを知ってきてくださっている方の場合、共通点があるような気がします。会社を倒産させてしまったとか、大きな会社に勤めているけど閑職にいるとか(ご自分で左遷されたおっしゃっる方も)。彼らがサバイバルしてきた社会やコミュニティの中で、致命的な痛みを経験している。そしてそれを、自分で認知して開示できるだけの当事者性を持っている。
仮説ですが、自分を強く大きく見せなくてもいい場所に来た時に、本来のその人の姿が一瞬出てくるのではないかと思っています。
しかし、こんな風におじさんおじさんと言い続けるのもフェアではありません。こうした構図は男性に限った話ではなく、周囲に感情労働させることを当然のように捉えている人は、性別を問わず存在します。マウントおじさんはひとつの典型に過ぎません。でも構造的に力を持っている人が多いから面倒くさい、というのも事実ではあります。
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役にたたなくてもいい場所になると、マウントおじさんだった人がただの面白いおじさんになっていく(かもしれない)。
それを見ることができるのは、なかなか興味深いですし、そこに私は自分自身を見る気がするのです。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 07:522.
感情労働
- 00:323.
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