TOPトーク専門家リベラルアーツ探究実践Radio【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』メイクセンス編41:23 2025年4月23日 155再生 問題を報告する 再生する シェアする 第4火曜日21:10に定番化しつつある生放送。今回は「意味」について考えたいという近内氏。お楽しみ頂ければ幸いです。AI目次「Make sense」とは何か?身体感覚で理解するファクトフルネスと「Make sense」の両輪リベラルアーツと「負に落ちる」感覚言葉が認知を拡張する:名前の力と奥義メイクセンスと編集、そして呼吸:生命へのメタファーAI文字起こし(β版) # 【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』メイクセンス編 みなさんこんばんは。 ヤハギでございます。 そして、 チカウチでございます。 というわけでですね、 毎月恒例、授業が終わって、 さらっと話すわけですけれども、 どうですか、最近は。 今日なんて送りましたっけ? 今日なんかいつもあれなんですよね、 お昼ぐらいとか前日とかお昼ぐらいに、 今日のテーマはどうします?みたいな。 で、大体、 今日はでもこの話ができるかな。 ファクトフルネスっていうキーワード。 はいはいはい。 ファクトフルネス、なるほど。 なんか、 なんていうのかな、 と、僕は対比する概念で、 英語の表現で、 That makes senseっていう。 つまり、それは理にかなってるねとか、 それは意味を成してるねって表現ですよね。 で、僕やっぱりこの Make senseであることっていうのと、 ファクトフルであることっていうのは、 両輪だと思ってて、 なんか、 ファクトフルならそれでいいみたいな雰囲気を 僕はなんとなく感じるんですよ。 やっぱり、なんていうのかな、 西洋的な感じではあるよね。 で、ファクトって何?ってなった時、 例えばその事実と真実の違いみたいなのもそうだけれども、 どんな前提において、 どんなデータを何の事実とするのかっていうことって、 結構難しいっていうか、 そもそもそれがファクトであったところで、 それのエビデンスになるかどうかって、 ちょっと微妙なものって結構あるじゃない。 統計上はこう出ましたっていうのを、 だから解釈からは逃れられないというか。 僕はね、 That makes senseみたいなものって、 僕が翻訳するんだったら、 負に落ちるっていう訳ですよ。 負に落ちる体、身体的に理解するというか、 身体的に違和感がないというか、 まあそうなんだろうなっていう風に、 体で感じるみたいなのが、 Make senseなのかなっていう風に思ってるんだよね。 だから主体によって全然なんだろうな、 そのファクトがMake senseになるかならないのかって、 要は真前美の話だと思うのよ。 もうちょっと言えば、 真前美プラスロゴスの話だと思うのね。 Make senseであるかどうかって。 それが両方揃った時に、 僕が言うところの真前美プラスロゴスっていうのは、 要はリベラルアーツのことを僕はそういう風に呼んでるんですけど。 僕もある意味その狙いでこのキーワード、 たぶん八重さんと僕が喋るとそういうとこに着地するかなと思って。 そうなんですよね。 しかもリベラルアーツの場合、 自分がなぜこれが負に落ちたのかを、 その理論をたどるというか。 俺が負に落ちたんだからいいんだじゃなくて、 なぜ私はこれが負に落ちたのかっていうのを、 もう一回メタのところまで結んで開いてじゃないけど、 まさに負に落ちて納得するって結ぶ感覚。 それをもう一回解きほぐして、 そのプロセスを、 たぶんそのプロセスには普遍性がある気がするんですよ。 このような形で負に落ちたのねっていうのは、 相手の負に落ち方とは違っても、 あなたが負に落ちたのはよくわかるよって、 伝わるかなと思うんですよね。 そう、だから結局、 誰にでも負に落ちる話ってないっていう前提って結構重要だよね。 そうそう。 それがファクトフルネスみたいなものって、 番人が納得するものでしょっていう圧を感じるというか。 そうだね。 でも本当かなって思うんですよね。 そうね。 やっぱり哲学的に言うと、 ファクトとナラティブは入れ子構造というか、 ファクトがあってナラティブを作れるっていうほど、 ナラティブとファクトは物語、つまり仮説みたいなもの、 っていうものが癒着してしまってると。本来的に。 科学史、科学哲学の本で参照される事例としては、 なんだっけな。 あ、そっか。 天動説から地動説へ変わって、 パラダイムシフトだいぶ終わった後の社会だと、 隕石の観測事例がめっちゃ増えたって話があるんですよね。 隕石、小学生かな。 これまでは小学生とか、つまり天体の軌道とかの天動説、 かつてのパラダイムの元では観測されるはずのないもの、 っていうものがノイズとして観測されてなかったと。 パラダイムが変わって、 そういうものもありえるんだよとなった瞬間に、 そういう天体の観測報告が相次いだと。 つまりパラダイム、つまり世界の認識形式が先にあって、 観測事実が見えてくるみたいな。 つまり我々の観測の能力っていうのは、 本当に世界を真っ白な目では見えてないというか、 常に何か目に鱗が入っている状態。 その鱗が、大西さんが鱗を申しにすんじゃなくて、 鱗を付け替えることができるというのが リベラルアースだと思うんですよね、まさに。 こういうように見える。 この立場からこう見えるよね。 違う鱗を入れてみたら、あ、こう見えるねっていう。 なるほどね。 それって何だろうな。 言語ともすごい近い話だよね。 要はそれに名前を付けました。 そうしたら認識できるようになりましたとか。 概念もそうだし、名字というものは何でもそうだと思うんだけども。 認知の授業をするときによく、 虹の見え方の話をするんだけども。 虹って何色ですか問題。 7色ですって言ったらニュートンだけども。 本当に7色なの?ってなると、 あれはもう別に何色でも答えになるわけじゃない。 間があるから。 分節の白でグラデーションだからね。 これを名前を付けて、 黄色って何で言うかっていうと、 黄色っていう色を認識できるだけじゃなくて、 社会の中で、ウィトゲンさん的に言うと、 黄色っていうものを使ったゲームを社会の中でやるわけじゃないですか。 赤信号、青信号、黄色信号みたいなときの、 黄色って使い方の仕様があるから、 我々は黄色という切り分けを社会的にしてると。 だから藍色という色を海外で見えてない国が多いっていうのは、 グルーとかあれは濃いグルーみたいな。 それはグルーとパープルの間のわけだけれども、 バイオレとか。 それを分けてないし、 名前が付いてないから見分けてないだけであって、 別に見えてないわけじゃないと思うんでね。 要はアジアのある部族だとか、 アフリカのある部族は、 虹が2色に見えてる、3色に見えてるっていう風に言うんだけれども、 それは本当に2色、3色しか認知されてないのかと、 そうじゃなくて、名前が付いてないんだよね、色にね。 彼らにとって分ける必要性がない。 社会生活の中で。 そうそう。 だから名前を付ける必要がないっていうのは面白い話で、 例えばアイヌの人たちが植物に名前を付けるわけだけれども、 食べられる植物にしか名前付けないんだよね。 食べられない植物には名前がないから、 知ってたら食えるんですよ。 めっちゃ便利な知識分け方だよね。 確かに。 これは見たことないし、 名前も分かんないなってなったら、 これは多分違う、やばいっていう風に。 そういう知恵ですよね。 やっぱり名前を知ることっていうのが、 人間の認知を拡大していくためにすごい重要なことなんだろう。 先にだから名前を想定するというか、 見えないものだとか、空間であるとか、 そういうものにすら名前を先に付けてしまう。 Xを想定してしまうことによって、 そこに入るものが見えてくるみたいなことはあるよね。 あれ、ここでも前に言いましたっけ。 海外で良いものっていうのは、 上昇とか上っていうモチーフがある。 日本文化における究極的なものは、 上じゃなくて奥っていう。 奥義とか奥の院とかもいいですよね。 奥に大切なものとか究極的なもの、 大切なものが奥に行けば行くほどあるっていう感覚。 上に登るではなくて、上昇ではなくて。 その段階で成長っていうものが良いものであるっていうのが、 既に近代的な西洋的な。 奥へ行けるかどうかっていうのが、 多分日本的な価値の。 面白いよね。 中国なんかだと、老子なんかは常然水のごとく死で、 下に行けばここ自然なんだ、いいんだっていう。 でも中国っていうのがもともと上を目指してる。 ものだったからこそ、そういう暗地が出てきたっていう話だと思うんだけども、 日本のこの奥、例えば日本の神っていう言葉の語源っていうのを山と言葉で掘ったときに、 奥まったところにいるから。 熊も山の奥まったところにいるから熊であって、 その熊と神は語源が一緒であるっていう、そういう説があるんだけども、 それはすごい納得がいくものなんだよね。 人里ではない、触れられない、秘密の奥の場所にいるとか、 生きているとか、存在するっていう。 その認識も奥って言葉が先なのか、 奥っていう、認識をしたから奥という言葉を名付けたのかが、 根性一体な気がする。 瞬間同時に生まれてる気はするんですよね。 奥はね、すごいロマンがあるね。 俺すごい迷宮好きなのよ。 この全く同じ流れを前もやったんだ。 奥の話をしたら前田さんが、 迷宮と迷路の違いがあるってことで、 思い出した。 迷宮はひたすら奥があるんだよ。 その奥へ向かう時に、 行ったり来たりしないと奥までたどり着かないからドキドキするわけだよね。 そこで、迷宮の中でのスリルだとか心拍感っていうのは、 行ったり来たりさせられている一本道において勝手に複雑になっているのは、 動いているのは心のほうなんだよ、道ではなくて。 道は変わってないですもんね。 道は変わってない。一本道なのよ。 だからこれってすごい、 例えば人の心に残ることを何かやろうと思った時に、 例えば僕は昔音楽を結構やってたから、 そういうことをやろうとした時に、 自分は複雑なものが好きだっていう、 そういう思い込みがあったのね。 だから複雑なことをやろうとすると、 当然複雑だから分かりにくくなるわけなんだけれども、 いかにいろいろな概念を一つのところに入れ込んで、 一つの構造物として作品を構築していくか、 みたいなことをすごく考えたんだけれども、 でも絶対逃れられないのが音楽って一本道なわけですよ。 シーケンシャルに始まりと終わりがあって、 時間的な経過が絶対あります。 あと和音の繋がりとかも。 そこにどんなに複雑怪奇なことを乗せても、 一本道だから。 これ迷宮だなと思ったんだよね。 だから迷宮として考えればいいのかと思ったときに、 ちょっとひとつ音楽の作り方が見えた気がしたっていう、 気のせいかもしれないんだけど、 そういうことがあったなっていう。 今のこの話で、 多分ファクトフルのやつと迷宮って繋がると思うんだけど、 僕も文章を書くときって、 最初頭の中に5本ぐらいの糸とか毛糸みたいなものが、 ぐちゃぐちゃに肩結びになっちゃってるような結び目がある。 これを解きほぐせるはず。 この角度でこうやって糸を引いていけば、 きれいに絡み合ってしまったぐちゃぐちゃな僕の認識とか思考が、 解きほぐせるはずだっていうときに、 それが文章を書くときに、 きっとこの話とこの結論は繋がるはずなんだよなっていう。 だからもうメイクセンスなものがあるはずだっていう感覚が先にあって、 特にファクトとかもある感覚を並べていく。 まさにシーケンシャルに、 この記述のこの言葉の次にこれ。 この次にこのフレーズ。 あるいはこの象徴的な言葉みたいなのを置いていくことで、 最後にやっと全体の、 6千字なら6千字、1万字なら1万字、 一章なら一章、本なら全体ならってときに、 そういうことだったのねっていうのが、 ミッシングリンクが埋まっていく感じ。 ファクトを並べても、 だって間に失われたミッシングリンク、 抜けがあると思うんですよ、ファクトとファクトを並べて。 ここにこんなものがあったんじゃないのって考えたり、 まさに仮説形成で、 この仮説形成自体に根拠がないわけですよね。 ある意味飛躍してるんだけども、 でも作業仮説、 だからこういう化石が発見されるはずだって、 まさにミッシングリンクの元の意味で言うと。 進化の過程の化石で、 ちょっと進化が飛んでるように見える化石があって、 間に中間的な生物がいたはずだっていう。 そうすると、だから掘ってみようかとか、 こういうものがいるはずだっていう風に予測が立つっていう。 それなんかさ、前に知事さんが言ってたさ、 3つのキーワードみたいなのと一緒でさ、 3つのキーワードを挙げた時に、 それは1つのシークエンスで繋がるはずであるっていう想定をするわけだよね。 その3つの点は全部飛躍があって、 1つのシークエンス上に、 普通だったらないと考えられてるんだけども、 間のシークエンスを埋めていくことで、 おお、一直線に繋がるじゃんってなるっていうね。 乗るはずだ、この一直線上に。 それをやるのが本を書くであるとかね、 1つの物語を紡ぐのもそうだし、 それがメイクセンスだわけですよね。 合わないはずだし、食い合わせが悪いし、 繋がらない1つの料理にならないはずなんだけども、 でも同じ料理だって、 とんかつにレモンをかけるってどういうことよって思うじゃないですか、普通に。 でも合うわけじゃないですか。 その予感みたいなもの。 だから僕すごくそういう意味では、 メイクセンスなものの感じがあって、 ファクトの蓄積では僕、料理ってないと思うんですよね。 ここにバターとレモンとこの太さのパスタだと合う気がするみたいなので、 料理人って多分やるわけじゃないですか。 あの混ぜ合わせる技法。 近代っていうだけ分ける技法なわけじゃないですか。 呪術として。 前にも言いましたけど、結合。 編集っていう意味で繋げるっていうことの部分っていうのが、 僕はその技術が編集だし、 ナラティブだし、メイクセンス。 この繋ぎ方をすると自分の感じていたものが、 とても腑に落ちるっていうか見えていたものが、 体の中に生まれ、心の中にわたかまっていたある風景が、 やっと輪郭を持つというか、像を結ぶというか。 なるほど。 同じ部分がないと、 違う部分は僕は活かせないと思うんでね。 例えばチームだとかもそうかもしれないし、 夫婦だとかもそうかもしれないけれども、 要は足りないものを補い合うのがいいチームだ、 みたいなことってよく言うけれども、 足りないことを補い合うためには、 必ず共通部分があることが前提だと思う。 オーバーラップする部分というか、 じゃないとそうですよね。 横にいるだけで一個になってないですよね。 その共通部分っていうのがあるからこそ、 それはシークエンスになる。 例えば今の料理の話で言うんだったら、 この赤ワインを入れてハンバーグを作ったんですよ。 だからこの赤ワインを出すんです、 っていうシークエンスの作り方っていうのがあるわけだよね。 なんで生牡蠣を食う時にシャブリを飲むのか、 みたいなのもそうじゃない。 シャブリのテロアールというか、 土壌は昔海中にあったから、 牡蠣の殻が土の中に成分として埋まってるわけだよね。 それができたブドウを使って作ったワインなんだから、 それは牡蠣に合うよねっていう、 その隠れたシークエンスがあるわけじゃない。 そうすると知識的にも納得だし、 飲んで食って負に落ちるっていうところがある。 そういう編集の仕方だとか、 世の中の意味付けというか捉え方。 統合的にセットで捉えるみたいなものは、 俺も好きなのね。 今の話でめっちゃ俺分かったのは、 編集っていうのはむしろ逆に、 例えばさっきの、なんでとんかつにレモンをかけると、 揚げ物にレモンが合うのかっていうのは、 逆に合わないものっていうのは何かっていうと、 喧嘩するって言い方するじゃないですか。 味が喧嘩しちゃってるっていう。 結局、さっきのファクトとファクトを繋げるっていう、 すごく僕は飛躍があるって言ったけど、 このファクトとファクトを横に置いたら、 喧嘩しないよなっていう感覚。 つまり矛盾がないっていう。 つまり、メイクセンスというよりも、 矛盾がなくなるっていう感覚かな。 なるほどね。 このファクトとこのファクトを、 多分一個の原因と結果というか、 相関があって、 おそらくこの二つの出来事が誘発されるような バックグラウンドに何かがあるとすれば、 こういう見えてないファクトが、 見えてないファクトってすごく、 もしかしたら陰謀論的なのか、 よくないかもしれないんだけど、 見落としてるファクトでいいから。 見落としてるファクトがあるかもしれないっていう風にして、 探求するっていうことは、 新しい見えてなかったファクトを導入、 もし発見されたとすれば、 ここが無矛盾になる。 つまり喧嘩しなくなる。 つまり一致する部分が出てくるっていう。 そうだから、 このファクトとファクトが喧嘩しちゃってる。 これは喧嘩しないナラティブだっていうのを感じさえすれば、 編集ってそんな意外と超高度なものでもないんじゃないかと。 そうなんだ。 それがさっきの、 あると思ったら初めて発見されてくるみたいな話と同じで、 できると思ったらできてくるわけじゃん。 って話だと思うけどね。 特にフに落ちるってさっきね、 メイクセンスを言い換えたらフに落ちるって意味だっていうのは、 本当にその通りで。 そうですね。 僕は理にかなうっていう、 理の字が結構好きで、 まさにメイクセンスって理にかなうっていうのは、 英語で言うとリーズナブルになっちゃうけども、 リーズンっていうよりもメイクセンスなんですよ。 意味を成すっていう。 メイクセンスっていう英語はすごくよくできた表現だと思うんだよね。 センスを作り出すとか意味を成すって感じですよね。 作るというよりは日本では成るっていうね。 作るじゃなくて稲が成るとかね。 秋になるとかだから成るっていう発想ですけど。 それが意味として受け取ることができる状態になってるってことだよね。 意味の果実としてこの世界に確実存在し始めるっていうか、 それまでなかった意味のためみたいなものが、 ちゃんと意味の身となって我々の生活に何か行動をもたらしたり、 良さだったり、世界を見えるようにもたらしてくれるっていうような。 そうなんですよね。 なるほどな。 メイクセンスっていう感覚は僕よく言うんですよ。 だからそれはメイクセンスな気がするなってよく言ってて。 おしゃれだね。 そうですか。 俺も言っちゃおうかなって。 つまり判断できるわけじゃないですか。 でも今の時代は判断しないっていうのが一つの知的お作法みたいな。 まあまあそれはあるよね。 保留するっていうのはそうなんだけども。 でもそれこそシーケンシャルに僕らが生活してるわけじゃないですか。 現段階では僕はだいぶメイクセンスだと思ってるよって。 つまりこの仮説は妥当だと思った上で行動してみたら、 もちろんその仮説が棄却されるある事実が出てきて、 整合性が担保できなくなった瞬間に手放さなきゃいけないっていう、 その潔さが必要なんだけども。 判断は仮止めでいいのよ。 今の自分には負に落ちた気がするでいいわけでさ。 だから保留にすりゃいいってもんでもないと思うんだよね俺は。 分かりませんって言えるのが誠実な態度ってなるかもしれないんだけども。 現段階で私はここまではこうだからこう思ってます。 それが今の私の腹落ち。腹落ち70%ですみたいな。 そうそうそうそう。そこもシークエンスだからね。 下にはもしかしたら減るかもしれない、増えるかもしれないし、変わらないかもしれないしだけど、 01ではないと思うんですよね。 メイクセンスって程度の間隔があるからいいですよね。 一定水準を超えたらメイクセンスって感じ始めるみたいな。 俺もリベラルアウトの授業だとかする時に、 01ではなくて必ず10段階でいくつくらいっていう答え方をするように言うんだよね。 例えば賛成か反対かだったら、一番賛成なのは10です。 一番賛成じゃないのは1です。さあ、いくつ?みたいな。 何事においてもそういう答え方をする癖を一回つけてみましょうみたいな。 そういう和談的な考え方というか。 西洋的ではないですよ、その感覚って。 大事なんだと思うんでね。 デジタルにどう抗っていくっていうか、 デジタルとどう共存していくのかっていう時に、 やっぱりそっちに目を向けていかなきゃいけないよね。 デジタルな学びの中とかデジタルな環境の中だと、 デジタルにかなわるわけないのにデジタルに寄っていっちゃうから、 そこは意図的に教育の現場でも作っていかなきゃいけないかなと思うよね。 デジタルって判断の簡潔というか、 この基準に達したからゴーですとかってなるけど、 もうちょっと淡いの部分、微妙な部分って絶対あるし、 そこが人間の頭の使いどころとか勘どころな気がしていて、 判断できないものに耐えられるっていうのが、 僕リベラルアーツというのは一つの鍵。 要はまたネガティブケイバビリティ。 つまり判断ができないけどここは決断をしなければならないみたいなところに 耐えられるっていうのがリベラルアーツというか、 自分の心とか自分の感覚とか言葉を信じるっていう、 アナティズムにもなると思うんだけど、 僕よく冗談で言うのが、 私今楽しいって感覚で合ってますよねって、 最近のビジネスまで聞きかねないんじゃないかと思ってて、 これ今私愉快な状況と言っていいんですよねって誰かに聞きそうな、 本当に星一のショートショートみたいな、 全てにAIが来て正解が出るようになった時に、 今私の状態は楽しい状態ですかって人に聞きかねないみたいな気がしていて、 それはあなたが楽しいと言えばあなたが楽しいなのし、 楽しくないなと思うんだったら楽しく、 どれほど周りが盛り上がっても楽しくないしっていう。 この間行ったイベントでさ、 日本地図がバーっと貼って入り口に、 どこから来ましたかってお客さんがそれにシール貼ってくるみたいな、 そういうコーナーがあって、 しばらくそこで観察してたんだけども、 何組も何組もそれ見て、 結構日本全国から来てるわけよ。 こんな遠くから来てる人がいる、やっぱりすごいイベントだったんだねっていうような、 そういう可視化の仕掛けなんだ。 そういう仕掛けなんだ、すげえと思って見てたのよ。 ちょっとメタな驚きですよ。 そうそうそうそう。 やりおるな。 それはいいイベントだ、やっぱ来てよかったっていうのは、 あなたが決めなければいけないのに、 それを見て安心するわけ。 あ、こんなに遠くから来てる人がいるんだから、 やっぱり私はここに来て正解だったんだわっていう風に思わせるためのマップ。 これ悪いなって思いながら見てて。 すごいな、こうダンスのそれ。 考えた人、頭いい質問。 そういう人の手法があるんでしょうね。 だろうね、たぶんね。 それ、興味深いですね。 すごい、俺10分くらい見てたんだけど、 3、4組ほぼ同じ会話をしてた。 北海道から、あ、ここからも来てるみたいな。 こんなにたくさん来るなんて、やっぱすごいとこ来たね、私たちみたいな。 面白い。 そうか。 まさにデジタルな感じですよ、それってまさに。 そうだね。 別に他者の判断に委ねるというメタ認知があれば。 ここは判断ができないから。 委ねないっていう選択を取ることができるなら別に委ねていいわけじゃん。 ここは嫌だ、自分の心に従うよとか、 ここは自分の今初めての場所だから、 あるいは今自分が例えばワインを選ぶときに、 どれがいい選んでいいか分かんないから、 信頼できそうな人に頼るっていうのも、 この人に判断を保留するか、判断を委ねるっていうのもっていう判断じゃないですか。 ワイン今自分が選べないから、 お店の人に聞いて、 お店の人のこれ今すごく売れてるんですよとか、 こういう賞を取ったワインなんですよときに、 今日は分かんないからこの人に委ねよう。 賞という権威とかに委ねようっていう、 自分が判断できればいいんですけど、 自分の判断がどこにもないって思っちゃうとか、 全てをその外的な評価とか指標によって依存してしまうっていうのは、 やっぱりちょっと虚ろになっていって、 最終的には、私今これ楽しいって感覚で合ってますよねってなっちゃうみたいな。 いや、知らんがなっていう。 そうね。 いや、割とね、一歩二歩手前まで来てる気がするんですよ。 今これ私愉快な状況って合ってますよねって。 なんか人に聞いてしまいそうな。 自分の中にあるものなのに。 今のこの振る舞いは、ここの場では正しいマナーですかとかなら分かるんだけど、 それ外のものだからね、あくまでもね。 いや、私はこれがマナーだと思ってるんだっていうのは、 マナーの概念に反するから、 それはいいんだけど。 だからやっぱり自分の内側を発露するじゃないけれども、 内側を見てても大丈夫な場っていうのに、 ある程度居続けていないと、だんだん分かんなくなっちゃうんじゃない? 外の基準でみたいな。 さっきの話、名前を付けてやると同じでさ、 言語化するってことをしてないと、分かんなくなっちゃうんだと思うんだよね。 自分の感覚に名前をちゃんと定期的に付けるっていうか。 感覚を言語化するってことをしていないと、 自分の感覚が捉えられなくなっちゃうっていうか、 見分けられなくなってしまうみたいなところがあるんだと思うんだよね。 それこそだからヤバいとか、熱いとかエモいとかになっちゃうみたいな。 もうちょっとそこを分けて、それでいい時もあるけどもみたいな。 自分の心をちゃんと聞いてくれる他者とか? あなたは今何を感じたの?とか、あの時何を感じたの?って聞いてくれて、 そうなんだねって言ってくれる人が言葉にする機会がない? そういう話が好きな人と話をしてると、 言葉じゃないんだよ、感じようよみたいな路線に行くことがすごく多い。 別に俺それに対して反対してるわけでもないんだけど、 言葉があるからのエモさもあるし、 言葉があるからよりそこが出てくる感情っていうのが、 人間の場合必ずあるよねと。 だからやっぱり中央を行くじゃないけれども、 ある程度身体によった感情というものを感じられることと、 ある程度言語的に感情を感じることっていうものは、 両方バランスよくできる人が一番感度が高いと思うんだよ。 人として。 確かに本来言葉の一つの語感、言葉の感覚で語感、 言葉の感覚、語の感覚で語感も本当は それは固有性があるじゃないですか。 例えば同じ意味だけで、類語っていろいろあるじゃないですか。 だけどこの文章のここはこの言葉じゃないと僕は違うんだって感じる時あるじゃないですか。 それでやっぱり言葉がただの器ではなくて、 ちゃんと受肉してる言葉? 言葉って僕受肉すると思うんですよね。 口体を持ち始める時の音がただの音ではなくて、 文字になる、言葉になるって絶対あると思うって言って、 言葉を受肉させるためにはやっぱり自分の心と言葉の行ったり来たりがないと 言葉が受肉しない。 いつまでたっても言葉がただの道具になって、ラベルになって、 そうじゃなくて、この瞬間だけを切り取る言葉が受肉した個性のある言葉。 例えば平和って言葉でもいいし愛って言葉でもいいしいいんだけど、 僕は感覚的に毎回顔が違うんですよね。 なるほど。 言葉を発する時って。 これがまず受肉してる感じ、個性があるというか、同じ言葉でも。 そういう感じか、なるほどな。 愛って言葉でも、ここで俺が言う愛ってこと、ここに出てくる愛は別人なんです、これはみたいな。 受肉してる身体と顔が違うんです。 声が違うでしょ、この子たちみたいな。 それくらい言葉って、 同じ言葉をしゃべってないし、 二度と流れに足を突っ込んだけど同じ川には触れられないという話みたいに。 ヘラクレートするね。 顔の方向であれだけ。 ユッカの流れは大図してね。 同じように、もう二度と同じ言葉を吐けないという感じ。 それから一回性の、 これが養老さんの言う情報と情報家の違いみたいな。 情報家って言ったら死んじゃうって僕もされる。 面白いのが、 魔術の話も加えられると思うけども、 全てが一回性である。 で、それを受肉するというふうにチーサンは言ったけれども、 例えば元々の言葉っていうのは、 こと、まことと、ことこと、言葉のことというのは元々同時だったわけで、 元々受肉してるものなんだ。 受肉というか肉があるものが言葉だったわけだよ。 リアルな骨格というか物体としてある。 言葉にした時点でそれは真実だったわけで、 それにさらに横顔があるとか、 ちょっと違う個性があるみたいな話をしてるわけだよね。 まさにその存在こそが魔術の言葉だよ。 呪術の言葉だよ。 一回出しちゃったら物になってるんだっていうのって、 まさに呪術的ですよね。 伊津俊彦はやっぱり声がなぜ呪術的な力を持つかというと、 息に、まさに呼吸。 僕らの呼吸っていう息がそこに込められてるから受肉するんだみたいな。 受肉という言い方はしなかったけども、 まさにキリストが、神がアダムを作る時に、 土をこねて息を吹きかけるんですよね、神が確か。 それで受肉というか魂がそこに宿るっていう。 僕最近まだ勉強したばっかだからなんですけど、 キリスト教って神様がね、最初のアダムというのは人間、 手を使って手作りをしてくれるけど、 動物たちは言葉で命令するだけで動物たちが地球上に発生するっていう。 人間だけは神様が手作りで、 しかも一つ一つちゃんと息を吹き込んでくれるっていう。 まさにインスパイアーですよね。 密教の世界でもあれって呪文だとかね、 それは文字として残っているわけでも、 実はその呪文を言う中でとか言った後に、 何回フッフッフッって息を出す、 込めるっていうものがセットになっている。 その部分は記述されていないから伝わっていないものが多いんだけども、 かなりの確実率で、その苦闘点ぐらいの確率で、 フッっていうのを入れるのよ。 空海なんかもそうだけどね。 何なんでしょうね、呼吸規則っていうものを込めるということの、 メタファーなのか実際のものなのか。 やっぱり呼吸があるものには生命が宿るというところはあると思う。 昔、デジタル楽器がブワーッと出てきたときに、 打ち込みで人間にはありえない音っていうのが出せるようになったわけで。 例えば、そんなに息続かねえよってトランペットの旋律であるとか、 そんな刻むのは無理っていうドラマのドラミングであるとかっていうものができたときに、 それってすげえんだけれども、良くないよねみたいな感じになったんだよね。 じゃあ、可能なんだけれども、 息継ぎのポイントを入れようかみたいな打ち込み方っていうものが出てきた。 ナチュラルに感じるように自然な拍を入れる。 人間だったらここで息継ぎあるからっていうことを プログラムの中に入れ始めて、 そうしたら一気に打ち込み音楽って進化したわけだよ。 それって多分魂がこもったっていうか、 我々がそこに生命力を感じるっていうものは呼吸してるんだと思う。 それは物であれ言葉であれそうなんだと思うんだよね。 まさにだからこれイズ・トシフィコの方にも、 だから僕らは死ぬことを遠距離的に息を引き取るっていう、 息が止まるとかね、息もできないとかっていう、 息を使う表現ってめっちゃいっぱい確かにありますよね。 呼吸が合うとかもね。 馬が合うとどういった意味も呼吸が合うっていう言い方とかね。 あうんの呼吸っていう。 確かにさっきの奥っていう話と同じくらい、 呼吸っていうものは侮ってはならないかもしれないですね。 そうだね。 ただ呼吸って現代人からすると思うし、 だけどこれは呼吸が合うとかさ、 あうんの呼吸、呼吸って言い方するし。 やっぱりリズムを裏打ちしているのがまさに裏付けているのが呼吸。 呼吸を乗せることができないリズムには多分我々乗れないんで。 合図とかも実は呼吸の動揺なのかもしれないですよね。 なるほどね。 意外と僕らって間の呼吸に感動して、 今日はすごくいっぱいお互い喋れるねとかって、 気が合う人とか話がめっちゃ盛り上がる人って呼吸のBPMが合ってるとかっていう。 そうそうそう、それはそう。 呼吸でBPMを合わせられるんですよ。 これ理解できるんだよ。 きっと。 たぶんよくさ、警長する技術とかいろいろあるじゃないですか。 あるね。 呼吸だと思うみたいな。 そうね。 それは確かに呼吸の技術なんだと思う。 内容ではたぶんなくて、 呼吸、目線とかいろんな技術あるんだろうけど、 たぶん意外と書いてあるのかな、そういう警長とか、 リッスンってほうがあったけど。 警長の本にあるかどうかわかんないけれども、 心理学の本かなんかでは、 例えば相手にリラックスさせられたとか、 相手に親愛の情報を抱かせるためには、 相手と同じタイミングで呼吸をする。 子供だとかもそうだし、赤ちゃんだとか、 同じタイミングで呼吸をすると、 だんだん安心するみたいなこととかっていうのはあるよね。 やっぱり身体的な動機とか、 動調とか、狂信みたいな。 そのメタメッセージなんでしょうね、たぶん、 なんかの良さって。 いや、そうだと思うよ。 だからそれを人工的に作り出そうみたいなのが、 たぶんミラーリングみたいな技術ってそうでしょ。 目の前にいる人と同じ動きを同じタイミングでしてると、 勝手に仲良くなるような話とかさ。 僕らって思うと、たぶん自分の身体を拡張できてるんでしょうね、 それってきっと。 動調するものは自分の体の一部というか、 延長だって感じれるみたいな。 そう、だからその動調の、 例えば僕はミラーリングっていう技術に関しては、 そんなにどうとも思ってないのね。 それはすごく視覚優位の話だからね。 だけどそこに呼吸を合わせるってことが出てきたときに、 それはもう身体でシンクロしてくるわけじゃない。 時間間も合うしね。 そうそうそうそう。 呼吸を合わせるってことって、 呼吸さえ合わせれれば、 あとは勝手に動調するっていうか、 シンクロする、シンクするのかもしれないですね。 呼吸だけ合わせればみたいな。 確かに。 まあ、あれだからそうっすよね。 吹き込むっていう感じのところで、 アニメーションもね。 アニマを吹き込むからね。 声優さんとかが。 だから声優さんがすごく人気というか、 すごく人の憧れる職業なのが、 やっぱり息を吹き込むからですよね。 映像というか。 完全にそうですね。 物性物に、あたかもそこに人格のある一つの、 名前を持った存在が樹肉する、 その魔術ですよね、まさに。 声を乗せる、呼吸を乗せることによって、 樹肉させるわけですよ、キャラクター。 平面の二次元画像でしかなかったものが、 樹体樹肉するのか。 体を持ち始める、魂を持ち始める。 僕は声優さんがすごい。 実際声優さんがアテレコしてるやつ見ると、 びっくりするじゃないですか。 本当に映像の声になってるっていう時に、 やっぱりあの驚きは、 目の前でマジックを見てるからだと思うんですよね。 とんでもないマジック。 とんでもないマジック。 しかも職人芸のレベルの。 次元を超えてる人がすごいのよ。 例えばパペットだとかに、 声を当てるっていうものが、 自分自身の体を使って演技をするのが、 次にあると思うんだけども、 そこまではまだ三次元の世界で、 それが二次元だったり一次元だったりっていうものに、 生命力、生命を吹き込んでいくものだからね。 生命が吹き込めるはずのない場所に吹き込んでるっていう。 確かに。 だからラジオっていうのもね、 やっぱり文字とは全然違うよね。 ね。 最近だからポッドキャストとかって、 YouTubeにもあるけど、 Spotifyでも聴けるように、 映像がなくても聴けるようにみたいなのが、 結構多いんですかね、確か。 増えてるね。 画像ありで見たいっていう人って、 やっぱり音だけでもいいっていう。 楽譜もそれがありますよね。 映像が見たいか音だけでいいかっていう。 結構あるじゃないですか。 楽譜なんてまさに、 呼吸の芸術っていうところもあるかもしれない。 そうだね。 コワイロの問題もあったりとかもあるんだろうけど、 呼吸の。 でもやっぱりこれって割とみんな、 進化位置でやってる気がするんですよね。 そうだろうね。 話が上手いとか人引き込む、 例えば授業ができる先生とかも、 呼吸が知らず知らずに、 若かりし頃、授業の中でトレーニングしていって、 生徒が乗った瞬間を自分でフィードバックして、 この呼吸方法だなって、 絶対自覚ないんだけど、 暗黙地なんだけど、 多分やれてる気がするんですよね。 そうだね。 やっぱり合わせさせる技術、 あるいは合わせる技術、 どちらかは確実にあるよね。 あるいは相手に乗る技術か、 乗ってもらう技術かとかね。 そうね。 呼吸って意外と、 掘りがいがあるやっぱりキーワードだし、 生命の象徴だし、 シンボルだし、 言い換えるときにね、 息を引き取るとかね、 あるし。 それが僕らが呼吸するっていうのが、 生き物の中でちょっと特殊なんですかね。 呼吸って生物用語、 学用語でいうと、 ちょっと抽象度高い、 物質のやり取りっていう意味だから、 消化とか吸収と同じような呼吸っていうね、 本当に息を3つ吸ってとかじゃなく、 もうちょっと特殊なやり取りのこと、 エネルギーの交換のことだから。 僕の中で割とトリビアルな、 呼吸がそんな特殊な意味を持つなんてと思ったけど、 今の話聞くと、 確かに生命あるものしか息しないよね。 確かにリズムの象徴。 あれですね、 これも話しかけないもん。 仏教とか密教の修行って、 瞑想するときって、 座禅訓練するとき、 自分の呼吸音が聞こえなくなるとやばいっていう。 もう無明の世界というか、 帰ってこれなくなっちゃうから、 自分の呼吸の音のリズムだけを頼りに 戻ってくるみたいな。 意識の世界にちゃんと。 そんな話を聞いたことがあって。 逆に呼吸のコントロールすることによって、 あっちの世界に行くなんていう、 修行とか、 魔術とかは多いわけで、 なるべく長く息を吐くことで、 リズムも作れるし、 三欠忍もなるしみたいなね。 三欠状態で意識が特殊な状態に変わるっていう。 変性意識でね。 まあ、というわけで、 今日のところは、 結局メイクセンスも呼吸なんじゃないかっていう。 最初は無理やり結びつけると。 いやでも、 俺は腑に落ちる派なので、 もともと呼吸を感じられないものっていうのは、 多分メイクセンスじゃないんだよ。 確かに。 意味があるっていうことだ。 それがセンスとしてメイクされたってことは、 生命力がある話なんだよ。 生き物になるはずっていうか、 存在になるはずっていうね。 ただシークエンスに並んでるだけとか、 ただ因果律の話じゃないと思うんだよ。 それが受け入れられるっていうのは。 存在として生きてるんだと思うんだ、それが。 メイクセンスになった瞬間、 まさに一つの有機体。 矛盾なく一つが全体を成す。 まさにそれって我々の身体の組織。 生命ってそういうもの。 一つ一つのパーツは機械論的だけど、 一つがそれが有機体として、 何か機能し始める。 動き始める。 自立し始める。 仮説もだからそう。 僕もだから仮説って受肉するかとか、 真か偽かじゃないですよね。 受肉するかしないかみたいな。 血が通うか通わないかみたいな。 こういうメタファーも使うか、 呼吸が合うとか、息を引き取るとか、 息と話とか、血が通うとか血みたいな。 血の毛が引くとかっていうメタファーもあったり。 生命の象徴が血と呼吸みたいな。 そうだね。 確かに。 まさか僕、メイクセンスが受肉みたいな部分とか、 肉体を持つとか、物体として存在し始める。 そこまでのリアリティって思ってなかったけど、 でもそのレベルで僕、 メイクセンスだって感じてるなって思いましたね。 ちょっといいテーマでしたね、今日はね。 はい、というわけで、 今日はこんな感じで。 どんな感じで。 何回何回。 いつもより真面目じゃねえかって感じですけれども、 今日はこんな感じで、 生放送の方は終了したいと思います。 ではまた来月皆さんお目にかかりましょう。 お耳にかかりましょうですね。 はい。 お耳に。 ヤギでした。 近内でした。 どうも。 もっと見る #哲学 #教養 #言霊 #リベラルアーツ #身体知 #近内悠太 #矢萩邦彦 リベラルアーツ探究実践Radio矢萩邦彦|ArsCombinator41:231.【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』メイクセンス編https://kmk.jp.net/vo/コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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