TOPトーク専門家リベラルアーツ探究実践Radio【対談】知窓学舎放課後職員室#3[出版の意義]38:50 2025年6月18日 122再生 問題を報告する 再生する シェアする 知窓学舎塾長 矢萩と副塾長 前田が授業後に知窓学舎と教育界について話す新コーナー。毎月第2火曜日21:10より生放送予定。AI目次出版の経緯と、対談相手との出会い教育における異なる視点と共通認識出版という行為の意義:教育へのインパクト紙媒体の持つ力とデジタルとの融合これからの教育と出版の未来像AI文字起こし(β版) # 【対談】知窓学舎放課後職員室#3[出版の意義] みなさんこんばんは。地層学者のヤハギです。 そして、地層学者の前田です。 はい、というわけでですね、地層学者放課後職人室のコーナーということで、今日も授業の… たった今終わって、今生徒がみんな教室から出ていったところかな? そうですね。 というあの、まだ熱気冷めやらぬ教室からお送りしておりますけれども、 5分前ぐらいまでいましたね。そうですね。 何かやるって言うと、なかなか帰らないですからね。 でも、ぼちぼち知ってるはずなんだけどね。 彼らは帰りながら聞いているのでしょうね。 今日は何の話しましょうか。今日は出版の話を少ししたいなぁと思っております。 まず、ヤハギ先生ご出版おめでとうございます。 本当は出版しました!イエーイ!みたいな放送をね、それこそボイしてていい。 普通やるべきでしょって言うから、そのためにやるんじゃないの?みたいな感じなんですけど、 実はまだやってないんですよ。出版後初の放送、これ。 本当ですか? 何やってんだよって感じですけど、他にちょっといろいろやることがあってですね。 もちろん中身、私、ザーッと読ませてもらえれば。 超中学受験論、二見書房さんから出させていただきましたけども。 ちょっとその、何でしょうね、経緯みたいなところもそうですし、 あと、やっぱり今このご時世で出版するってどれぐらいのインパクトがあるんだろうなぁみたいな、 それと可能性だとか限界だとか、何かちょっとそんなこともお伺いできるというか、お話しできるというか、いいかなぁとちょっと思っております。 なるほどね。出版ということについてね。 まずちょっと先に、単純に私が聞きたいんですけども、 今回大田俊雅さんとの対談本を出しませんか?とか、出しましょう?みたいな話になったのは、 それは二見書房さんから依頼が始めたのもその対談本? そう、二見さんから。前に僕が出した本の、中学受験を考えた時に読む本っていう本があって、 もともと養成者さんから2018年に出した本なんだけれども、 あの本を二見書房が再版したいと。 その時に情報版として改訂をして、真相で全部出したいと。 その時に、9番ではなかった対談を入れたいっていう話になって、高浜さんと大田さんが入ったんですよ。 はいはいはい、そうですね。確かに9番にはそのお二方がいらっしゃなかったですね。 で、それを読んだ二見の担当者が、「ヤハギさんと大田さんの対談、これちゃんとやった方がいいんじゃないですか?」みたいな感じになって、 それでちょっと企画を提案してくださったっていう感じですね。 じゃあそれはもうなんか、あの情報版に載ってる、ちょっと短めの対談だと勿体ないというか、 もっとすっこんでかかってもらった方がいいんじゃないか? そうですね。だから三味さんサイトとしては、この二人に中学受験をまるっと語って欲しいみたいな、そういうオーダーですね。 そういう形でオーダーがあって、じゃあそこにもっといろいろすっこんで対談しましょうっていう話になって。 そうですね。 なるほど。でも結構あの本って、中学受験論、中学受験っていうタイトルを感じていながらも、結構それ以外の話、 本当に生き方とか、神前美とか。 もともとは人生の本なんですよ。大田とヤハギが人生を語るみたいな、そういうやつで。 一応中学受験を切り口にしようっていうのは最初からあったんだけれども、でも中学受験を切り口に、中学受験の話してもただの中学受験本になっちゃうし、 そもそも今の中学受験の潮流、昨今の潮流に対して、僕も大田さんもどうなのって思ってるわけなんですよ。 で、面白いのが僕も大田さんも、今みたいな働き方を始めてもう30年ぐらい教育に関わってるわけなんだけども、僕は実践者なんですね。 ずっと現場に立ち続けている人間で、でも方やジャーナリストもやっていると。 大田さんは一回学校の先生やってるんですよ。だけどご自分には向いてないというか、教えるんじゃないな。でも教育には関わりたいっていうところで、じゃあ教育ジャーナリストに軸を移そうと。 その中でカウンセラーの仕事だとかもされたりしてるんだけれども、似てるようで全然違う。フィールドは一緒なのに全くかぶらないっていう関わり方を我々は30年間してきたと。 で、その2人が言ってることが大体同じなんですよ。 そう、私はそこがすごくあの本の興味深いところだなと思って。アプローチというか、教育界でどう活躍されてるかっていうところは全然違うのに、でもすごい衝突したりとか、そこは違うよねみたいな。 そういう語りはあんまりなくて、むしろ同じような問題、近い問題意識があって、それを違う角度から見てるみたいな。そんな風に。 そうなんですよ。結局言いたいことは同じですよね。だから対談の中で、先にどっちが話すかで、「ヤハギさんどうですか?」 やっぱり大体同じなんだけどっていう。お互いそれの応酬なんですよ。 だけどその中で、いや大体同じってことは少し違いがあると。その違いを明確になるように話しましょうみたいなことになってああいう。 大体同じなんだけど、太田さんは冒頭にもありますけれども、ちょっとカウンセラー型で、人は変わらないもんだし、変えようと思うことはおこがましいというのが太田さんの考え方。 僕は人は変わるもんだし、変えようというモチベーションがなかったら、そもそも教育は滅びるんじゃないかと思っている人なんですよ。 変えてやろうというのは、僕も太田さんも同じようにないんだけれども、でも変わると信じてやっているし、変わるために何ができるだろうかということを種まきをするもそうだし、背中を押すもそうだし、そういうことを効果的にやっていくというのが教育者の仕事だろうなというふうに僕は思っている。 太田さんは、みんな答えは自分の中にあるんだから、自分で考えて、自分で何とかしてくださいというスタンスなんですね。だからそれに気づかせるみたいな。 そこが我々の一番違うところ。また違うところといえば母校愛ですよね。太田さんは母校大好き人間で、僕は自分が通ってきた学校、別にそんなにお世話になったつもりもないし、別に好きじゃなかったので、不登校だったぐらいですから、そこが大きく違う。 だけどそんだけ学校への関わり方が違うのに、中学受験、塾に対するまなざしとか、学校に対する理想だとかというものがほぼ一緒なので、じゃあそうなんじゃないの?という。それをもうちょっと広めていった方がいいよ。だって完全に僕らが言っていることはマイノリティだからね。 今我々が本で語ったようなことが、マイノリティであること自体が不健全の極みなんですよ。そこを変えていきたいという、唇を切る本ですよね。 でもそれは初めからマイノリティ的な考え方があって、でもそれがマイノリティなのはおかしいよねみたいなのを、塾にあの本を作ろうみたいなのは初めからそういうコンセプトだった? 僕も太田さんも教育虐待をなくしたいというのはすごいあるんですよ。太田さんはそれにプラスアイファーで教育格差をなくしたいとかね。そういうものをなくしたいというのがあって、僕もだから教育虐待はなんとかなくしたいなと。 じゃあ今の過度な中学受験熱みたいなものは、やっぱり教育虐待に直結しちゃってるし、何よりも僕は現場で見てて、子供たちが全く楽しそうじゃなくて苦しんでるみたいなことをたくさん見てきたから、現場を知ってる人間としてダメな空気しかない場所もあるわけですよ。 もちろんダメな空気しかないって言っても、その中で楽しんでる人だとか、その中でそこで頑張ってる自分に意味を感じているとかね。頑張ってること自体に意義を感じて成長を感じているって子もいるから、それはそれでいいんだけども、全然そうじゃない子たちの方が多数派だぜっていうところなんですよ。 だから僕は大手塾批判をしてるけれども、善意批判ではないんです。その中で上手くやってる一輪切りの子に対してはすごくいいところだと思う。あのやり方でいいと思う。だけど大半の人がお客様になってるんだよ。辛いし成長もしていないし勉強が嫌いになるっていうのが一番ダメなやつですよ。そこはね、なんとかしたいんですよね。 ある意味それって、今回副大に参りまして、成長と充実の真逆みたいなことが、この学校に置かれたべという美名の下に行われているみたいなところですよね。 本当に課金ビジネスになっちゃうというか、しやすいんですよ。成績で煽るとか合格で引っ張るというやり方はね。何度も何度も言ってるけれども、近代資本主義というものと理想的な教育というのは全然相性が悪い。理想的じゃなくても、そもそも教育と相性が悪いんですよ。 そうですね。マネタイズだって大変ですし。マネタイズしようと思ったらそうやって不安を煽って、そこに価値があるんですよっていう風に言ってそこに、じゃあこのお金を払ってくださいねってしないとない。資本主義社会の中のシステムとして成り立ちにくいっていうところ。 歴史的にもスケールする組織になり得ないものなんです。ちゃんとやってたら。だから地方ごとに大学があったりとか、それが一番でっかい組織であって、それ以上は無理ですよっていうモデルなんですよ。 それはもう世界中どこでもそうで。それなのに関東一円を支配する塾とか、全国ネットの塾だとか出てくるわけじゃないですか。 そのシステム組織っていうものを守るために何を差し出してるんですかっていうか、そのために何を失ってるんですかっていう部分が、失ってる部分が教育に対して僕が一番大事だと思っていることを全部みんな犠牲にしてスケールしてるんですよ。 そこをもっとおかしいと思った方がいいっていうかね。 そうですね。今なんとなく思い出したんですけど、昔ちょっと前に業界地図っていう、毎年東洋経済新聞の話のやつあるじゃないですか。 あれは例えば自動車だったらココンとかいろいろあるとかで、教育って今どういうところがスケールがでかくてそういうところに乗るんだろうみたいなのを見たときに、1位は米制なわけです。それはだって当然いろんなビジネスがやってるし。 そこは納得して、2位が学研だったのかな。そこもいいとして、そこの次の3位、4位、5位とか6位とかがもうのきのみ塾みたいな。 もちろん米制と市場規模は一桁違いますけど、塾っていうものがこんなに幅を利かせる業界みたいなのって、それでいいの?みたいな。 それは業界地図を見たときに初めて何かいびつだなって思ったんですよね。 あんまりそういうままでは塾をビジネスとして見るとかっていう視点は私の中でそんなになかったんですけど、初めてそれを目の当たりにしたときにちょっと背筋が寒くなったのを覚えてますね。 やっぱり対話がベースなわけだし、職人的な世界なんですよ、教育っていうのは。 すごくいいものっていうのはチェーン店では出せないわけじゃないですか。食とすごくそれは近くて。 だからチェーン店は確かに同じ味、ハンバーガーとかもそうだけど、どこで食べても同じ味ですよ、同じ値段ですよ、安心ですねっていうところが価値なわけじゃないですか。 だから教育においてもそれが価値だって思うのであればそうなんですよ。 確かに個人塾だとか個人の家庭教職を見たときに当たり外れが激しすぎるの。 それはそうですね。 だから大手塾批判をしてるけども、個人最高と思ってるから全然そんなことはないから。 だけどもやっぱり本当においしいものを出すのは個人商店だよね。個人の職人さんだよねっていうのと全く同じで、 教育も本当にいい教育をやってるのって、自分で旗掲げてちっちゃい学び場を作ってる人たちですよねっていうのはもう江戸時代からずっとそうなわけで。 スケールすることによって教育っていうのは希薄していってしまうというか、すごく薄っぺらくなってしまう。 例えばね、食というものが栄養を補給するだけのものだっていうふうに考えているんだったらチェーン店でもいいと思うんですよ。 だから安全性が高くてそれなりにコスパが良ければいいかもねっていうそういう価値観の人だったらむしろその方がいいのかもしれない。 でも教育において栄養だけ取れてればいいよねみたいな部分って果たしてどこなんだろうっていうのはすごい難しくて、 じゃあやんなくてよくねってなるんですよ。そんなこと考えるぐらいだったら、別に生活してて学べることなんかたくさんあるんだしね。 それこそ本物の探求じゃないけれども、教科書だとか受験とか一切関係ない中で好きなことに没頭してたら勝手にその中から学んでいくんだからそれで十分じゃないですかっていうのは俺はそうだなと思うんですよ。 じゃあそうなった時にあえて塾に行くとかあえて学校に行くっていう選択をするのであればやっぱり質が良いものの方が良くないですかと。 じゃあスケールしているそのやつってそれいいですかっていうものすごいなんかシンプルな疑問があるんですよね。 もちろんそういう疑問を自分が持っているからこそ大手塾では絶対にできないこととかやってないことを地層学者でやろうと思っているし、地層学者以外のところで僕が担当しているところも全部それはやろうと思っているしね。 別にそれは普通にできることだと思っているし、それをどのように伝えたらみんながなるほどな。 例えば地層学者に来てくださっている方々は多分それはそうでしょって思っている方が多いんだけども、そうじゃない人たちにそれを伝えて僕らみたいなことをやっている塾が日本中世界中に増えていってそれぞれがやっているところにそれぞれが行くっていう形ができれば一番いいんですよね。 だから地層学者が全国展開するって話でもないんですよ。それじゃもう全然ダメで。 そもそも全国展開できるようなモデルでやってないですからね。 やってないですよ。だから大きなそれこそさっき名前が出てきたようなところから地層学者のやり方を教えてくださいとかって話ってたまに来ますけども、話してなるほど素晴らしいですね、無理ですって絶対なりますから。 うちのシステムではそれは実現できないし。実際真似しようと思ってプロジェクト立ち上げてくれた若いやる気のある熱量のある人たちもいるんだけど結局飛んだしてますからね。赤字になるから。 人がいないか、ペイしないかっていう理由。わかりやすく僕のやり方でやろうとした大企業は今のところ全部失敗とか途中でやめてますね。引いてる。 単純にその企業が利益を上げるっていうビジネスモデルとその地層学者のやり方っていうのが合わないというか、そのやり方ではできないっていう。 合わないしできないんだけども、やっぱり一番最初にみんなつまずくのが先生を確保できない。 人が育たない。これは地層学者がポリシーを持って講師募集をしてないわけなんだけれども、 先生募集した時に先生やりたいですっていう風にしてくる人って教えたがりが多いんですよ。 で、教えたがりの人って僕はあんまり教育に向いてないと思うのね。 もちろん自分が楽しいと思ったことをシェアしようみたいなマインドの人とか、一緒に楽しもうっていうマインドの人はすごく向いてるんだけども、 そういう人たちって勝手に今自分が所属している場で楽しんでやってるから、講師を募集した時に応募するっていう発想にならないんですよ、あんまり。 その場所で、要は置かれた場所で咲きましょうっていう話をあの本でも何回かしてるんだけれども、 置かれた場所で咲きましょうを実践できてる人、心から実践できてる人ってどこに行ったって楽しく充実と成長を実現しているから、 そんな何かどっかで募集してたから飛び込みますみたいな話じゃないんですよね。 だから僕は自分が理想とする教育を実現しようとするんだったら、僕が一本ずりしてくるか、紹介か、どっちかしかない。 あとは募集してないのにわざわざ入れてくださいって言ってくる人、それ以外はもう見なくていいだろうと思ってて。 それをやっていれば、規模を適切にキープできるんですよね。 僕が昔やってた塾だとかも、急展開、どんどん生徒数を増やしたい、そのためには校舎数を増やしたい、 たくさん校舎があれば銀行もたくさんお金を貸してくれるので、より展開を早くしたいみたいな、そういう戦略でやっていくと。 そうすると、中で人が育つ前にどんどん校舎展開したりとかするから、結局教育署長募集みたいなことをやっちゃうのよ。 ああ、でも見たことあります。特に塾の場合、バイト講師は集まるけど、単純に運営側というかマネジメントをする側の正社員の方が少ないから、教育署長募集。 僕としては本当に信じられない話で、教育署長募集ってどの口が言ってるか、身も蓋もないにも程があるぞっていう。 で、経験者優遇とかって書いてあるんだけども、当然経験者優遇って言ってるってことは、未経験者が入ってくるんですよ。 で、未経験者がいきなり教室長っていう冠つけられてやってるわけですよ。 で、それは当然自分は未経験でしたよなんていうことが分からないようにね、教室長をやるわけで。 もうそれは不誠実、極まりないよねっていうかね。 まあ確かにそうですね。 実際塾は、私もちょっとだけ地層学者に来る前に別の大手の個別都道塾にいたことがありますが、やっぱり教室長みたいな人はいろいろ入れ替わるし、 入れ替わる中で当たり外れもすごくあるし、 当たり外れと、本社の意向みたいなのにすごい左右されるなぁみたいな感じが、やっぱり中で働きながら思っていたので。 まあそういうシステムで教育を提供するっていう時代はもう多分終わるというかね。 終わらせなきゃダメだからね。 そうですね。 どうなんでしょうね。 じゃあ例えばそういう教育を終わらせなきゃいけないよね、みたいなことをどうやって発信していくように、少しでも納得してもらえるように伝えるかって難しいなと思っていて。 最初にちょっと私、本というメディアがどれくらい影響力があるのかみたいなこともちょっと気になっているというお話をしたと思うんですけど。 今だったら、今ボイシーラジオもそうだし、ウェブ記事、対談なんかまさにウェブ記事で無料で見れるものとかも多いじゃないですか。 という中で今回その本という形で、しかも中核受験っていうのをタイトルに入れた本で出されたっていうところの意義というか、 その辺りは八木さんの中でどういう風に考えてらっしゃるのかなというのはちょっと聞いてみたくて。 まあやっぱり普通に本を出すっていうことになった時に協調って避けるんですよ。出版社も協調はあんまり出したくないし、ブランディングしにくいとかね、プロモーションしにくいっていうのがあるしね。 で、著者としても協調にしちゃうとまず印税が半分になるっていう大問題があるわけですよ。 それはタッチで帰って自分で全部持ってきたいですよね。 で、なんか自分の仕事っていう感じにもならないから、やりたくない人もいっぱいいるわけですよね。 僕は結構ちょいちょい協調を出したりだとかする。何なら協調の方が多いんじゃないかな、まだ。 そうですね。それこそ中核受験を考えて日本語本もある意味協調みたいなもんですよね。 あと石川一郎さん。 僕は協調の方がいい。伝えたいこと、メッセージがあって、自分が例えばトップクラスに影響力がある人間だったらいいのよ。 だけどそうじゃなくてこれから変えていこうっていうね。社会を変えていきたいっていう風に考えるってことは圧倒的にマイノリティなんです、自分は。 そうですね。マイノリティだったらそもそも社会を変えたいというそういう原則力がないよね。 少数派なんですよ。少数派の人間がでも絶対多数派のやってることがずれてるからよくするためにはこう変えたほうがいいんだって思った時に一人で戦おうとするのは非常に効率が悪いし現実的ではない。 だから僕の中では優先順位が高いのは社会を変えることの方が圧倒的に優先順位が高いの。 それは単調出すこととかそういうつまんない話じゃないんですよ。そんなのは別に後で出したらいいしね、出したかったら。 そうじゃなくて、じゃあ誰と組んだらいいかな。例えば一見僕と全く違うこと、反対のことばかりやってるように見える安波京子さんだとかね。 わざわざ僕は一緒にやるわけですよ。それも半分くらいテロみたいなもんでしょ。それは僕が昔大手塾で授業やってたのと同じなんですよ。 全く思想が違う塾でわざわざ14年間も働いてたんですよ。 それはすごいことですよね、本当に。 それはただの闘争なわけですよ。 それは違うところに突っ込んでいって、僕が言ってることをいいなと思ってくれたりだとか、なるほどその線あるなと思ってくれるってことをやらなかったら全然社会は変わらない。 僕のことを知っている人に向けて僕の言ってることを書いて、それについてそうですよねって言われたところで何にも世界は変わらないんですよ。 始めからそれを書かなくても、それに納得してくれている人と一緒に同じ価値観を共有しているだけだから、その外に波及していないってことですよね。 あとは自分で書いたほうがまとまるっていうのはあるけれども、一方で社会性を帯びないんですよ。 対談であるとか協調であるとかそういうものはどうしても社会性を帯びるから、一人で独白していることって独善的になってしまうこともあるけれども、 誰かと話していることによってそれは自分の枠に収まらない、何かクリティカルなフィードバックもあるしね。 そうじゃないかもしれないとか違う意見だとか、そういうものがどんどん意見が相対化されていって育っていくっていうことがあるわけですよ。 育っていくもそうだし、波及していくとか外に出ていくもそうだけどね。風穴を開けなきゃダメなんですよ。 だから宗教団体を作りたいわけじゃないからね。そうじゃなくてみんなに向かってどうよこれって。 少しでもいいからこういう要素を取り入れていこうよみたいなのが僕のやり方だから。 探求をしている人たちだとかっていうのはもう純粋な探求をやらせなきゃダメだみたいな勢もいるんですよ。 もう純粋の探求じゃなきゃ意味ないから、学校で探求なんか腹から無理、やるべきじゃないとか。 そんな人から見たら受験勉強を探求的にやりますみたいな、何言ってんのみたいな話かもしれない。 でも僕はやっぱり人口に感謝していくとか、ちょっとでも良くするっていうことは絶対にできるんですよ。 ゼロイチではなくてね。で、受験することが悪くないんですよ。全然。 じゃあいいとこ取りをしていこうよと。 その代わりに当然いいとこ取りをするためにはその分トレードオフじゃないけれども、譲らなければいけない部分は当然あるんだけれども、 それをひっくるめても良き人生を歩むためにどっちの方がいいですかねっていうことで悩んでる方とかもたくさんいるしね。 うん。 そういう意味で言うと、今の話を聞きながら、 ああなるほど、じゃあネット上の対談と違うところがあるとすればそこなのかなと思っていて、 ネット上だと、それこそフィルターバブルの話とか最近よくいろんなところで耳にしますけど、 そもそもまずタイトルで興味を持たなかったら多分そういうのをクリックしないし、 多分それをきっと読む人は鼻からそこに関心がある人であろう人だし、 っていうことを考えると多分人口に感謝していくとか、 少し違う考えを持っている人に何かそれと違う見方もあるかもみたいに思わせるっていうのは、 もしかしたら本という媒体はまだ可能性があるのかもなみたいな。 純粋に文字数が違うんですよ。 ネットの媒体っていうのはネットなんて文字数関係なく再現なく使えるんだから、 長くできそうなもんだけれども、メジャーなメディアは長文はほとんどやりません。 なぜならば長い文章だとビューが落ちるんです。 長いほうが読まれないんですよ。 ネットメディアをやっている人たちも読んでほしいんですよ。 なぜならば読んでもらって広告がついているから。 それがビジネスモデルだからね。 だから短くて読まれる。 ツリータイトルみたいなものもたくさんあるし、すごく煽るんですよ。 煽ってツリータイトルで圧縮するんです、内容を。 そうするとやっぱり、みんなが言っているのと同じような、 人々が読むような内容以外は全部カットされてしまって、 結局どの記事を読んでも似たようなことが書いてあるよね、 みたいな印象のものばかりが残ってしまう。 だから一冊、例えば大田俊正とヤハギが一冊分10万文字とか喋っているということになると、 そうしたってネットの記事ではカットされる部分がめっちゃたくさんあるんですよ。 例えばあの中でお互いに人生について語っていたりだとかね、 俺は昔こうだったんだとか、うちの家族にはこういう奴がいてさって話がいっぱい出てくるんですよ。 あんなのネットだったらオールカットですよ。 ただ何の文字数が長くなるだけだから。 そう。だけどあの部分が大事なの。 だって人なんだから。 人が人に何かを伝えようとしているんだから、 じゃあその人ってどういう人間なの?バック部門は何なの? 本当に立ち上がってくるプロフィールだとかっていうのは何なの?ということが分かった方がいいわけで、 そうでなかったらチャットGPTができちゃう話なんですよ。 そうですね。 どんな経験をしてきた、どんな考えを持っている人間が何を言っているの?っていうところが分からなければ、 多分これからの教育的にはますます意味がなくなってくるだろうな。 こんだけAIが優秀になってくると。 さあ、そんな中ちょっとお便りいただきますよ。 ありがとうございます。 小六ハルビーさんから。 こんばんは。 こんばんは。今度は他の先生も来てほしいです。小林先生とか。 先生の本私も読んでいいですか? 全然僕の本は何でも読めるようにはしています。 特にでも正解のない教室を読んでください。 正解のない教室は本当に皆さんのために書いた本なので。 もちろん今回書いた本も、僕の発言は実は、 今教えているハルビーさんを含め、生徒の顔を思い浮かべながら、 この人たちにも伝えたいことをそのまま話していますっていうスタンスで言ってるんですけども、 太田さんは大人向けの話をしているので、そこにちょっとしたズレがある。 僕は基本的に大人と子供で話すことをあんまり変えたりはしないので、 全然読んでもらって全然OKなんだけどねっていう感じ。 でも私の感覚からすると、 身長の超中学受験論文小6でも読もうと思えば全然読める部類だとは思いますけども。 まあそうね。だってディスニー・フォッシュン授業で言ってることだしね。 言うだし、そう。 なんか、あ、まあ地層学者ってそういうとこだよねとか、そういう受験だ、そういうものだよねみたいな。 本だから言ったみたいな話ではないからね。 ですよね。 いける気はしますが。 じゃあちょっと他の人も呼ぼうって話なので、一応声を掛けてみます。 あと別に、通うのこの時間でなければ可能性はあるからね。 まあ確かにそうですね。 なんとなく通うのこの時間はやりましょうみたいな話にはなってますが、 確かに別に職員室に毎回二人しかいないわけではないので、 職員室って言うからには他の職員がいてもいいかもしれないですね。 あとはさっき冒頭でまあやちゃんが言ってた、 紙の本にする意味みたいな言い方をしてたと思うんだけども、 今ネット媒体っていうのはそういうふうに、 実は情報無制限だと思いきや結構圧縮されちゃって、 カットされちゃうこと多いよなんて話したんだけども、 やっぱりね、紙の本を出すっていうことの意味はすごいあるんですよ。 書籍って本って物体なんですよね。 そうですね。 データではあるけど物体なんですよ。 買われるんですよ。 この物体としての本に載せる。 自分が言いたいことをわざわざ載せる。 本を出すってめちゃくちゃめんどくさいことなんですよね。 そのめんどくささに意味があるっていうか、 大変なことこそ糧になることが多いみたいなのと似てるけれども、 ブログに書いたりSNSに書いたりっていうのは、 思ったことそのまま垂れ流せばいいんですよ。 もちろんちゃんと考えてちゃんと書くこともできる。 時間をかけることもできる。 でも書けないこともできちゃう。 でも紙の本をしっかり出版社から出して本屋さんに置いてもらうっていうのは、 ものすごいいろんな人のチェックをクリアしなければいけないわけですよ。 昔に比べたら減ってきたとは、 今だと最低まず著者がいたら編集者がチェックする。 編集さんがOKを出したら、 今度は営業さんだとか管理職の人々のチェックが必要なわけですよ。 その人たちがこれ出すべきだよねとかこれいけそうだよねって思わなければ、 まず出版企画が通らない。 出版企画が通ったら初めて、 じゃあこの本書いていいってことになったので書いてください。 そこまでで本当に小さい出版社で4人以上の目を通ってるんですね。 OKになっていざ書き始めます。 編集者さんたちとライザーさんが入る場合もあるけれども、 何度も対話をしたりとかやり取りしながら本ができます。 でもできる過程で今度はデザイナーさんが入ってきて、 本文どういうデザインにしますか。 カバーをどうしますか。 タイトルどうしますかみたいなことだとかをみんなで話し合う。 また営業の人たちがそれじゃ売れませんだとか、 いろんなこと言ってくるわけですよ。 みんなOKしたんだけど社長だけがうんと言いませんだとか、 そういうことも出てくるわけ。 最終的に全員が妥協点を探して、 一番良い良いと思われる形になって初めて出版をされされるっていう。 ものすごい手間をかけている。 そこまで別に今だったら自費出版だとか、 勝手にネットに上げるとかできる時代に わざわざそこまでする意義は何なのかというと、 そこまでしたもんだからこそ汎用性があるというか、 独善的になりにくい。 いろんな人たちの目を通ってこれは良いものだよという、 一応お墨付きをもらって出版されているということになるので、 その分ブラッシュアップされているというか、 俺一人で書くよりも多分みんなにとって 良いものになっているはずであるという直感があるんですよね。 確かに自分も何かブログとかノートとか、 そういうウェブ上に記事を書く時って、 頭の中に思ったものをそのままノーチェックで ザーッと吐き出す感覚があるんですけど、 いざ本を出すとなると、 私もちょうど今2冊目の原稿がほぼほぼ書き上がっているところなんですが、 やっぱり編集の方からいろいろ意見がついて、 そういった時に、 この言い方ってもっとこうだと自分の意図が伝わるかなという風に リフレクションしたりとか、 なんでこれを自分は世に訴えたかったんだっけみたいなところを もう一回精査したりとか、 確かにそういうプロセスを経てるなという違いはある気がするので、 そういう意味で自分の中でも言いたいことが鍛えられていくというか。 自分が成長しやすい。 あとはウェブデータ。 僕みたいなアナログからデジタルへという境界を完全に見てきた世代からすると、 デジタルデータ的な情報の流れのスピード感というのはものすごいあるんですよ。 それだけスピードを出せるということはそれだけ流動的なんですね。 つまりスピードを速く流すこともできるけど流れていってしまうんですよ。 すごい勢いでどっか行っちゃうんですよ。 そんな本というのはどっか行かないんですよね。 あるんですよ。読んでなくても買ったら置いてあるんですよ。捨てるまで。 その物体感、五感で感じるページをめくる。 もっと言うんだったら僕はもっと五感を使いたいからそこに書き込むということをしますよね。 身体感覚だとかそういうものと密接に結びついて、 結びつくことによって思考の進路だとか記憶の定着というのは変わっていくわけですよ。 例えば本という物質ってアドレスが確定しているから この本のこのぐらいのページのこの辺りにこのことが書いてあったなというふうに覚えやすいんですよ。 でもブログだとかデジタルデータってスクロールしていくでしょ。 どの辺りにあったか定着しにくいんですよ。身体の中に。 だから覚えたいこととかちゃんと身につけたいことをデジタルデータで学ぶのはすごくやりにくい。 僕はこれ電子書籍ですらやりにくい。 全然身体に残り方が違いますよね。 検索したり持ち歩くのはもちろんデジタルが便利だから。 僕はよく読む本とかいい本は紙とデジタル両方必ず買うようにしているけれども、 やっぱり身体のある本の方が身体のある人間には相性が良いだろうなというところはあるよね。 なんかあの本で読んだとか、この話と繋がるかもみたいなのってやっぱり身体的なところがすごく大きいです。 そうやってあの本玉のどこだっけとかって言ってやるのもまたすごく自分の中での抽出の時間に繋がったりするなと思ったりするので。 私は実は全然電子書籍を使わない。 というかあんまりそもそも使いこなせてないから、それで買おうみたいな。 じゃあ未だに全然使ってない。 全部買ってます。 超アナログ人間。 素晴らしい。 僕は物理的に家を広くできないので、今これ以上。 本が置けない問題というのがあって、もうぼちぼち僕のKindle1万冊ですよ。 1万冊なんて紙と併用のものがあるとはいえ、それを全部紙で持とうと思ったら無理。 無理無理。 時間は。 まあまあ。 じゃあまあぼちぼちですかね。 そんなこんなで今日は新調の話と、あと本を出版する意味。 どんどん本屋さんも減ってるしね。 SNSでも書いたんだけども、最初の本を出したときは徒歩圏内に5軒本屋回って、 ここにこういう置き方をしてくれてたみたいなのを全部見て回ったんです。 そこそこ大きい本屋が5軒あったのよ。 で今回2軒しかないんですよ。 横浜近辺ですらもうその減り方ってことですね。 そう、だから今もう遊輪堂さんと木の国屋さんしかないんですよ。 あそこの2つは大きいんですけども、それ以外の3つですよね、無くなっちゃった。 無くなった。もっとでかいのあったんだけどね。 そうだ、葵書店だとかね、ブッシュドッグファーゼ。 葵書店は横浜地域で一番でかかったんですよ。 そうですよね、葵書店とブッシュドッグファーゼは神奈川県の中にはいっぱいあった印象なので。 まあどんどん無くなりますよ。 まあ切ないながらも、でもやっぱり紙の本で学ぶっていうのは今からの学び、これからAI時代に入った時に AIで学ぶのはすごい大事なんだけども、やっぱハイブリッドっていうかね。 AIで学ぶことでAIに勝とうなんていうのはちょっと難しくって やっぱり紙の本でAIにできないような学び方をしたものが AIにできないことをできるようになる能力につながっていくので そこをちゃんとね、教育の場に落とし込んでいけたらなぁなんて思いますよね。 そうやって、先ほど身体感覚っていう話もありましたけども そことつながっていくのが本屋であり図書館であり やっぱりその並みの本、大量の本と触れてそれを浴びてみたいなところとつながってくるので。 まあそんなこんなで、通学者ではちゃんとおすすめの本だとかね こういうのを触れとけよみたいなのを教室では用意をしつつやっていきたいなと思ってます。 そんなこんなで。 はい、じゃあ今日はちょっとだいぶ長く話しましたけれども 本編はここまでということにしたいと思います。 はい、お相手は小学者のヤギと はい、小学者の前田でした。 はい、ありがとうございました。おやすみなさい。 失礼します。 もっと見る #出版 #リベラルアーツ #探究心 #知窓学舎 #前田圭介 #矢萩邦彦 リベラルアーツ探究実践Radio矢萩邦彦|ArsCombinator38:501.【対談】知窓学舎放課後職員室#3[出版の意義]コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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