TOPトーク専門家リベラルアーツ探究実践Radio【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』[死後の世界と比較文化論編]1:03:39 2月25日 134再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次宗教が提示する「死後の世界」の機能論日本の神道が持つ「成る」の世界観近内悠太と矢萩邦彦、それぞれの死生観ホモサピエンスの歴史から学ぶ想像力身体感覚に導かれる未来と人生の選択AI文字起こし(β版) # 【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』[死後の世界と比較文化論編] はい、みなさんこんばんは。ヤハギです。そして、 チカウチです。 はい、というわけでですね。 教養と哲学を考えるラジオということで、 一応、新年一発目の放送ですかね。 2020年、最初の放送ということで。 はい、では、今年もよろしくお願いします。 はい、乾杯。 え、なにこれ。 なんだと思います? え、なんでこの甘さなんだろう。 これは、バルバドスという国のラムでございます。 なんでこんな甘み、甘みが。 ね、ちょっと変わってるよね。 なんか、リキュール、なんか、なんていうのがある? えっと、アン、アンじゃなくて、あの、なんだっけ、あの、 えっと、アン。 なんていうの、あの、リキュール、あいつ。 あー、はい、死ぬ中? じゃなくて、 違う。 これ、あの、えっと、ウイスキーと混ぜてゴッドファーザーになるやつ。 アマレット。 あー、アマレットか。 アマレットみたいな甘さを感じる。 あー、なるほど、確かに。 好きなの好きですね。 アマレット。 アマレット好きそう。 ゴッドファーザーが好きで。 なるほどね。 まあ、そんなわけでですね、今日は新年一発目ということで、 テーマはなんですか? 死後の世界。 死後の世界。 の、比較文化論。 あー、いいですね。 まあ、これ、最初にいろいろ、なんか、決め事はしといた方がいいんじゃないですか? スピに寄らないように頑張るとか。 あー。 だから、比較文化論だからね。 お札貼っとくというか、そっちに行かないっていうか、 そういう話ではないよっていう、 あくまでそれを、こう、なんか、なんていうのかな、こう、 アカデミックな比較的な部分として見るみたいなニュアンスは、 そう、比較文化論ってキーワードをつけるべきかなと思って。 なるほどね。 じゃあ、あんまり比較文化論的なものに、 なじみがないなという方もいらっしゃると思いますので、 視点としては、真偽については語りません。 そうですね。 真偽については語らずに、 機能とかね、そういうふうに、 どのように語るのか、 その語りはどういう機能があるのかみたいなね、 そういう視点で見ていければいいかな、 なんていうふうに思いますけれども。 いや、なんでそう思ったかっていうと、 なんだっけな。 なんか、ペアっていうのを考えたときに、 現世を一生懸命生きても報われないじゃないですか。 はいはいはい。 多くの場合。 そのときにやっぱり宗教が用意したものって、 死後の世界で報われますよとか、 今報われないけど、ここで役にならずに一生懸命生きることによって、 死後の世界で救済がありますよみたいな物語、ナラティブって、 実は人間をすごく根っこの分で支えてるよなって思ってますよね。 ペアの最も効率の良いメカニズムって、 死後の世界でこうなりますよって語ることによって何かを約束。 でも空手型みたいなもんじゃないですか。 はいはいはい。 だって本当に報われたかどうかファクトを出せっていったときに、 いや、死んでみなきゃ分かんないんだって言えるから、 すごくそこって宗教ってうまくやってるよな、 マネジメントとかガバナンスというか。 すごい上手な組み立てってか人間は作ってきたんだなっていうふうに思ったのが 最初のきっかけかな。 今宗教って結構でっかくいきましたけども、 特にこの宗教うまいなみたいなふうに思った宗教ってあります? うーん、でも大体どれもやっぱり、 日本の地獄とか極楽みたいな発想って、 すごく倫理的な道徳を、 死後の世界、地獄に名前ついてるじゃないですか、めちゃくちゃ日本の。 木の池地獄とかっていうこと? で、何の罪かによってこの地獄に行くって、 それに重ねてみて、 ガキ堂とかっていうことね。 集合地獄とかだと。 無限地獄とかね。 あれで全部、罪によって地獄が、 食らう刑罰が変わるっていう。 あれはやっぱりつまり、 あのナラティブ、あの物語って生きてる人間、 現世の我々にかなり強い功力を発揮しただろうな、かつてはと思ってるんですよね。 なるほどな。 ナラティブっていうことは、自分ごとになってしまうっていうことですね。 で、その自分ごとになってしまうのはなぜなんだろうか。 やっぱ、特に死後の世界の場合、 いや、分かんないじゃんっていう、 曖昧な不確実性があるからこそ、逆に物語が強く功力を持つ。 信じていた方が、なんとなく安全保障的には良いかな、みたいな。 でもファクトがないわけですよね。 だから僕そこで思うのが、 現代の僕らって、よっぽど身近な人でもしない限り、 死後の世界とか、天国で会えるよみたいな信憑性って、 どこまでみんな持ってるのかなと思って。 今んとこ僕は死んだら何も無って思ってるんですよね。 死後の世界によって何かを、今生きることを担保するとか、 道徳的にあるべきだとかっていう感覚がないんですよね。 それは抜きに幸福を目指すこともしてるし、倫理的に振る舞おうともしてるし、 神とか死後の世界抜きで倫理を語るっていうことが一つの僕のミッションだったんだけども、 衆情というか大衆向けには無理だろうなっていう挫折感も僕の中であり、そういう倫理感で。 やっぱりそういう社会全体をマネージするためには、 死後の世界でこうなるんですよとか、最後の審判があるんですよみたいな、 キリスト教であれば、異神教であれば。 そういうのって、よくできた社会制度というか、社会モデルというか。 で、感心したのが最初かな。 死ってそうか、そういうもっと一人称の死だと思った時に、 もっとマクロな、社会全体の人々がどう人間的に振る舞えるかとか、 社会的な道徳、規範みたいなものを意図する時に、死後の世界によって脅かすというか、 死後の世界を照らすかせることによって、人間に道徳的な振る舞いをさせるっていうことって、 リテラシーがないって言っちゃうとあれだけど、なんていうのかな。 やっぱりホモサピエンスのデフォルトの人々にとっては、 僕はそういうものがないと真っ直ぐ歩けないんじゃないかなと思うんですよね。 一部の心ある人とか、認識を改めようとか、 それこそ自分の道として修行をするみたいな認識のある人、 自分自身として一生懸命生きるみたいな覚悟がある人はいるんだけども、 それってホモサピエンスの上位数パーセントしかできないんだろうなと思ってて。 なるほどね。覚悟があることとメタ認知をしていることっていうのは違う? メタ認知ってどういう意味なんだろう。 そういうもんだというふうに思っている。 あ、丁寧みたいな。 そうそう。 丁寧っていうキーワードになると、メタ認知して、 世界は人間ってそういうもんだ、我々の精神はこういうもんだってなって、覚悟が決まるみたいな。 近いかもしれないですね。 なるほど、なるほど。 それでもメタ認知ってホモサピエンスにむずいんだと思うんですよね。 上手い仕掛けをしないと。 上手い仕掛けね。 やっぱ夢の中で一生を終えた方が楽じゃないですか。 なるほど。 メタ認知って夢を夢だって認識することでもあると思うんですよ。 そうですね。 自分が見てたのは幻想に過ぎなかったって自覚することでもあるし。 まあでも外側が果たしてあるのかっていう話なんだよね。 結局メタ認知していくとどこかに到達するのかっていうと、 到達しないことをどんどんメタ認知しながらどんどん先に進んでいくみたいなイメージ。 そこでなるべく俯瞰したい、なるべくメタ認知を進めていくことによって、 より遠くまで見渡したいとか、 より広い宇宙観みたいなものを感じたいみたいな人っていうのは多分いると思うんで。 それってやっぱりメタ認知それ自体が楽しいっていう経験を学習をしてる人ですよね。 まあそうだと思う。 これ意外と語られないんだけど、メタ認知がみんな道具にされてるじゃないですか。 まあそうだね。 あれはそれ自体がとても愉快で心地よいし、 自分の認識が広がったっていう純然たる優越というか喜びがある。 だからカルチャーショックと一緒だよね。 隣の世界なのかレイヤーが違う世界なのかっていう話だから。 そう、なんかね。 なんかメタ認知って道具っぽく語られるんだけど。 そういう側面もあるけど、 なんかいや、もっとメタ認知したらおもろいんだよっていう。 爽快なんだよっていう。 すっげーっていうセンスオブワンダーがバチバチに開かれるんだよっていう。 だからこの死っていうテーマはメタ認知だよね。 まあそうですね。 でもやっぱそこが一人称の私とかあなたの死なのか、人々の死なのかによって、 僕今人々の死の話をしてるんですよね。 だからさっきからガバナンスとかマネジメントみたいな社会設計みたいな言い方してるのは、 そう。 なんかね。 宗教ごとに死後の世界ってこんなカタナリカとちげーんだ。おもろ。 っていうアカデミックな興味関心が最初かな。 なるほどな。 まあ死なない世界観もあるからね。 あのぐるぐる回るとか。 うーんとね。 循環系の死時の捉え方とまた別で、 遷属様だとか、一緒にあり続けるっていうタイプ。 いるっていう。 いる、ある。 別の形でいるとここにいてくれてるっていう。 日本の場合だから死後観ってすごく難しいね。 死後の世界の話をすると割と仏教的な話にはなっちゃうんだけれども、 神道の中にはそういう概念があんまり明確に規定されてないので、 やっぱり日本人の死生観とか見ると、 俺どちらかというと神道の影響強そうだなっていうイメージがあるんだよね。 そう、そんな経験の仏教徒としての死後の世界観は持ってないでしょ多分ね。 うんうんうん。 だから実際地獄に行くと思ってる人がどれぐらいいるのかって結構少ないと思うし。 我々勝手にあの世とか天国ってすごくどの宗教体系でもはっきりないようなものを想定してる気がするんすよね。 だからヨーロッパ人が天国って言った瞬間、結構リアルなものが気がするんすよね。 でもそうでもないのかな今は。 日曜日ミスはいかなかったりって当たり前だし。 そうね。 日本の仏教だってさ、昔乾燥念仏っていう時代は極楽浄土を頭の中でイメージすることができた人間はそこに行くことができる、たどり着くよみたいな、死んだ後に。 でもどうしてもイメージできないわけじゃん。 どうしてもイメージできないから、まあまあじゃあ霊を出すからこれを思い浮かべてよって作られたのが阿弥陀道って呼ばれるものでね。 認識するためのきっかけとか、あるいはイマジネーションはこんな感じですからねっていうモデルを見せたという。 参考霊までに。 でもそうしないとイメージできないものが極楽浄土だったっていうのがすごく面白いと思うんだよ。 生徒たちに今地獄をイメージしてくださってると、やっぱりみんな具体、地獄は具体なんだよね。 こういうものがいて、こういう鬼がいて、こういう戦略があって、こういう奴らがいてみたいなイメージだけど、天国があったらやっぱりなんか明るい空の上に、雲みたいなのの上に、爺さんが杖を持って浮かぶか浮いてるみたいなイメージで。 お前そこ行きたい?っていう。 けさみたいな斜め掛けの白いやつを着てるみたいな。なんとなくコナイギリシャなのかなみたいな。 コナイギリシャ混ざってるよね。 神殿も入ってない?若干。 いろいろドラゴンボルダーとかいろんなもん混ざってるんだろうね。 ね、たぶん。 じゃあ、そうだったとしてそこに行きたいかって言ったら、別にって話だと思うんだよね。 何がそんなここ楽しいと思うのか。 今そうだし。 そうそう。 だけどやっぱりマイナスの方がリアルなものとしてある。 じゃあそっちに行きたくないからっていう方が大きいのかもしれない。 そうね。あっちに行きたいよりはここに行っては。だからやっぱ道徳ってそういうものだと思うんですよね。 インセンティブよりはサンクション、罰則の方が強い。 そうね。 これはしてはならないっていう。 そうね。 そんな気がするかな。 なるほどな。 その辺を知事さん的にはどうなの?雑用的に見る? うん。ケアかな。 ケアか。 死後の世界はあるって言った方が行きやすい人多いんじゃないの? そこはね、俺も実は一貫してそうで、夏に恒例怖い話大会やるの。授業で。 必ず。 なんで必ずやるかっていうと、やっぱりワンチャンあるかもなって思ってるぐらいの方が倫理的になりやすいと思うんだよね。 やっぱり目に見えないものとか、合理性を超えたところに何かがあるっていう信憑は大事だなと思ってて。 死んだらどうなるの?無ですって言った時に、じゃあっていうね。 そうそう。 じゃあじゃなく、でもっていうところで踏みとどまるためには、やっぱり何か、今我々が把握してる世界の捉え方の何かもうちょっと先があるみたいなことを、 やっぱり僕らの生活っていうものが、実は死後の世界まで延長してるんですよね。墓参りするってなってね、自分の家族に会いに行くみたいなさ、会いに来たよみたいな、実家に帰省するみたいなものの連続的なものだと気がしていて。 そうだね。連続的だし長さだし、墓っていう言葉も、もともとの大和言葉で墓っていうのは長さっていう距離とかね、を表す言葉。 どれぐらいでそっちに行けんのと、どれぐらいの生の長さがあって、そっから先の墓はどうなってるのかとかね。 繋が、連なってるっていうイメージがあるよね。 日本の場合って、日本の神道っていうのはすごい面白いから、何祀ってんのって言ったら、なんだかよくわかんないみたいな。 とりあえず鏡があります。 だから社殿に祀られてるものを覗いたら私がいましたって話があって。 私がいるっていうのがどういうことなのかっていうのが、すごい捉え方が多様だし。 そうなんだよね。 よりしろがあって、私がいて、で何をするのか。 日本の神様って何にもしてくれないわけですよ、基本的には。 聖典もなければ、教義もなければ、教祖もいなければ、救いもないんですよ。 ただただ、まさにアニミズムみたいなものなんだけど。 多神教の中でも非常に珍しいタイプの宗教でね、日本の宗教。 それは近代的な国家として、それが一応国家の礎の物語としては、オフィシャルではないけど、それっぽいものとして採用されてるっていうのも、謎の国、日本じゃないですか。 すごく謎ですよ。 神みたいなものがいて、面白いのがね、もとおりのりながらの分析で、日本の神っていうのは一体何なのか、どういうものなのかっていうと。 まず神に善悪がないという話はのりながらすごいしていて、さらに神は成るものであると、そして継ぐものであると。 それ以上でもそれ以下でもないみたいなことを言っていてね。 それすごい面白いなと思うんだよね。 神が成るものだっていうのは、古事記の冒頭なんだよ。 古事記の冒頭で、まず天徳が出てきて、そこで神になった奴が出てきたわけですよ。 そいつは天の源の神っていう奴。 その後に合計三柱が出てくるわけでね。 神様が創生したんじゃないっていうことを古事記の冒頭で明言してるわけよ。 世界ができた、そこで神になった奴がいて、そいつは天の源の神。 そうなんですよね。 僕が受験生の呼び込みの時の英語の先生が言ってたのが、日本の発想は、成るっていう発想なんだよ。 成るな。 するとか、起こるって感じよりも、成るんですよ。 稲穂が成るとか、木の実が成るっていうのが、あれがたぶん我々の世界観として、 メシクサがポコッと生えてくるとか、ポコッと生じるっていうのを、デフォで我々は思ってる。 そういう、仏教でもないんだ、この国の感覚はって言ってて。 安藤昌益だとか、自然新映像っていうふうに言ったら、自然なので。 そういう意味では、比較宗教的に考えると、この山と言葉の和社である我々は、 何を思って、どう思ってるんだろうが、すごく自分でも面白いんですよね。 伊心教って、めちゃくちゃ分かりやすいじゃないですか。伊心教が分からないって、ちょっと僕、意味が分からない。 伊心教は分かりやすいに向いてるし、日本のアニミズムというか、日本の神道っていうのは、 最近、俺、この話をすることが多いんだけど、西行が日本の神道をものすごく分かりやすく歌ってるのね。 何事のおはしまそうは知らねども、片付けなさに涙こぼれと。 伊勢神宮に西行が行ったときに歌った歌なんだけど、何が祀られてるのか分からんけれども、ありがたくて涙が流れてる。 これが日本神道の神髄なんだよ。 西行5さんですね。 別に聞いてても、結局、メカニズム分かんないんだけど、片付けないって思って、受け取ったなと思うんだよねって言うんですよね。 因果関係分かんないんだけど、これは。 分かんないことが日本の神の条件でもあるのよ。 分かっちゃったら神性とか神性が消えてしまう。 ロジカルで分かっちゃったら、それはそうよねって話で全然神性がなくて、人知が及ばないよ、何それ。 全然意味が分かんないんですけどのに、神が宿るわけじゃん。 例えば、今言われてるような、現代語で言われてるような、神って言うみたいなね。神対応とかね。 なんでそんなことができるの?とか、職人の神業とかね。 それって実は日本の神の使い方としては正しいのよ。 何だかよく分からないことで、すげえ奴、凌駕してるなと思ったら、これは神なんだよ。神が宿ってんだよっていう風に言ったわけだからね。 だから、できたとか努力したじゃなくて、なっちゃったんだよってことですよね。 その偉業が達成できちゃったんだよっていうのは、 してしまうとか、なるとか。 ここにどう調停するかって、我々は主体性みたいなこと言うじゃん。 でも今の話って、とても主体性の真逆の、エゴが消えた、暴我とか、合衆を去るみたいな。 これどう両立する?でも絶対両立はできるんだよね。 まあできるね。 僕はこれどうやって両立するかっていうと、時間軸を入れて、やっちゃった瞬間は自我がないんですよ。 ただやった後に、これは確かに俺がやったことだっていう。物語として自分の有責性を引き受けるっていう。 これは他ならぬ私がやったことであると。ただリアルタイムではやっちゃったんだけどねと。 なんかそうやって両立できる気がして。 これダニエル・デネットの自由論の捉え方なんだけど、彼の哲学家はそういう。 完璧な自由はないんだけども、ちょっとした自由はありえる。 確かにあの時俺はこれもできたけど、こっちをやってしまった。でも確かに俺がやったことだっていう風に。 過去を訴求的に、あの時俺は自由だったという形で自由を確保できるみたいな議論を確かダニエル・デネットはしていて。 僕はそれでいいかなと思ってる。自由意志はないんだけども、それを後から自分の出来事として物語る自由はあるみたいな。 なるほどね。 アホーダンスの話ですよね。 そうだね。アホーダンスの話とも言えるね。自由意志がないっていうところに立脚するとアホーダンスの話になっていくと。 自由意志ないのに動けるのはなぜっていうとアホードされてるからっていうね。 あるいは環境と主体の相互作用によって合作としてある出来事が起こる。 それを我々は成ると呼ぶと。 そう、成ると呼ぶと。 成るんですよね。めっちゃわかるじゃん。 成らざるができるのかっていうところを、俺は自由意志がいける派だからさ。 そうなるとどうやってそれを意図的にキャンセルするのか。 そうね。成る。 成ったら成っちゃうんだよ。それにどう抗うかっていうことにどう向き合うかね。 ゲーム用語でもリスポーンって言っておらしいよね。 あれもさ、日本語の枠とか言い方するじゃないですか。 枠。 枠っていう、どっかから湧いて出てきたみたいな。 あれだから成るに近い気がする。 はいはいはい。 成るに近くて。 近い近い近い。 なぜかここからゾンビが出てきたみたいな時に、生えてくるとか湧いてきたとか、敵が湧いてくるとか、 枠っていう言い方ってすごく成るに近い感覚だなって思う。 近い近い近い。虫が湧いたとかっていうのも、なぜかは分かんないってことじゃん。 窓も閉まってたのに、ゴミも捨ててたのに、なんでハエが湧いてんのっていう話だから。 結局それって神聖に近いよね。 確かにそこで、その場で生成されたみたいな感覚があるんですよね。 メイクも分かんないんだけども、今ここで、つまり因果が切れてるんですよね。 ここから始まったっていう。 因果を縮ってるっていうのもすごい感覚だと思うんですよ。 それってやっぱり分かんない。この国のフード、掘っておくと豊かなものがちゃんと手に入るというか。 例えば食物、食べ物とか、自然みたいなもの。 地震があって、台風があってって言うけど、砂漠に比べればまだいいんじゃないみたいな。 死ぬときは死ぬけど、砂漠はデフォで死ぬからねっていう感覚。 タロットの一番とかもね、何もないところからものが登場するんですよ。 あるんだ。タロットはもともとどういうバックグラウンド? よくカファナとか言うじゃん。 カファナは後から組み合わされたもので、最初は今現在分かってる話をするならば、 よくエジプト起源だとか言われるんだけども、起源は全然中世のヨーロッパのただのカードゲームですよ。 なんかそれを、商売道具というか普通のおもちゃじゃないけど、娯楽のカードだったっていう。 ゲームのカードだったのをそこから転じて、後から意味付けをしていったら体系化されてしまってパワーを持っちゃったっていうのが、 今のタロット研究の、分かんないけど今のところそうなってる。 最初の歴史的にはそういう起源が有力で、その物語が一番有力。 マルセイユあたりのやつが一番古いんちゃうんかと言われている。 それぞれのカード、スートの位置、つまりトランプに展示した時のカードのエース、スペースのエース、要はエースなんだけども、 そのエースの柄っていうのが、雲みたいなモヤモヤの中から何かが出てきてるっていう柄なんだ。 つまり何かが突然湧いて出てるっていうところからスタートするっていう価値観なんだよね。 この話で言うと、多分イシイキョウの人たちは湧くって意味が分かんないんですよ。 湧くイコール神なんだけどって多分なると思う。 神が出してるってことだよね。 でも俺たちは神とかじゃないんだよ。ここから出てくるんだよと。 そうそう。なんか知らないけど天と地ができて、そこから神が、俺神ですからっていきなり名乗ったらできて。 名乗ったからには、じゃあ何するのっていうね。 湧いてきたんですよ、神も。 そうなんだよね。 火が湧いてきて、湧いてきたら神になったんですよね。 これすごいこれからの時代の人間観とか世界観、マジ重要な気がするんですよ。 だってイシイキョウからは絶対出てこない世界観だから。 イシイキョウ的な世界観が限界に来てるんであれば、そのオルタナティブはそういう彼らからすると、 なんすかそれって意味が分かんないんだけどみたいな。 どういう自己観とか人間観って時に、俺たちも分かんないんだけど多分そうなんだよねみたいな。 ものの中にヒントはあると思ってる。 アニミズムが最近よくいろんな、語られてるのはやっぱり持続可能性みたいなものとかSDGsとかっていうのの、 うさんくささに多分みんなが思ってて。 結局SDGsって、これ奥野さんって文化人類学者が最近書いた本で見ましたけど、 SDGsがなんか変だなってみんな思うのは、 結局、地球の主人が人間であるって前提は変わってないから。 地球の良き主人であるためにはっていうのがSDGsであって、 アニミズムが言ってる発想は、奥野さんの言い方で言うと、 人間はこの地球の主人ではない。っていうのがアニミズムの重要な考え方なんだ。 そういう意味で、古事記ってよく出てきてる。 古事記のすごいなっていうのが、さっき見柱が出てきた話したけども、 雨の水中主がいて、その後に出てきたのが高見結びの神と神結びの神っていうのが出てきて、 そいつらは出てきただけで何もしないで消えるんだよ。 いきなり隠れるわけ。 神を名乗り上げて、俺神ですって言って、何もしないで消える。 じゃあそいつらがやったことって何なの?神になったって宣言したっていうだけの話なんだよね。 その後でイザナギとかイザナミに作れとか、いろいろ命令だけはするんだけど、本に対して何もやってないんだよ。 何にもやってない奴が神として君臨している、神とされて、 それの後を継いでいるっていうことが大事なんだっていう価値観ってものすごく珍しいと思うんだよね。 その珍しき価値観の中で、日本人が持つ謎のわからないものに対するありがたさだとか謎の謙虚さだとか、 謎の柔軟性だとか、一方で謎の頑固さみたいなものだとかも、結構浸透ベースで説明できることが多いなっていう印象があるんだよね。 日本の仏教も変だしね。特にさっきの地獄のたてつけというか、仏教なんだけど、古代中国のエッセンスももらってるとか、 結構継ぎはぎで作れてるんですよね。日本の地獄観って。 まあそうね。もともと地獄って発想あんまなさそうだもんね。日本で。 中国由来でしょ。バツ嫌いなんだから、日本の人たちって。 昔語形みたいなのがあったときに、要はみんなが言うこと聞かなくてカオスになっちゃったから、中国でどうやってんだったら、中国には語形があるみたいな。 墨を入れる、鼻を削ぐ、腕を切る、休憩がある、死刑がある、みたいなことがあると。 それ輸入しようと思ったんだけれども、日本は全員で盲反対したわけですね。そんな残酷なことできない。 結局どうなったかと言うと、語形がムチで叩く、棒で叩く、閉じ込める、しまながし、死刑っていう語形に転じられて、 一応死刑は残したものの、死刑は行われなかったね。ずっと長いことね。 実質全部一番主なのが結局しまながしっていうね。まあ過酷だけどね。 結局考え方が全く違くて、死刑以外の全てっていうのは再起可能というか、全部やり直しできるんだよ。 全部もう一度進展して頑張りましょう。 原理的にはね。しまながし、行くまでに死んだりとかいろいろあるけども、実質は再起可能っていうね。 中国のやつは後戻りができない。一歩ずつなんだよ。 確かに身体を既存していくっていうのは不可逆的ですもんね。直らないというかね。 隅だって顔に入れるわけでさ、顔に隅を入れられたらもう見ただけであいつは罰刑を受けた人間だなっていうのがバレるわけだし、 鼻がないっていうのも顔見ればすぐにわかるだけじゃなくて、鼻の長さによって病気にかかりやすくなるわけだよ。 そうすると要は長生きできないってことなんでね。もちろん差別もされると思うし。 足がなければ逃げられない。子孫を残せない。そして死ぬっていう。一歩一歩着実に追い込んでいくみたいな系なわけで。 その辺の考え方っていうのもずいぶん日本は面白いよね。 やっぱりどう見てもユダヤ教だとかイスラム教の拠点とかいうメカニズムから見ると、やっぱり日本って生きるということに対してのハードルが低いんだろうなと思って。 だから豊かな大地というかさ、放っておけば食べ物が生えてくるし、水あるしみたいな。 和辻的な考え方ですね。 の気がする。やっぱり我々どっかポヨンとして生きていけるのは日本人がね。 結局ある宗教が座禅を組んで修行するみたいな、そんな悠長なことをやってられるのは豊かな大地であって、 砂漠の宗教が座禅なんかしてさ、ありえない、死んでしまうわと。 とりあえずもう理屈はいいからリーダーがどっちに行ったらいい?みんなが生き残れるのか死なないのかを決定してくれと。 リーダーシップっていうそういう価値観とか西洋由来のだけであって、我々は多分西洋的なリーダーシップとか組織開発ができないときには体質が合わないんですよ。 そういうふうに考えると、今の日本っていうのもみんないろいろ言ってるけれども、でもやっぱり社会保障みたいなものはあるわけで、 じゃあ本当に例えば勉強しなかったら路頭に迷って死んでのたれじるのかってそんなことないわけじゃない。 そう。 だとしたらやっぱり仏教的にでもいいし、自分なりに修行をして悟りを開くみたいなようなことに準じることというかね、現代風なそういうことっていうのができる余裕がある国っていうのは相変わらずすごいなと思う。 そう。やっぱりみんなすごい。近視眼的に日本はディストピアになりつつあるというけど、戦後の間もなくとかどんだけ上野駅とかに戦争小品がいっぱいいたかとか、闇市があってとか、 あるいは当時の医療、戦争関係なく医療技術のレベルでどんだけ人がバンバン死んでたかとか。 だから想像的に未曾有のなんちゃらとか言ってるわけでさ、前々に2005年ぐらいかな。5年か6年に未曾有の不景気みたいな感じですごい言われたわけよ。 その時に松岡さんがすごい怒ってて、「100年前日露戦争の直後で溝とかそんなオイソレト使わない。想像力じゃなくて勉強もしてないのか?」ってめっちゃ怒ってた。 たかだか自分の生きたスパンと、よく言って100年スパンはギリギリ認識できないでしょ。リアリティがない。だってフリスマが噴火したら結構終わりだよっていう。結構インフラ止まるよっていう。 そうなんだよね。なんか、昔俺若い頃に20代とかの頃に、「こんなことある!?めっちゃ運悪かった!」とか、「これは不幸だ!」みたいなことがあるたびに裸足の剣を読んで、「そうでもねえな!」って思うっていう意識があったんだけど。 だからそれは本当大事な想像力なんですよね。僕が一冊目の本に書いた想像力みたいな、小松沢強のね。復活の日だけどね。日本陳仏でもいいんだけど。みたいなレベルからしたらさ、僕らすぐ側にはあるけど、怒ってないじゃん、今ほらっていうさ。 もちろん一向人としたらさ、「仕事なくなっちゃった!」とかバタバタするのわかるんだけども、それはいざって時はそうなんだけど、平常時にそんなにまずい時代だなっていうよりも、「そう?」っていう。だいぶ清潔だし、医療制度もそれなりに。 それはさ、横行ったらキリがないわけで。中間だと思うんだけどな、僕は。人間ホモサピエンスの上出来なところまで来たと思うんだけどな。 まあそうね。だけどそれが主観の世界の話なので、主観的に厳しい現代だって思ってる人たちがいることは仕方がないというかね。受け入れざるを得ない話で。 そこを一人でも少しでもどうしていくのっていうのは、俺は結構それは政治なのかっていうと割と教育だなと思ってるところなんだけどね。 いや俺結構インタビューとかで言われて、相手が、「え?」とか言われて、それが俺イラッとしちゃうのが、どうすればそういう広い認識とか持てるんですかね。 要はもうホモサピエンスの歴史全体を俯瞰するぐらいのつもりでいればいいんじゃないですか。それってどれぐらい前なんですか。もう20万年ですね。 そしたら、「え?そんなに?」みたいな。いや20万年ぐらいそんな、宇宙の歴史からしたら大したことないし、同じホモサピエンスでは20万年だから、別にちょっと勉強すればね。 20万年のホモサピエンスがどういう生活してたかとか、ほぼこの19万年ぐらい、1万年ぐらい前までどうしてたかとか、細かい文化的に違いはあるけど、 狩猟採集をして儀式をやって、仲間というような、焚火を囲んで酒を飲んでとかやってたわけでしょってときに。 で、たぶん30歳40歳になったら死んでるわけでしょ、たぶんね。っていうのを、それを想像するのが難しいって言われて、何が難しいんですか。 だから難しいんだったらグランゼコールでやってるようなさ、ことって結局それじゃない。でもそれすら時間がないし分かんないって言うんだったら、とりあえずサピエンス全史読んでみようかと。 あれと、あとはジャレットダイヤモンドでも読んだけど、まずは。 サピエンス全史が難しいっていう人は、漫画版も出てますんで。 そうなんだ、いいね。 漫画版ね、俺結構漫画ってさ、密度がガツッと減るからあんまりおすすめしないんだけども、サピエンス全史の漫画版はそこそこよくできてると思うので、入門としてはいいんじゃないかなと。 それだけでも全然違うよ、やっぱり。 それはね、簡単に20万年の歴史をとか言われても、 みんなバカにゃーってなるから。 いや、なるんですよ。だからもう俺の本だとか、ヤギさんの本は難しくてって言われちゃうわけですよ。 小学生に向けて書いたというか、小学生にいつもやってる授業をそのまま本にしたんですけれども。 でも分かるっちゃ分かんないよ。なぜ小学生にそれがいけるかっていうと、やっぱり文章じゃ無理なんだよ。 それは俺が語りながら、タイミングながら、語彙があって、そうそうそうっていう伝え方だから全然問題ない。 具体的なスライドがあってとかもね。 そうなんだよね。 そっか。 いや、やっぱね、読むっていうことをみんなちゃんとやらなきゃいけないなと思うよね。だからそういう意味で言うと逆に言うと。 そうそうそう。今こそ読むだぜっていうのがある。 そう。 知事さんは、知事さん個人は死後の世界に対する思いっきりはどうなの? 無。別に何とも思ってない。個人的に。 無なの?でも別にみんなに無だと思ってほしくないからこの話を振ったんでしょう? いや、みんなに無だよって言った時に社会壊れるだろうなと思ってて。俺は無だけどっていう。 じゃあ俺は無だけど、みんなは無じゃないよっていうことを推奨してるってこと? だからそれが二枚舌っぽくなっちゃうから、比較文化論的にはどうやらそういう風に捉える人もいるらしいですねみたいな、ちょっと一定の距離をとって。 じゃあ聞き方変えるけど、無であってほしいの?それとも、まあ無なんだよね、無じゃないんだったらそっちの方がいいんだけどって。 いや、無でいいかな。疲れてる。 無でいいし、無なんだと。 そうそうそう。 だから生まれ変わったら何になりたいって問い、ちょっと俺意味わかんなくて、疲れるじゃん。もう一回やんの?人生みたいな。 そんなに疲れてるの? 俺結構疲れていいかな。 俺も結構めちゃくちゃ疲れてる時期はあるけど、全然何回もやるぜ。 俺もう一回やるってうまくできる自信が無い。 それは何?今の記憶を持って例えば何か間違って転生したとしても? うん。もう一回うまくやれる自信が無いので大丈夫です。僕はこの一回の人生を生き切って満足するんで大丈夫です。ほっといてくださいって。 すごい。すごい。 何のようなこと? 結構何か反省してる? この人生を生き切ってこれで終わらせて、これでいいですか?一回こっきりで回数券とか要らないんでっていう風に。 素晴らしい。 命を燃やし尽くしてやろうと思ってるよ。 俺結構近いんだけど、もう一回こっきりでもいいし、できる限りのこと全部やります。でも次があったら、よっしゃ!じゃあ次も行こうかなってなる。 マジか。 一回100年くらい眠りに浸かしてもらった後かもしれないけど、ちょっと一回リセットというか。 寝たい。 掃除をさせてもらうとか。 一回体ほぐしてから。 なるほどね。 ちょっとしんどいかな。疲れちゃうかな。 別に行きたくないわけない。全然行きたいよ。全然執着やりやすい。だけど、もう一回やりますか?って言ったら結構です。この一回で満足ですっていう風に。 これを食べ尽くして味わい尽くして終わらせたいんで。そんな感じかな。 窓巻きで言ったらホムラ行けるタイプだからさ。 ちょっと窓巻き俺リシューしないと。 そうか。いいよ。何万回でも繰り返してなんとかしてやるよって。 すごい!ニーセじゃん!これやだ!これやだ!未来英語回避とかマジ無理。きつい。 シュタケで言うところのオカリンやりますよ。 無理やだやだやだ。俺そう。俺ループものとか嫌いなんだから。疲れてくるの見てると。 疲れるでしょ。でも俺はそういう人たちがもしいたとしたら偉いなと思うのよ。 どういうこと?偉いなと。 そんなに何回も何回も辛い思いでさ。 ちょっとずつこれはできたとかで。 すげえなと思うからじゃあ輪廻するんだったら俺も手伝おうみたいなところはあるよね。 逆に執着がないから別にもう一回やってもいいって感じ。 逆に執着があるから一回でもういいです。お腹いっぱいですっていう。 いや俺執着あると思うんだよな。あるんだけど。あるんだけど。 もう一回あるんだったら行くかな。 行くか行かないかという選択肢を叩きつけられたらまあ行くわってなるかな。 どんだけ満足してても、どんだけ満足してなくても多分次行きますって言われたら行ってきますっていう。 どこかで無というのは僕の中で安寧というか安らかなものであるのかもしれないっていう。 そこがそれで言うんだったら俺は無が安らかだと生き身にも思ってる。 やっぱそうなんだ。 安らかですらないと思ってるので。 まあそうだね。だってないんだからね。 じゃあ俺はもう一回やってその中で安らかな時間を増やすわって思う。 なるほどね。 そういう時にできるかなーって思っちゃう。 ノッポンさんできるかなーって。 できるかな。 かけたと思ってるからやっぱり。 できなかったらその次。 もう一回? もう一回。 ああそういう感覚か。 疲れちゃうなー。 一回できたら二回なんかいけんでしょ。やるよーっていう。 それだと一回で美しく満足して終えたら美しくないって思ってるのかもしれない。 美しさの問題かな。 それは非常によくわかるよ。 その上で美しく終わった後に。 もう一回やろうぜ。もう一回美しくできるぞっていう。 もっと美しく。 そうそうそうそう。 あんまと思わない。 あとはそこまで美しくない人生をやってみよう。 あえてもっと愚かにちょっと。 そうそうそうそう。 いや疲れちゃうなやっぱり疲れちゃう。 疲れるってキーワードが出てきちゃうな。 なるほどな。 これ結構バイタリティあるように見えると思うんだけどそこは疲れちゃうなーって思っちゃうなー。 菩薩っていう概念があるじゃない?仏教にね。 菩薩っていうのは天上界に行ける権利を持っているのにも関わらずわざわざ人間界に留まってみんなの手助けをするみたいな。 そんなボランタリーなマジ成人みたいなイメージがあると思うけど俺すごい気持ちわかるんだよ。 ゴールしたくない。 ゲームとかも最悪的に倒しちゃうと終わっちゃうじゃん。 だから全然世のため人のためとかじゃなくてマジでゴールしたくないからもう一回人間界行くわなのよ。 上がりたくないって。 そう上がりたくないのよ。 あーなるほどな。 元気ですね。 やばい。おじいちゃんからおじみちゃんから元気ですねって。 しぶしがもう。 アホか。 終わっちゃうな。 上がっちゃったらいいじゃんって思っちゃうから。 なるほど。 だからやっぱり性を全うしてんじゃない? 俺だからなんかやりたいこと好きなようにやってるけどやりきれてないことをすごい認知してるしね。 面白いね。それで言うと僕からするとヤギさんの方が執着がないってなるけど逆にヤギさんから見ると僕の方がもうこの。 何に執着がって話じゃん。 根性で多分満足してるからもう次なくて大丈夫ですって。次はここから下がるかもしれないからもう満足なんだっていう感じがヤギさんから見ると僕にはあるのかっていう風に見えるのか。 確かにね。 満足はしてるのかもしれない。 もう一周って時にここまでうまくできる自信はないので大丈夫ですって思っちゃうかな。 なるほどな。 一回の賭けで割と勝ったのかなぁとか思っちゃうね。やっぱりそういう意味で言うと。 そうかそうか。 俺はもう全然あの時あっちだったーしまったーっていうのがめっちゃある。 意外と。 いや全く後悔はしてるとかではないんだけども。 後悔できますよって言ったら是非。 あっちだったな若かったな自分みたいな。 究極の選択肢みたいなのは結構人生何個かあったので。 そうかそれで言うとね、俺もう一回やり直しても同じことが起こると思ってるの。 あーなるほど。 後悔というか、じくじたる思いはあるよ。あの時こうしてれば。 もう一回同じ身体とか脳の状態でリセットしてもう一回スタートって言ったら同じこと俺やるよなと。 とても僕らしいことだったのが全てかと思えるから。 すごいなぁ。 そう、何回やり直しても。 結構ね、マジで右か左かどっちか選べないっていう選択が何回か人生の中であって。 で右を選びましたってこっち来てるんだけども。 別に左でも良かったんだよ。 左だったらあー言ってたよね。そっちも見たかったーっていう感じで。 別に今が間違ってたとは思ってないけど。 今のが悪かったとは全く思ってない。 ただあっちに行ったやつも良かったよねっていう。 いや俺それで言うと、一本道で見えるの過去が。 分岐はあんま感じない。 未来に対して分岐はめっちゃ見えるよ。 でも過去にあそこに曲がってた自分が、それ僕じゃないと思う。 これを歩いてきた僕だけが僕。 振り返れば道があるじゃないですか。 俺振り返ったらもう迷宮です。 迷路ですよ。 振り返ったら街があるみたいな。 複雑回帰っていう。後ろの方が複雑っていう。 むしろ前に進むときには複数の道が見えなくなって、 僕は逆に後ろには一本道なんだけど、 前を見ると複数の分岐が見えてる。 ちょっと未来的に良くない? ん? っていうのが可能性があるよね。 でも怖いじゃん。 未来に分岐があるから。 未来に向けては分岐を感じるんだけど、 過去に見ると一本道しかないって感じる。 それは解釈をするっていうことで、 一本選び取ったってことに筋を通してるからそうなるわけでしょ。 選んでないっていうか、 何回やってもこの道を歩いてくるって感覚がある。 じゃあもう繰り返す意味ないもんね。 そう。やったし。 逆にそれこそ本当に意味のない英語回帰なのかもしれない。 途中でセーブしても意味ないタイプの人だよね。 だって上がることないし、 多分同じことやるんでこれは。 それによっては別の道あるんでみたいともそんな思わないかな。 そうなったらそれ僕じゃないんだよなって思っちゃう。 僕以外の誰かだと思います。 この道じゃなかった僕は、 僕という肉体とか近うちだったり、 意識は認識悪いかもしれない。 例えばそれが自分以外のものとの干渉が起きることを前提にしてもそうなる。 多分俺アホダウンとか言っときながら、 この粒子はこの場に置かれたらこういう動きをするっていうのは変わらない気がするな。 確かにチーサンも見てると、 チーサンも付き合い長いですけど、 そうなんだろうなっていうのは非常に腑に落ちる。 でもめちゃくちゃぐじぐじ不安に思ったりさ。 それも道でしょ。 でもそれも人生の道なんで。 道は一本なんだよ。 でもやっぱりこれで独特な人生観なのかな。 いや独特ではないと思うし、 そういう境地に達した哲学者は多いんじゃないかな。 結構ウェルビングだとか幸福論だとかってことを考えた時に、 それって一つの理想的ゴールだと思うよ。 そうだよね。だってぐじぐじ後悔できないんだもん。 時を遡ってやっても、 もちろん自信があれば改善はできるけど、 それを無視すれば多分同じことしてると思うんで。 あの時の自分にはこれしかなかったんだっていう定念がある。 あの時もう一個の選択肢を選んだ自分は、 それは僕じゃないですと。 あの時の僕はこれを選ぶんです。 それはすごくわかる。 それはわかるんだけど、 俺も同じように全く過去に対して後悔ないのよ。 全く後悔ないのに関わらず、 あっちの分岐もいいね。 そっちの分岐もいいね。 好奇心もあるよ。 見たかった見たかった見たかった。 可能性があったんだから見たかった。 だってそっちに行くっていう選択肢をするだけで、 その先の未来が見れたっていう、 非常にイージーなものだったはずなんだよ。 だってちょっとそこ曲がるだけだから。 全部を組み立て直すような。 その場合何が見えたの?何が起こったの? 誰がいたの?っていうのはすごい気になる。 知れるんだったら知りたいし、 やり直せるんだったらそっちもやりたいしね。 それで言うと僕世界は失敗に満ちてると思ってて、 白標を踏むような世界だと思ってて、 俺いい感じに白標の上歩いてきたから、 もう一回やったら踏み外す気がするみたいな怖さかな。 なるほどね。 落ちずに来たのに。 白標を踏み抜いてみたいと思わない? ない。 全然ない。 ちょっと違う世界がある。 フリオネさんと出会えたりとか。 俺さ、ないって言ってんじゃん。 まあまあ踏み抜いてる可能性あるよね、実は。 言ってるだけで。 確かに。 ほんまにくっそって言っちゃった、この人が俺。 俺の認識は、自己認識は、 僕臆病なんでそんなことできないですよ。 臆病な人、フリーランスでそういう働き方しないで。 そうかね。 僕臆病だけど計算してるわけよ。 予備校の仕事とかもやったものも、 本を何歳に書くにしても、そこまでに あんじゃ本は書けない。あるいは書いたとしても売れなくて、 物書きとしては売っていけないなって。 予備校で教える仕事で月これぐらい稼げるし、 たぶん俺が40歳ぐらいになるまでは、 この社会で変化が起こっても需要はあるはずだ、みたいな計算があった。 なるほどね。 途中だから高校の非常勤やったりとか、 ちょっと計算させて、探って。 そこら辺が俺と近いムーブなんだよね。 リスクヘッジじゃないけど、 結構夢を追っかけるみたいな。 なんでリスクヘッジしないんだろう、みたいな。 手首20万稼げる仕事を持った上で変なことやろうぜ、っていう。 そうそう。その通り。 続けていけないからね。 氷踏めないんだ。 そうそう。 みんな戦略下手くそだよな、若い人見てても。 そうなんだよ。 パラレルキャリアなんて、まずそのためにやってる話でさ。 脚標踏み抜いても、こっちの足に乗ってるから大丈夫よ。 足のための分散投資だね。 そういう意味で言うと、 結構薄い氷の上を走り回ってることに 俺が気づいてないのかもね。 で、怖い怖い氷の上とかって言ってる。 近いうち走り回ってるじゃん、氷の上を。 ってなってるのかもしれない。 確かに、そっち行くみたいな薄いところに行ってるのは たまに見かけるね。 うん。 だから多分、自分が臆病なんですね。 自己認識と。 これ間違ってるかもしれないね。 臆病な人間はその生き方しないんだけどな、みたいな。 そうかもね。 っていう気はする。 臆病じゃないかもね、そんなに。 でも、臆病というよりも そっちに行くしかないんだっていうか それが自分なんだみたいな。 自分にとって必要なものをちゃんと分かってるというかね。 かっこよく言うと。 そんな気はするかな。 自分にとって今何が必要かも。 めっちゃ俺は分かってるつもりかな。 もう一回やり直しても同じことするよ、僕。 っていう自信がある。 自信があるって言い方変だけど。 だってこんな必要なんだもん。 あるいは、あの時の俺の不安とか 自分の人生経験からすると あの時の分岐はこっちに曲がっちゃうのよ、絶対。 っていう。 しょうがないのって思えてるかな。 このしょうがないじゃんっていうのは やっぱどっかにあるね。 うん。 そう。 意外と楽。 グダグダは言わないよね。 選択肢みたいなものをさ どれだけリアルに感じるのか みたいなことって 結構修行じゃないと必要かな と思ってるところがあって 俺結構その 昨日も異業種交流会 というのはいろんな人たちが来るじゃない そうじゃないんだけど俺だけが異業種っていう 謎の 謎のパーティーに毎年顔を出すっていう ミッションがあって 俺以外はみんな同業 ほぼ同業なんだけど 俺だけなんか なんでいるんですかっていう状態でいる そうそうそうそう ジェスチャーで今 伝わるようにいったけど そこでね、いつも俺がやってる修行があって 今あの人に 話しかけてこういう風に 言ったらきっとこういうことが始まるだろうな っていうことを 何人かターゲティングして 頭の中で 組み立てるストーリーをね で、声を掛けない 掛けない 今あの人に話しかけたら きっとこういう話になっていって こういうことが展開するだろうな っていうところまで すごい高めていって 精度を上げていって その中で話しかけるのは どれか一人とかね なるほどね その遊びやってるから 後悔中かなんかあるんじゃない そういう場合じゃない 俺こいつに話しかけるんだみたいな その遊びしてるから 分岐がいっぱいあるように見えちゃう 要は5人 見えちゃうっていう視点から見るとそうなんだけど 例えば5人それぞれの ストーリーを考えます で、その中で俺はなるべくランダムにしたいから サイコロ振ったりとか それをやるから この人になりました その人に声掛けました やっぱり想定通り こういう返答が返ってきて こういうことをやることになりました みたいな展開になった時に 他もそうなってた可能性があるのに やんなかったなぁ 遊びをやって 俺はもうロックオンだから こいつと話すんだとか 一本道だろうな 自分自身があんまりゲームをやらない理由が分かるわ 分岐は遊べない 疲れちゃう 分岐は 俺この道しかないって言ってるんだもん ゲーム結構苦手かもね 俺も最終的に 分岐を自由にする人になりたいので 選択肢を めっちゃ立てて 一個も選びませんみたいなのとか めっちゃ立てて全部選びましたみたいなのとか そこまで自由に できるようになりたいなっていうのがある 大きいのも小さいのも そこで僕の美学は そういう時に この道だっていうものだけが見える人間になりたい なるほどね 合気道とか武道的な 体が動くところを 見つけられるみたいな いいですね っていう風になりたい 逆に言うと 俺はどの道が 一番美しいのかを 判定する それに対して 会議的でやる 自分が一番いいと思った道を 自分が一番いいとするっていうのは 江戸的な意気だし すごく美学としては でも本当ですか こっち行ったら それはそれで良かったと思うんじゃないですか もしかしたら比べて 両方行ったらこっちの方が良かったと思うかもしれないですよね みたいなこととかいっぱいあって そういうことを 認めていかないと 選択しない人になってしまうんじゃないか っていう風にも思う もちろん選択しない っていう選択をしている人 であれば別に問題はないんだけど できる上でね やっぱり自由 リベラルアーツみたいなものに向かっていく 身としては そこはもうちょっと可能性を広げて 考えたいっていうところがある 自分の美学でそこに 理想でありたいなっていう 自分が 想定できない人生は 言いたいなと思っているから 想定は 放っておいても超えるから 呼び込む必要がないと思っている これ以上ランダム性を 上げていると大変なことになってしまう なるほど 境界線の立て方と 見方の問題で 近いんだよね 認識と主軸多くの違い 言っていることは 近くないと思う それはわかる それを そう思っていない人に 伝えるために どういう風に するのかなっていうところで 表現が違うとか切り口が違うだけ なんじゃないのかな そう こうやって認識したら 腹決まるんだけどなとか よく思うんだけどね 年々その腹の決まり具合が 鋭くなっていってる気がする こうです これはしない これはしない これはまだ頑張れる 判断が早くなっていってる気がする 全体レベルね これすごい大事だと最近思ったのが 僕、頭で判断してないのが正解だと 最近思ってきたの ついに 身体制に なんか 相手でもいいんだけど その人と喋ったり こういう仕事一緒にできませんか? 心に冷たいものが流れ込んでくる時と 心に温かいものが流れ込んでくる 身体感覚があって 心に温かいものが流れ込んでくるな って感覚があったら絶対正解 あのね 違和感っていうのは 身体制なんですよ 脳で考えて デジタルに違和感があるっていうのは 違和感じゃなくて非論理的だっていうだけの 話なんです 飲み込めないってだけであって ダメとかいけるって多分なってるんだよね そうなんだよ それで判断するっていうのは そうよね それがめちゃくちゃ 本当最近 心の中に身体の中に温かいものが パッと外から流れ込んできたって感覚 単純に脳の中の 多分神経電池が潰して セロトミンとか エンドロキンが多分出てるんだろうけど それに対してやっぱりこう なんか怖いな不安だなって時って 様々したものが 冷たいものが体の中を吹き抜けるって感覚があって 俺この身体感覚に従っていけば 多分もう間違いないかもっていう 境地に40歳になった気がして この前 理屈は その1フェーズ上の 俺は何を感じたらいいんだろうな 逆に判断基準 結構やってるでしょ身体的に もう一回始めた 組み立て方を 組み立て方っていうか 体の使い方 ほらなんか 前にもどっかで言ったけど 音楽活動再開したんですよ 私歌唄いなので 楽器が体なんですよ じゃあどうやって体作るのってことから そうね でも若い頃に 見て見ぬふりをしてた部分もある 例えば ステップだとか 下半身の動きと上半身の動き 歌っていうものの 3つをどういう風に組み合わせていくのか っていうのは 完全にスルーしてたんだけど ここに来てどうせ運動も しなきゃいけないし ちゃんと全身見なきゃいけないよねみたいな感じで 今組み立て直してる 体の蘇生とか 体に対する 認識とか メタ認知の仕方みたいな それだけで全然違うよね 僕 懸垂ができるようになりました 家に懸垂棒買ったさ 壁に ギュッギュッってやって壁に貼り付ける それは冗談だけど 意外と冗談でもない 体に対する この刺激に対して 僕の体はこう反応して変化していくんだみたいなものとか 積み重ねから 今心の中に温かいものが流れ込んできた っていうのがすごく ふと思った この感覚に従っていれば間違いないなと思えた ロジックは後から絶対 組める その場でこれダメですとか これいけますとか 現象がある時以上 組めないロジックはない そう 体は分かってない中に納得しないけど ロジックだけあるって絶対良くないから 絶対間違えるから そうなんだよ 逆算は良くないって話を 10年ぐらい続けてくる中で 最近やっぱり AIの関連の話で バックキャスティングって話になってくる AIが強いのはバックキャスティング AI使うんだったら 目標決めてバックキャスティングしたら 上手くサポートしてくれますよ そういうことね 何が楽しいですか 楽しいかどうかを置いておいて 例えばコンサルに何かを頼もうだとか そういう人たちからしてみれば AIはそれをやってくれる っていうのは非常にありがたい 経費が浮く あとどうやったらいいのかっていうのを とりあえず教えてくれる だけど我々の人生は フォアキャスティングでしかない という前提があるから そこをどう捉えるのか バックキャスティングするのは 別に悪いことではないと思っている やりたいことがあって目標があって それをどういう風にしたら なるべく最短コースでいけるのかな ということを検証する 考えるということは人間にとってもすごく大事 わかんないんだったら プロにお願いするというのも 普通の方法だと思うし それがAIでできるんだったらやってみればと思うけど やっぱりフォアキャスティングなんだよね 俺が向かっているものっていうのは 僕はそれが 心震えるというか 生きている実感というか ヒリヒリするかもしれないけど 僕は大事だな 今が最先端だから 結局予測なんて当たらないし という前提を 持ちながらも どうするのかという 結局それもメタ認知の領域なのかな というわけで どうなることやらと思って 始めた 昨日の問題でしたけど どうなるか テーマが 死という漢字が一文字入った時点で結構大変なのよ 死後の世界 なんてさ 大変よ 僕も なんで死後の世界死後の世界って言ってるかというと それをやると 宗教がよくわかるんですよ 宗教全体というよりも 一神教ってそう考えてるのね 仏教ってこう考えてるの 宗教とかっていう 東アジアはこういうような 死生観があるからこういう宗教体験なんだとか 僕ね死生観 死んだ後どうなるかっていう物語と どういう儀式儀礼があるか っていうものを理解できると あと細かい教義とか 聖書の話とかもそうだけども 後からそれがわかってくると思ってて 一番の世界をどう語ってるかから入るのが 一番わかりやすいと思ってて 宗教を勉強するときに そういうわけでそんな 死生観 考えてみようという 哲学講座でございます なんで急にそんな あと1分で終わるから 違うのよ 死っていう言葉が出てきた以上 軽いテイストで 面白おかしく 笑いながら喋る みたいな感じじゃなかろうよと いうのがあるので 今日は俺の中でも ギリギリの線をつくための テンション感っていうものの 落とし所を探りながら喋ってたから いつもよりも密度はなかった っていう感じ 俺は自分で勝手に掘ってたのかな ヤギさんがあんまり乗ってこねぇから 自分で掘ってたのかな 自分の死生観 僕は割といつもと同じくらい 遅れた気はしたけど 何よりです というわけで 今日はここまでにしておきましょうか というわけで終わりたいヤギと 皆さんありがとうございました また次回お会いしましょう もっと見る #哲学 #教養 #リベラルアーツ #死生観 #比較文化論 #知窓学舎 #近内悠太 #矢萩邦彦 リベラルアーツ探究実践Radio矢萩邦彦|ArsCombinator1:03:391.【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』[死後の世界と比較文化論編]https://kmk.jp.net/vo/コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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