TOPトーク専門家リベラルアーツ探究実践Radio【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』儀式と身体性編49:42 3月24日 83再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次ランニングは儀式?身体が知る感覚の深層「いないけどいる」不合理なものの強さ抽象化とメタファー:思考をつなぐ技術科学が解明する「儀式」の隠れた力教室と会話に宿る身体性の重要性AI文字起こし(β版) # 【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』儀式と身体性編 はい、みなさんこんばんは。アルスコンビネーターのやはりくにこです。 この番組では、教養とリベラルアーツをテーマに 自由で豊かに生きていくためにはどうしたらよいのかを みなさんと、そしてチーさんと考えていきたいと思っています。 ということで、教養と哲学を考えるラジオ ちょっと久しぶりですけれども、この方をお呼びしたいと思います。 チーさん。 はい、近渕です。 はい、というわけで近渕裕太さんでございますけれども どうですか?風邪ひいたって? あの、見事にインフルエンザB型になりまして。 あー、結構きつかったですか? いや、熱別にそんな上がんなかったんですけど なんかずっと、今もうなのかな?もう2週間ぐらい経ったんですけど なんかずっと体力が90%ぐらいの出力みたいな。 じゃあ結構出てるじゃん、90%だったら。 そう、なんかただ、なんかランニングしたり筋トレするぞみたいな気持ちが なんかちょっと出てこないというか。 あー、なるほどね。 無茶したいみたいな気持ちになれない。 無茶したくないみたいな。 無茶したいみたいな気持ちになってるんですね、いつも。 いや、なんかランニングとかってやっぱだって別にね 移動する必要ないのに走るとか どこかに駆けつけなきゃいけなくて 交通手段がなくて走るなら分かるじゃないですか。 また手伝い的なこと言い始めましたね、早速。 いや、本当なんか、現代、というか都市生活者だなと思うんですよね。 食べ過ぎた分戻すために アスファルトのコンクリートが貼られた道を走るって これ何やってんだろうみたいな。 本当だよね。 なんかぐるぐる回してるだけというか なんかハムスターがね、あのローラーで マッチポンプ。 そうそうそう。 ハムスターがなんかどこにも行けないのに こんなにあのねローラーをコロコロ回して いじらしいねーとのと人間も同じじゃないかって よく思うんですよね、あれみたいな。 なんかランニングしたりすると。 そう思いながら走ってるんですね、いつも。 不思議な気分になりながらも。 ただやっぱり身体的な心地良さとか なんか今日こんだけ走れたなとか そういう心地良さはやっぱりね 実際多分なんか狩猟採集していた頃の 感覚のままなんだろうなと思うんですよね。 なるほどな。 身体的なレベルとしてはだからその良さがあると。 ただ引きで見るとこれ何やってるか意味がわからないっていう。 なるほどね。 そんなわけでですね今日は突然 先週だっけお休みだったの? 先々週か。 先々週ですよね。 先々週の生放送を突然お休みした代わりに 突然今日放送するっていうね。 誰も知らないで突然始めて 今来てくださっている方もいらっしゃいますのでありがとうございます。 いらっしゃいます。ありがとうございます。 生放送に出会えた方はラッキーということで。 まあでもやっぱりちょっとまだ声が本調子じゃないかな? いやなんか僕たまに鼻声になるんですよね。 なるほど。 じゃあまあそんなもん。 うんなんか鼻にかかってる声になっちゃう時があって でも別になんか今鼻喉おかしいわけではないんですけど。 なるほどなるほど。 じゃあまあそんな病み上がりの知事さん 今日は何の話しましょうか? 今日は儀式と身体勢っていうキーワードでしたっけ? 儀式と身体勢。 なるほど。 また重いやつを持ってきましたね。 なんかまあまたねなんかちょっとマジカル ちょっと呪術みたいなキーワードをね 毎月最近並んでるなぁと思って。 うんうんうん。 なんかやっぱそうですね。 ここ最近それそっち系のキーワードがやっぱ気になるというか なんかやっぱこのキーワードだよなっていう風に まとめあげることが多くて。 うんうんうん。 まあじゃあまあ多分キーワードが知事さんの中にはいろいろあるのだと思うので それに引っ掛けてねちょっと僕も 喋りながらいければなという風に思います。 さっき? なんかそういう意味ではさ今言ってたさ 知事さんが走ってるっていうのも儀式的なところあるわけだよね? いやまさにまさにだからね そのやってること自体はね別に移動 生産的な活動つまり移動するだったらね 目的地Aにたどり着くっていうんだったら分かるけど 別に家から出て家に戻ってきてるだけなんで 何もしてないんですよね生産性で言うと。 ただ身体的な心地よさというかおそらくなんか それによってなんか自分の心身のパフォーマンスが上がるとか まあ多分ほとんどなんかね ランニングってあるほぼ8割9割だったら メンタルのためにやってるなって気がすんごいするんですよね。 そうなの?ダイエットじゃないの? なんかねそれはおまけな気がしていて やっぱねすっきりするとか なんかやっと今日もちゃんとなんか ちゃんと人間としての生活をしたなみたいな感覚になるんですよね。 あでもねすごい走ってる人たちってみんな言う うん すごくなんか心が整うとか そうそうそう ハイヤーセルフに出会えるとか そこまではあるけど ねえまあなんて言うんだろうもう俺の中で その言葉は僕はちょっとあの一線を引きたいみたいなね そうですね あのねその話がそのキーワードが出てくると どんどんキーワードが転がっていっちゃうので いやそうね いやいや私はどちらかというとインナーサイルの出会い そうそうそうそう なってきたからね 分かるんだけど僕はもうじゃあそこはもう あのなんだユングでいう集合的無意識とかでいいですかっていうね はいはいはいはい だから多分ハイヤーセルフでは ハイヤーセルフ同士がつながってるとかよく言ったりするじゃないですか うん だからそういう意味で言うと 多分あるところまで降りていく あるいはあるところまで登っていくと 他の人と実はつながってるって感覚になるんだろうなみたいな 何でつながるかなんだけど その儀式の面白さもそうだと思うんだけどさ うん 走るもそうだし なんか体が先に知っているっていう感覚あるじゃないですか そうそうそうそうはいはい なんか先回りした体の方が先に知ってて それを後追いでこっちの心が ああこういうことかみたいな うん その体を追いかけていった結果分かるみたいなさ そうそうそうそう それだよね多分儀式の本質の一つってね やっぱねほらよくなんか 執着を捨てるとか我を忘れるとか 某があるいは自分を乗り越えるとかっていう表現とかって結構あるじゃないですか はいはいはいはい まあ儀式ってまあそれやってるよねっていうね うんうんうんうん 多分みこし担いでる時って 比喩じゃなくて本当の意味のおみこしを担いでる人たちって まさにあれ 自分の身体の境目多分なくて延長してると思うんすよね 他の人たちとも なるほど そうで重いものを持ってるって感覚も多分ないんだろうなっていう まあみこしはあんま担いだことはないんですけど うんうんうん あれも典型的な儀式というか 何を運んでるんですかっていうと いや運んでるっていうか 練り歩いてるというかって感覚だと思うんすよね うん まあそれだから何を運んでるかもよく分かんないっていうか 要はみこしだったらよりしろなわけだから そうそうそうそう 中に何かはいらっしゃるんだろうけど別に見たわけじゃないみたいなね そうそうそうそう だからもう日本の神の基本はね 全て稀人神だし そしてよりしろであって見ることはかなわないわけです そういうものを型でなんかそのね そうそうそうそう やっていくっていうね そう型にすることで継承することもできるし なんていうかな あのそういうなんていうのかな 感受性とか能力がない人にも あそこに何か存在しないけどいるって感じさせる効力を発揮する うんうんうん いやそうそう僕ねなんで儀式とか神体制とかね いろんなそういうものにキーワード気になるかっていうと なんかやっぱまあねハラリーが虚構って言い方しちゃったからさ すげえそれで広まっちゃったけど はいはいはい だからね最近なんか会う人会う人が いやハラリーの言う虚構ですよねって言って まあそうなんだけど 俺あんま虚構って言葉あんま好きじゃなくてっていう うんうんうん だからもうちょっと基本的に言うと いないけどいるないけどあるみたいな感覚 そうそうそうそうもうまさにそうや ないけどあるのよ うん でねやっぱねないものはないじゃないですかって合理的な人は言うんだけど はいはいはい あのいや僕ねそうね僕合理的ですとか言う人にね いろいろねカウンターする例がいくつかあって うんうん 僕めっちゃもう福沢諭吉か俺かぐらい合理的ですよって人が現れたら うん じゃああのお守り踏んでみてくださいよって言うんですよね まあ言わないけど言ったことないけど はいはいはい 言ってやろうと思ってるんですよね はいはいはい あんたね福沢諭吉は本当にそれに近いことやってるんですよね実際 うんうん あのねあの福大寺の中に書いてますけど それぐらいバチ当たりなことを実験としよう実験というか あのね実証主義として本当に幼少期からやってる人間なんで それぐらいなんか覚悟決まってればいいんですよ うんうんうん だけど我々お守りもうまくなんていうのかな手放す だからそう捨てるって言えないじゃない処分するっていうのもさ お守りを処分するとかお札を処分するって言えないじゃないですかなんか そうね まあ今だから手放すぐらいあるいはねお炊き上げでね神社持ってくとかさ はいはい ねえほらなんでただの紙とかさただの布じゃんなんで捨てれないのっていうさ うんうんうん ゴミ箱にポイっとすればいいじゃんだけどいやなんかなんか良くないじゃん そのなんか良くないじゃんって感覚を僕もっと大事にした方がいいと思うんですよ僕らって うんそれでなんか良くないじゃんっていう感覚があるっていうことがすごいわけでさ そう しかも人によってとかじゃないですよね まあほぼほぼ全員がそう思えるっていう いやそうなのそのね例えばほらあの小っちゃい鳥みたいなのをさ書いたりだとかさ うん することによってね壁に多損するのを防いだりだとかさ うんうんうん あとあの産業廃棄物参拝をね捨てられてる山に小っちゃい鳥を作って建てたと うん で参拝捨ててる山なんてさ別にカメラがあるわけじゃないしさ誰も見てないのよ うん しかも捨てに来てるやつなんか悪いやつに決まってんじゃん うん そういう意味があるにもかかわらず小っちゃい鳥を置いといたら参拝が減ったっていう ね そうここはやめておこうとかなんか良くない気がするっていう そういうことじゃない うん そんなやつですらなんかやめようと思っちゃうっていうこの力があるわけでさ そうだから僕らはさなんかいろんなさなんか現代をいろんな活動されてる方は うん いろんなこと考えてる誰ってわけでもないんだけど なんかさ合理的な仕組みを作れば僕らは仲良くなれるあるいは共同体が作れると思ってると思うんだけど逆だと思うんすよね 不合理なものによって僕らは結びつくっていう うんうんうんまあそうだね そのモチーフが多分ずっと僕の中にやっぱねあの一冊目書いた時からずっとあるんだろうなと思うんすよね うんだから不合理なその酒目と酒目というかなんかそのいびつな形がたまたま噛み合うだとかさ うん 福岡さん風に言うんだったらそのフラジャイルな部分っていう うんそうそうそうそう その弱さと柔軟さって似てたよねみたいな うんうん うん弱いからこそなんか一緒にできるよね重なれるよねみたいなことってあるわけよね 弱々しくて柔らかいから触れたくなるんでしょとかね うん そうなんかでもさこれをねだから社会設計みたいなことに言うと じゃあどうすればそのフラジャイルなものって作れますかねっていうと いやうまく作れないからフラジャイルだし だからそこは結果論なんだよね そうあんま再現性ないからフラジャイルってか再現性のあるフラジャイルってあんまフラジャイルじゃないじゃないですかっていう うんそうね結果弱くなっちゃったから気をつけなきゃねっていう話だからね なんかね僕そう異性がいい言葉では語れない概念たちが僕はすごい気になるんですよね なるほど AはBであるって言った瞬間に消えてしまう者たち? うんうんうん ていうまあてか哲学ってまさに幽霊のような うんうんうん そう私にしか見えていないとかある特定の条件にならないと見えないとかっていうものを捉えるっていうのがたぶん僕は哲学がやるべきこと? まさになんかわかるような気がするんだけどはっきりとは見えないみたいな概念とか? そういうのと格闘するっていうのが哲学でもあると思っていて そうね他のジャンルじゃなくてまあ逆にそういうことやるとどの学問でも今みたいなこと? なんかあるような気はするんだけど明示的に語ろうとすると消えてしまう幽霊のような概念っていうのを取り出そうとすると社会学だろうが心理学だろうがどんなジャンルであろう経済学であろうが とにかくそこは哲学的な考察とか哲学的なオーラを帯びるんじゃないかなと思うんですよねそういう考察が入れば学問ジャンルに問わず なるほどな でたぶんですねそのねいないけどいるないけどあるの感性っていうとたぶんね日本人っていうか日本語話者っていうのはすごく独特なアドバンテージっていうかなんていうのかな 世界的に見てたぶん特殊な感覚を持っていると思うんですよね まだ日本の文法的なものも関係しているだろうし あとヤギさんがよく言う同じ音だと昔は多分山と言葉のレベルで言ったら分けてなかったみたいな 見るとかほらだから例えばお医者さんに見てもらうの見るもねほら診察の新の字を使うけど でもいや多分見るあとほらね視力ね視覚とかね見るって字もさ いろんな漢字があるけどまあ多分あれは山と言葉分けなくて全部同じように使ってただろうねみたいなさ 普通は分けるよりもむしろ繋がりの方が先にあるというかね我々の言語体系としては そうだから解像度を上げるという意味で分けることは一つ意味があるわけなんだけれども でも分けたところから入っちゃうと統合しないと繋がらないんだよね 分けた本人は最初繋がってるの知ってるからいいのよアリストフェレスみたいなさ だけど分かれた部分から学び始めちゃったとか知り始めちゃった人は統合のプロセスがないとさ戻らないんだよね だから分断してしまうことになっちゃうよね あるいはその結合術が分かんないっていう ユングも結合術に結局行ったけれども やっぱり言語的結合と概念的結合と自分自身の結合っていうのが全部重なってるんだよね 起こり方というか だから多分一つコツが分かれば他のジャンルとか他のものの結合も見えてくるとか 実際他のものが結合できない状態だと多かれ少なかれ統合失調っぽく我々はなっちゃってるはずだということなんだよ 全部が統合できる人ってのはちゃんと心も統合できてるはず そっちに寄ってるはず だけど言葉が分断してる概念が分断してるっていう状態で自分のアイデンティティーは強く一本ですって本当に言えますかと それは多分無理だぜ構造的にっていうのがおそらくユングの言ってたことだと思うんだよね なんかまさによくほらね普通の入試問題を解く意味でも応用ができるか応用問題が解けるかみたいなと つまり結合術があるかどうかだと思っていて 本当に大学受験の指導数学の指導してると この問題は前に習った問題と別物に見えてるんだろうなって感じる時があって生徒が これよく文章問題文の言ってることを数学的に言い換えたら これあの話っすねってなるんだけど言い換えられないから Aの問題とBの問題が見た目的にAとBになったら別物じゃないですかって言うんだけど いやいやこれ一定ラインまで抽象度上げると同じこと言ってんだよこれっていう でもやっぱり言い換えて翻訳してつながりが見えるっていうところまでいかないと この問題はこう解きますこの問題はこう解きますって一問一答になっちゃうんすよね なんかねあれすっげーなんかいろんな部分に応用できる話だなっていつも生徒見ながら思うんすよね そうかこれとこれが全く別物に見えてるんだなとか 逆にこれとこれは本当は全然違うのに同じ物に見えちゃってるんだとかね まさにほらなんか違いの分かる男っていうね昔キーワードのCMがあったけど コーヒーのCMインサートコーヒーのCMだっけね なんかそう一定ラインまでだから多分ねその結合術っていうものを なんかもうちょっと身近なあるいはレッスンとしてやりようないですか だからメタファーっていうものを理解するっていうのはまさに結合術でしょっていうね 前もねこの放送でどっかで言ったかもしれないけど 僕はメタファーを作れるってすっごいマジカルな能力だと思うんすよね人間 メタファーもそうだし単純にさっきの話だったら抽象化だよね その物事を抽象的に言うとどうなるの その抽象化したら何がその中に入ってくる何と重なってくるみたいなのを イメージできるかどうかだと思うんだよね で結局メタファーっていうのも抽象化しなければメタファーにならないじゃない 例えるっていうことは抽象の傘の中にその2つが入ってるからさ 例えられるっていうか例えとして成立するわけだから だってでもね多分これ全然中学生とかによってもみんな多分なんか言うと思うんだけど 彼はその時リンゴだったって言えば 彼はその時リンゴのようだったじゃなくて彼はその時リンゴだったって言えば これどういうことだと思うって言うと多分みんな何か意味を考えたくなるんですよね 赤かった?いや甘かったって意味かなみたいな それとも何だろうシャリシャリしてた?とかなんか多分みんな多分 何か言いたくなるというか まさにそうやってリンゴを抽象化したわけですよね シャリシャリしてるものとか甘いものとか赤いものっていう風に 1つ次元を1つ2つ挙げるわけじゃないですか 僕らはやっぱり意味ありげな文章を見ると勝手に脳内がねそうやって暴走すると思うんですよね リンゴのどの部分だろうみたいな 抽象の能力っていうのがそもそも人間の文明化みたいなものとも密接に関わってるわけで 何ていうのかな 我々は抽象的に見れるからこそ分からないものに対峙できたわけじゃない 分からないから分かるに持ってく力っていうのは多分抽象の能力と非常に近いでしょ そうですね 知ってるものは知ってる知らないものは知らんじゃ何も進まないわけで これ知らんけど多分これと近いんじゃねえのかなとか これの仲間じゃねえかなとか 頭の働き方するから知らないものに対して 我々は判断をジャッジメントできるわけじゃん 何だか分かんねえけどこれ楽器なんじゃねえかとか 何だか分かんねえけどこれは食べられそうだなっていう風に 思ったからこそ多分新しいものっていうかね クリエイティブな発想にもつながってくるんだろうし そうだしこれとこれって似てるじゃんって言うけど似てないんだよっていう 似てないものを似てると僕らは思えるんですよね そうそうそうなんだよね それって抽象レベルで言うと同じだからそれを似てるって見た目違うってか ものが違うんだけど感覚が似てるとかっていうレベルで 何故か僕らは結び合わせられるんですよ別のものを 多分その結び合わせるところにあるものを僕らは意味って呼ぶんでしょうね そうだね これの意味は何っていうかこれとこれが結びつけられるということですよっていうね あと抽象っていうキーワードで言うと僕ね なんか抽象的とか抽象度が高いってすごい嫌われるっていうか 悪口で言われるじゃないですか まあ学校教育では嫌ってきたからね でもね僕ね例えば表現する人って抽象度をうまくコントロールできないと 良いクリエーションができないと思うんですよね 僕なんかねなんかさっき集合的無意識でチラッと言ったけど 村上春樹の小説って多分ね絶妙な抽象度だと思うんですよね 物が特に物語ってあるいは書く物って程よく抽象的だと読んだ人が これってこのことだなって自分で具体化できるんですよね 具体的すぎると俺にはその経験ないから分かんないわってなっちゃうんだけど ちょっと意味ありげな抽象度の高い言葉があると これって俺の経験のあれのことかもっていう風に つまり読者が読みたいものがそこにあるかのような書き方ができるっていう 俺あれ多分村上春樹とか世の中にすごくリーダビリティが高いとか ずっと残るものってすごくクリアなロジックとかじゃないですよね 読んだ人が自分が見出したかったものがそこにあったかも書かれてるかのように感じる文章 それね俺よく自己紹介をするときに抽象度を上げ下げする必要があるって話を 小中学生にはするんだけど 具体的に言ったら例えば名前言って僕はパンダが好きですとかって言うと そしたら私もパンダ好きみたいなやつなんかいてもクラスに一人でしょ それは具体的だしみんながパンダを想像できるけれども じゃあそうじゃなくて私動物が好きですって自己紹介で言ったらどうだと そうしたら犬好きなやつもハムスター好きなやつも昆虫好きなやつも 友達になれるかもしれないっていう風に自分を投影して見てくれるわけじゃない だからちょっと抽象度が高いことを言った方が多分友達ができやすいぞっていう言い方をするのね 取り付く島があるというか会話が共同作業になるというかね 抽象度が高すぎるとダメじゃん 生物が好きですとか私物が好きなんですとか言ったら 気持ち悪いって思われるじゃない 物ってなんだよってなるもんね だからその抽象度を具体か抽象かではなくて 具体と抽象の間を精度高く行き来できるかどうかっていうね その辺が大事だと思うんだよな なんかね僕自分の文章とかオーディブルとかで自分の本を聞くとね 結構たまに何言ってるか分かんないこと言ってんな俺って思う時があって 多分それはね俺の文章俺の喋りもそうだけど2倍速とかで聞くと何言ってるか分かんなくなるっていうか のがあってなんか文章にもそれがあるなと思って 割とね2倍速3倍速のオーディブルの上限のスピードとかで読もうと オーディブルの自分の文章読もうとするとマジで何言ってるか分かんなくて それはそれは飛躍の問題だと思うよ そうそうやっぱねちょっとね隙間がちゃんと文章ごとに隙間が空いちゃってるので それをとんでもないスピードでやると 気が付くととんでもない自分が今どこにいたっけって分かんなくなる文章なんだなと思ってて でもそれって逆に言うとやっぱ文章が具体的な文章が詰まってない 程よく隙間が空いてるってことは読む人がいちいち頭で あこれってこの感覚のことかなとか あこういう経験もあれもこれも当てはまるかもみたいな そう まさにだから小林秀夫の文章なんか2倍速で聞いたらもうお手上げですよ そうそうそうそう なんかねそうそういうなんかねやっぱ現代の なんか良い良い文章と言えば何て言うのかな 読みやすいって言われる文章ってね隙間が僕からするとなさすぎるんですよね はいはいはいはい なんかそんないちいち言われなくてもなんかつまんなくなってくるというか 脳の負荷がなさすぎて読みにくいんだけどってなっちゃうっていう だからそういう意味ではさお経を読むとかさ ノリトを想像するとか ノリトは人間に対して書かれたものじゃないけれど やっぱりリズムだとかスピード感めちゃめちゃ重要なわけだよ そうそうそうリズムが良ければなぜか読めちゃうとかね そういうなんか儀式性もあるよね そうやっぱねやっぱ儀式はさだいたい音楽を使うっていうね 特に音楽じゃなかったりリズム打楽器的なもの それによってBPMを揃えるとかねみんなのリズムを揃えるっていうことによって 何かを巻き起こすっていうかあるいはないものをあると感じるとかね そう いやなんかね儀式っていうのをなんで僕が言い出したかっていうと なんかね雑魚ってやっぱあれ儀式だよなと思ったんですよね 分かる分かる 雑魚って一般的な雑魚のこと言ってるよね うん はいはいはいはい でその咲いたる霊がだってプレゼントする時ラッピングというわけ分かんない儀式やるじゃんっていうね あれ無駄じゃんどうせ剥がすんだしどうせ袋捨てるんだし 取っとくね日本人は割と包装紙とか取っとくっていうのあるけどさ わざわざ紙や袋に入れてリボンをつけて中が見えないようにするという 呪術を一回経由するわけですよね人に何かを渡す そうだね あるいはね授与式とか受賞式みたいな式典まで催したりするわけじゃないですか 何かを授ける時に はいはいはい なんかねやっぱね人と人が繋がる 雑魚っていうのは人と人が繋がる儀式だけども むしろ人と人の繋がりを切断するというか だから良くない繋がりとかあるいは共依存みたいなものを 何で見たんだっけな 例えばさ恋人からもらったものをよく物語であるじゃないですか別に あんまみんながやってるかどうかより理解できると思うんですけど 例えば海にそれを投げて捨てるとかあるじゃないですか もらったネックレスをみたいな あれとても儀式だと思うんですよ 別に普通にさ燃えないゴミの火に出せばいいわけじゃないですか でもそれじゃまだ手放せてないからだと思うんですよね やっぱり自然界の何か海なのか湖なのか火山なのか分かんないけど 何かどっかにこう儀式的に手放すというのがないと離れたことにならないっていう そうだねやっぱ捨てるんじゃなくて地球に返したいよねそこはね タイタニックの最後もそうだったね なぜ我々はあれをやるんだろうって言うとやっぱね儀式って何かって言うとやっぱその ないのにあるとかいないけどいるっていうものを立ち上がらせるための方法でもあると同時に なんていうのかなこう 何の変哲もないものを特別なものに変えるために あるいは特別だったものをただのネックレスに変えるための儀式とかその従属性とか 特別になってしまったオーラを付与したりあるいはそれを消したりっていう作業のために やっぱり儀式を経ないといけないんだなと思ってて なるほどな あと今年僕今翻訳なんですよ おおなるほど 数え年41歳の翻訳なんですよ今 なるほどそれはそれは まあまあちゃんとでっかい神社で仲間と一緒に役払い行ってきたんですよ 同い年の仲間と そうそう前役ちょっと一個したかな他のメンバーと一緒に やっぱね家護を感じるんですよね何か守られてるって感覚があるんですよやっぱり 儀式を経ると なるほど 俺結構役同士はもうなんか独自の考え方があって もうやりたいこと全部やる年 はいはいはい 失敗したら全部役同士のせいにする そうだ確かにそうか ボーナスステージだと思ってたからね すいませんちょっと役同士なんでって言って ある意味無敵ってことか 無敵無敵無敵全部役同士のせいにできちゃう 大きな変化があるよ特にネガティブな場合だと失敗とかね なんかいろんなことがありえるよっていう可能性高いよって言われてる時にやれば 自分の中でも周りに物語化しやすいわけですね そうそうそう なるほどな 大きな失敗をするかもしれないことをやっちゃったらいいと思いますよ今年は いや多分僕の人生は色々と事件が起こると思うので多分大丈夫です 職業でも むしろちょっと穏やかなぐらいでと思っとかないと なんか儀式リチュアルっていう 人類を幸福に導く最古の科学っていうサブタイトルのリチュアルって本があるんですけど これ読むとですね要はその 何だっけ 赤々と燃える炭をバーッと並べてその上を歩く日渡りの儀式とか あとはどこだっけなインドとかであるような体中に針 穴を開けまくって炎天下の中山を登るみたいな儀式とか色んなのが登場するんですけど ちょっと前までこれを科学的に測定ができなかったそうなんですよ ウェアラブルな測定端末がなかったからちょっと前まで 実際終わった後にインタビューするとか とても思うとか全然そう思わないみたいなアンケートとかそういうことしか調査ができなかったのが その日渡りする人に心拍モニターつけたりしてリアルタイムで測定できるようになったり あと終わってからコルチゾールとか あとエンドルフィンが血中にどれぐらいあるかとか測定できるようになったって かなり認知科学的なアプローチをする本で 結構やっぱり儀式とかの本だと鉄学とか文化人類学とかで 本当に現地の人たちがこういう言葉を言ってるとかになっちゃうから 結構とっつきにくいじゃないですか だけどこのリチュアルってこの本はとてもサイエンティフィックに しかもその儀式をやってる人たちに対するリスペクトの眼差しがある 科学者の方が書いた本で 科学的にはこうですよねとかじゃないそういう言い方はしないんですよね あと進化のメカニズム的におそらく人類の黎明期にこういう効果があったから この儀式というものが残っていったんだろうみたいなそういう書かれ方をしていて いいですねなるほどな そうなんかね いやまだね僕うまく言葉にできてないんだけどやっぱりなんか儀式は なめちゃいけないなってすげえ思ってるんですよ 要は印集的というかさ前時代的じゃないですか儀式みたいなものって 儀式って言っちゃうとねでも儀式って言われてない儀式がいっぱいあるわけじゃない そうそうそうそう だってあのなんだっけ いや僕さ今ねワールドベースボールクラシックで野球やってるじゃないですか国際大会 あんなん儀式以外と何物でもねえじゃねえかと思うんですよ なんでボールを投げる打つ取るこのラインを越えたらみんなが盛り上がる これ何やってるのっていう でみんなが熱狂するんだから宇宙人が見たらなんかまたフェスティバルやってると思うと思うんですよね そうだよなもう推しのアークスターを並べるのだって儀式ですから カバンにバッティをいっぱい入れるんだって儀式ですからね 多分ねそれも役払いと同じで家護を感じるんでしょうね守られてるとか 家護もそうだしどれだけ自分は理解しているのかっていうね 千引きでもあるよね結界の一つだよね ああそうね結界だね 結界張るとなんで人間って落ち着くんでしょうね やっぱり外敵に対する恐怖がサバンナの頃の黎明期にずっとあったのかな まあそうねだから結界日本においても結界を張るっていうのは 要はよりしろと一緒で神に来ていいでこの中は大丈夫ですよ来てもっていうのが最初の結界だからね だから俗なるエリアと聖なるエリアっていうね分け方でしょ まあだから自分の影響が及ぶ範囲なんだよ それこそほら十日会神戦じゃないけどもさ領域展開と なるほどな 自分はここまで影響力を与えられるよこの領域まで つまり自分が家護することができるんだよ守ることができる コントローラブルな領域ってことか だから安心するのか 私がホストとしてここにいるから安心してここに来てくださいになるわけや 私その予測可能性も高いって思えるってことかその中では内部では 要は不測の事態みたいなものはその外では起こるけどこの結界内部では予測可能なことしか起こらないっていう 起こりにくいし何か起こっても自分でなんとかなる可能性が高いっていうね いやだからさこの話をさ多分何言ってるか分かんないって人が多いと思うんすよね あーそうそうかな だって結界とかここのなんか例えば学校この学校は受賃が上手くいってますねとかって言わないじゃん それは言い方の問題っていうかさ ここは気の流れがこれきっといいですよとかって僕はちゃんと感じるというか スピリでチュアルな人になっちゃう なっちゃうでしょ違う違う違う違うのよっていう身体レベルで分かるじゃないですかっていう まあだから結構その辺ってさスピリチュアルと呼ばれているものもさ 理解の解像度だとかさ 枠組みの問題フレームの問題が大きくてさ 言ってること自体は科学的にいくらでも捉えられることなんていっぱいあるじゃない 例えばなんか結構ダウジングだとかってさ怪しい代表みたいなに言われるけどもさ あれだってさ要はなんていうのかな 本能的に身体が先に反応することってあるわけで 要は哺乳類の一部の哺乳類がさどこに皮が流れているのかをさ 身体で察知することができるのと同じようにさ 我々だって全然無意識だけれども 細胞レベルで言ったら皮がどこにあるのかって分かってた頃があったはずなんだよ だってねグーグルマップもないしコンパスもないし地図もないし だとしたらなんか催眠状態のときにさ それがなんか少しさそっちの方に振り込んでましたみたいなのって全然ある話だよね なんかね僕ねこれはあるだろうなとか それはさすがに毎日話だろうって感覚がちゃんとあるんですよね それはあり得ますね人間ってそういうこと起こりますもんねって 僕別になんか超スピリチュアルな経験したわけじゃないんだけど 人間の身体多分それできると思いますよみたいなのがね そうなんだよだからダウジングは俺は結構科学的に説明できること多いだろうなって感覚だし 占いの中でもタロットは別に普通に心理学的に説明つくこと多いよねっていうかさ やり方によるけどさ なんだろうね 儀式っていうものの重要性でいうと なんていうのかな すごくネガティブなところだけがクローズアップしていて 実はそれがなんで人類はそんな無意味に見えることをやってきたかっていうと 無意味じゃなかったからだよって単純な推論だと思うんですよね その通りだと思います いやただその負の側面ももちろんいくつかね例えばね人柱とかさ 生贄みたいなものっていうのはあったから なんかさそこを儀式の話をするならそこをちゃんと負の側面も言わないといけないじゃないですかって時に なんかね包丁を推奨するのは良くないでしょ包丁はだって人刺しちゃうじゃないですかって言うんだけど 包丁はもともと野菜を切ったり肉を切ったり調理に使うものであって 包丁を使って刺すっていう方が例外的な使い方で そういう人がいたらどうするんですかしないようにしましょうって言えばいいじゃないですかで終わりなんだけど なんかねすごくそこを気にする人がいてすいて それは同じことなんだっていう風に思う人と全然違うと思う人がいるからな なんていうのかな 儀式的なものを経ないと僕らってうまく人と繋がれないんじゃないかなと思ってて さっきの結び目みたいな人と人との結び目にもなるわけじゃない意味だけではなく 例えばなんか正座をして背筋を伸ばすとさ なんか気分が少し変わるよねみたいなことがあったとしてさ そうやってでも別に普通にさ 背筋伸ばしたらさ 導管が伸びんだからさ脳に酸素が行くから頭クリアになるよね だから背筋伸ばした方が成績上がるんだよみたいな話ってあるわけでさ でそういう風な状態の方が人のこともちゃんと見れるしちゃんと考えられるしさ なんかシンクロ的なことっていうのは 矜持性的なことっていうのは起こりやすいよねっていうこともそうかもしれないしさ だから説明しようと思えば何でも説明できることって結構あると思うんでね だし実際捜査家のリチュアルって本は 諸々測定したりしてみると明らかにプラスの効果があったとかね そうそうだからどんな科学で説明するのか 次第な話だと思うんだよね ただそこでさ でも科学に寄りすぎると儀式としての意味を失ってしまう側面もあるから そうそうそうやっぱね不合理なもので駆動しなきゃダメなんですよね そうだから分かんない ブラックボックスであるからこその儀式っていうのもあるからね これさだから遊びっていう 儀式と神体制って言ったけど 遊びってそれじゃんっていうね 遊びは自己目的的じゃないものすごく それ自体が楽しいからやっている 儀式の場合はそれ自体が楽しいからやってるってわけでもないじゃん やるもんだからやってるっていうか でも何のためなんですかって言うと やっぱり儀式に熱中してる人ってみんなリチュアルの本人も出てきたけど 誰も答えられないっていう 我々は昔からずっとこれをやっていて とてもとても大切な行為だってことは分かるんだけど 何のためなんですかって言ったらみんな分かんないっていうと 結構その点で言うと遊びと近いと思うんですよね まあそうね目的的ではないというところでもそうだよね 儀式をやること自体が目的っていうね しかもこの手順に従ってやるということが重要であるとかね これやっぱ身体とか儀式みたいなことに 我々はそれこそ身体レベルで大事だよねって分かる 教室の中で授業をやってるってやっぱり儀式的な側面とか あるいは身体と身体のやりとりだもんなっていう みんなさ映像授業で全部いいじゃんみたいなやつたちって あれだから身体じゃなくて情報交換とか 情報の樹々だと思ってるんだよ そうそうそうじゃないんだよ だからやっぱり教科書とか参考書で家で自習すればいいじゃん っていうのも同じ感じじゃんそれって そうじゃなくてじゃあ音読しましょうよとかさ 対話の中で学びましょうよみたいなことっていうのは ちょっと全然違うんだよね 我々もさこれちゃんと理論化したり測定したりとか いろんな教育心理学的なものとかいろんなこと言えるだろうけど やっぱ我々も身体値としてわかってるじゃないですか 身体声がなかったら多分無理なんだよな 知的に講師の側も生徒の側も知的にアクティブになるために やっぱお互いの身体とか身体に裏打ちされた声とか 顔とか表情とか眼差しみたいなものがないと無理だと思うんですよね っていうのは多分身体的にはわかるじゃないですか でもなんでって言われたらなんでやってくとわかるんだよみたいな そうね ほんと眼差し一つで変わるのよ教室の空気がとかね 声の出し方一つで教室の空気変わるのよっていう そうなんだよね 立ち方生徒との身体的な距離感一つでメッセージ性がガラッと変わるとかさ やっぱり意味を考える前に声が入ってくるわけだからね そう考えると教育実習の人たちがさ 学生さんが授業下手なのはそりゃそうだよ だって体がまだ仕上がってないんだからっていうね どういう身体技法でどういう声の出し方 どういう目線の振り方によって生徒がおってなるかとかをさ 経験ね多分100回200回何百回ってやっていくうちに 多分自然とみんなっていうかそういう なんていうかな学習能力があるっていうか そのいい授業をしたいとかどうすれば教室が一つの生き物のように あっという間に今日も50分経っちゃったみたいなことを目指したいって思う人は 多分自然と体が吸収してくと思うんですよね あの声の出し方だったのかもみたいな なんかさ教育において先生とか教育の指導方法みたいなさ なんていうの?教育指導法 なんていうのがあるじゃん メソッドというかなんかジャンルが そこに生徒と教える側の身体性みたいなキーワードって 多分結構抜け落ちてるっていうか あんま基本的には明治的に語られないよね いやそうなんですよ 俺声の出し方ってとにかく授業では基本中の基本だと思ってるんだけど 声の出し方の話なんて聞いたことがないからね たまになんか福祉で授業をすると潰れにくいですって言ってる人がいるぐらいでさ でもさそれは生徒がどう受け取るかじゃないじゃん こっちがきれいしないかとかさ そうそうそうそう いやそうなんですよ だから僕よくさ身体性なんですかっていうときに いやだから僕ら会話をする 今ボイシーでこうやってるとなって 今ヤンギンさんが身体を使って声を出してるわけじゃないですか 言葉っていう以前に声であって音なわけ その音によって僕がまた音を返すわけじゃないですか っていうさ会話も音と音の打楽器身体という打楽器あるいは笛 まさに管楽器あるいは打楽器のようなものと思ってやったら 会話っていうもののイメージ変わると思うんですよね そうだね だからまあセッションとかって言うけどね 喋ることそれがすごい近いなと思うんだよね そうそうそう つまりその話を要約するととか言われても 音を要約しないでよっていう そうだね あるいはね例えば何でもいいんだけどさ ウィンフィルのこのオーケストラのこの今日の音楽を要約するとっていう いや音楽は要約できねえだろ その場に居たか受け取ったか受け取らなかっただけじゃなくて 推しの曲を2倍速で聴かないだろ君っていう話だよね つまりじゃねえだろっていう 情報じゃないんだし詰まるなと詰めるなと そこは大事だとこやね 意味とか物語っていうものを補完してくれるのが身体 だからさ儀式自体が問題なのではなくてさ 儀式を簡略化しようっていう発想になってしまうところが問題なわけじゃん なんか儀式が意味化されてないくてさ 一個一個のことに意味があるんですよって言われたら じゃあそこは省略できませんねってなるけどさ ここがないがゆえに なんか儀式を簡略化しようとする人たちが出てくる そうすると儀式は充実性を帯びなくなってしまうみたいな そうね なんかね僕儀式っていうものを通して 我々の身体的な感受性というか潜在能力みたいなものの話にね 議論として繋げられるんじゃねえかと思ってるから ずっと最近儀式儀式って言ってる気がするんですよね だから儀式と稽古って俺すごい近いと思う 型稽古みたいなものっていうのはあって すごい分かりやすいのよ でも型稽古っていうのはさ やる気がある人が成長しようとして型稽古するじゃん基本的に だけど儀式ってそうじゃないじゃん そうじゃない人が参加する中で変容を起こすんだよね 結局その儀式的なものになんでユングが行ったかって 俺儀式はすごい錬金術と近いと思うんだよ そこに理由分かんないけど それをトレースしてその通りにやろうとしている中で 自分と向き合うことにもなるし その変容が起こってくるしっていうことを体感するための 型というかレシピなんじゃねえのかなという気がするんだよね なんかね私というものをはみ出る 私というものを乗り越える方法にもなってる気がしていて 儀式って簡単に言うと没頭するってこと そうだね 没頭って言えばいいのか儀式のポイントは没頭することです しかも集団的に没頭することです トランス状態になるってことだよね それがその強磁性がすごくなればトランスする なんで俺はそういうのが今大事だと思うんだろうな そういうのを求めてる? ある意味僕はずっと昔からそういうのをやってる会話の中でも 会話ってむしろそういう 僕乗って喋ってるときってトランなんですよ はいはいはい だから喋った内容を覚えてないんですよ 分かる分かる なるほどね よく覚えてられるな自分が何言ったかっていう そうかそうか すごい編成意識で喋ってると思いますね いいと思いますそういう感じ それでいいしむしろ編成意識で喋れるところまでベースがあるっていう話 インプットをして即興で喋れるだけのインプット量というか ネタを持ってるかどうかとか あとは即興で喋れるはずだっていう自信もないとできないしね まあそうね なんかやっぱね話すためのトレーニングって 話す前に全部が終わってるというか もう稽古の時に本気でやっておいて 本番はもう遊びのようにやるみたいな はいはいはいそうね 考えながら喋ってるって多分 僕喋ってるときあんま考えてないと思ってる それはいいことなんです 自動運転というかなんか自在に喋ってるというか あとはお任せしますっていうね誰かにね 潜在意識にお任せしますとか あとは多分僕の体がなんかしてくれると思うので大丈夫ですっていう そういうとこはあるよね ラッセルなんかもすごい潜在意識にお願いするみたいなさ なんか一つ考えたいことがあったらこれについて考えるぞ という風にもう決め打ちをしといたら あとは潜在意識がやってくれるみたいなさ 割と起こることだと思うんですよね いや全然起こると思うよ でなんかねそのね 潜在意識的なトランス状態で台本もなくさ ずーっと喋ってるときの方が 割といいこと言ってたりすんだよ 僕台本あると全く潜在意識にいけないから マジ苦しいんですよね 結構台本あるの今? 今何もないです 基本ないんですけど 今というか台本がある現場だとかっていうのはある? 何となく用意されてる こんな感じで喋ってくださいみたいなのがあると めっちゃ嫌だなみたいな なるほどね 緊張するわこれ言わなきゃいけないなって そうなるほどね というわけでちょっと今日は意識について つかず離れず50分くらい喋ってきましたけれども 話すこと自体これもさ このボイシーも儀式的なところあるわけでもうすでに そうですね決まった日というか 毎月第4火曜日みたいなね でなんか別にね小さな風邪ひいてお休みなんて やらなきゃいいのにとりあえずやろうかみたいな 一回分みたいなね でもそういうところそういうのなんか 別に無理するんではなくてできるなら やってたことはやっておこうかみたいなところから 生まれるものってあると思うんでね というわけで今日は儀式 儀式と新体制についてお送りしました 皆さんお付き合いありがとうございました ヤハギでした そして近内でした おやすみなさい もっと見る #哲学 #教養 #身体性 #リベラルアーツ #儀式 #近内悠太 #矢萩邦彦 リベラルアーツ探究実践Radio矢萩邦彦|ArsCombinator49:421.【対談】近内悠太×矢萩邦彦『教養と哲学を考えるラジオ』儀式と身体性編https://kmk.jp.net/vo/コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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