TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#227 自分を見つめることの難しさ08:24 2024年7月9日 415再生 問題を報告する 再生する シェアする 「自分を見つめる」ことは、とても難しいです。今回は、その難しさについて、少し掘り下げて考えてみます。AI目次理想像とのギャップに悩むあなたへ自分を見つめる難しさとは?欲望と執着を手放す方法とは?失敗から学ぶ成長の過程等身大の自分を認める大切さAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # こうあって欲しい、こうあるべき自分の姿と今に自分を比べてしまう 今日は、自分を見つめることの難しさということでお話したいと思います。 前にもお話しした通り、今ちょうど看護の学校で哲学を教える機会があるんですね。 それで、質問とかをいっぱいいただいて、結構時間をかけて、質問についてこう考えた方がいいんじゃないかって、 いろんなこの考え方を実際にお話ししてみて、参考にならないかなという風に取り組んでるんですね。 そうすると、皆さんからいろんな悩みとかご質問が出てくるんですよね。 その中で感じたことをちょっとお話ししようと思っていて、 今日はその中で自分を見つめることの難しさということをお話ししようと思っているんですよね。 自分を見つめるって難しいなということは、誰もが思っていると思うんですよね。 じゃあ、どうして難しいのかというところをちょっと踏み込んで考えたいんですよ。 見つめるってどういう風にやるかというと、実はこの理想の自分と引き比べて自分はどうかという風に、 誰もが無意識に考えているんですよね。 だから本当は自分はこうありたい、本当は自分はこうやって欲しいという風に自分があって、 それから先にこう見られたい、そういう自分になっているかどうかという風に比べて評価するということになっているんですよね。 だけれども、ここで大事なことは、その時自分を現実にある自分と比較している等のこうあって欲しい自分の姿というのは、 大概は欲望と執着の産物なんですよね。 だから自分を振り返る時に、本当はこうありたいんだけど、今の自分は何だ、こうなんだと思っている時の本当はという風に、 実は心の中でそこを目指しているような理想なり方というのは、 実は欲望と執着の産物で本当にそれっていいのかなという風に考えるべきところがあるんですよね。 そういう風にこうあって欲しい、こうあってありたい、こう見られたいと思っている、 その欲望と執着の塊でできたような自分の理想像みたいなものは、実際の自分とはやっぱりかけ離れちゃうんですよね。 しかもかけ離れて欲望が肥大しているから身の丈に合っていないし、 実際自分の性格や自分の一番向いているようなものとぴったり合わないということが多いんですよね。 多くは自分にないものに憧れたりするじゃないですか。 だからないものになるようになっていることも多いし、 それから自分の憧れている姿というのがたまたま自分の身近で自分がすごいなと思ったり自分が良いなと思ったり、 自分の見ている前で拍手返しを浴びるようなそういうものを見て、 たまたまですよ、それに出会っただけなのに、それが良いものなんだ、それが素晴らしいものなんだという風にそれを目指すんだという風に、 この偶然的なものに強を取り憑かれてしまって、 自分の本当の在り方、自分の性格や生まれつきを持っているようなものと比べた時に、 それに相応しいものであるかということを抜きに、たまたま良いなと思ったものに引きずられちゃっているということがよくあるんですよね。 それってうまくいかないわけですよね。 だから自分を見つめる時には、理想像に照らし合わせて自分を見るんだけど、 実は自分を見つめるということは、本当はそういう欲望や執着のフィルターを外してみるということが本当は必要なんですよね。 でもなかなかこれはできないです。 # 結局は... こういう事情を考えるときどうするかって、今お話ししましたように、自分で自分のことを見つめようと思うときには、 自分の欲望や執着に都合よく自分を見たりすることがないようにすべきだけど、ついつい自分都合で見てしまう。 自分都合であるべき自分のイメージ、自己イメージを膨らませちゃうから難しいわけですよね。 じゃあどうしないかというと、結局は自分で自発的に自分を見つめようと思うときには、どうしてもついつい自分都合のイメージを膨らませてしまうので、 そういうところには必要なことでもあるとうまくいかないんですよね。 で、どうなるかというと、まあ辛いことではあるんだけど、失敗とか苦労とか途方にくれたりする経験ということが一番役立つんですよね。 失敗したり苦労している時とか、途方にくれたりする時って、実はこうやって欲しい、こうやりたい、こう見られたいという自分都合がうまくいかない状態なんですよ。 だから自分自身何とか打開しなきゃと思うときに、自分都合のイメージを膨らませて甘えている余裕なんかないですよね。 何とか失敗を挽回しなきゃ、苦労を突き抜けなきゃ、途方にくれているけど何とか手がかりを見つけなきゃというときには、 まずは自分の都合とか自分の欲望で膨らんだイメージじゃなくて、まず現実をしっかり見て、何とかミニマムを見ながら切り抜けていこうと思うわけだから、 シビアに自分を見せるんですよね。 で、苦しいから、やっぱり何とか出したいということで一生懸命になるし、そういう意味での感情的な甘えもきかないですよね。 で、哲学の講座をやっているときに、皆さんからいただく質問の中に、自分自身を見出すことができないでいるって、自分のしっかりした軸が見つからないっていう、 そういう学生のとっても切実だし、とっても誠実な声があるんですよね。 だけど、私の自分自身の若い頃を振り返ったときに、その思うこと、今私が思うことは、若いうちってやっぱり圧倒的に経験が少ないから、なかなか自分自身の中を見出せないし、軸の中を見つからないんですね。 いろんな経験を積み重ねていく中からしか、その見つからないものっていっぱいあるんですよね。 でも、今話しているというように、自分がこうなってほしいなんて自己イメージだけやったらべったら、膨らましたって自分自身の軸なんか見つからないんですよ。 やっぱり自分の等身大の自分に味覚しないと、本当の自分って見えてこないから、自分自身でわからないし、軸だって見つからないですよね。 だからやっぱり、今お話しているように、若いときには圧倒的に経験が足りない。 でも、経験が足りない場合の経験って何かって、結局それは苦労と見重ねて、なんとかしなきゃってアップアップしながら真剣に向き合っているということが大事なんですよ。 そういうふうにアップアップしながら真剣に向き合っている中で、必ずしっかり社会化ができてくるということ。 これは自分の人生を振り返ってなんですよね。 だから大事なことは、ほっといても人間ってつらい目に遭っていくじゃないですか。 社会に育っていって、一日間の人間としてその社会の中で生きていくというのはとても大事なことですよね。 その中でつらい目には思い通りならないことがいっぱいあるんだけれども、諦めないことですよね。 で、捨てないことですよね。 で、自分に正直に素直にいることですよね。 で、粘る強く奮闘すること。 もう努力したくて余裕だけど、これが一番近道だと私は思います。 自分自身の経験からそう思います。 そうやって、もう努力したけど一生懸命やっているうちに、気が付いたらちゃんとできるようになってて。 で、ちゃんと自分の軸や格というものができてくるって。 私はもうね、今この年になってやっとそれなりに自分のことを認めたり、見つめたり、考えたりすることができるようになったんですけれども、 結局やっぱり自分で、ああでもないこともないなんて考えているときじゃなくて、 こういろいろな力不足を感じたりね、失敗したり苦労したり途切れたりって、 中で必死でこうもがきながら前へ進んでいるときが、今思うと一番自分が成長したなって思うんですよね。 だから若い人には、あの、恐れないでチャレンジしてほしいなって。 その時その時、自分が立っているとき苦しい真っ最中って、なかなか自分が進歩しているように見えないんだけど、 長い時間かけてやるときに一生懸命捨てないで、誠実に一生懸命チャレンジしていたら、 必ず認められるって年齢だった今、私は思ったりもします。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #自分を見つめる #欲望と執着 #自分都合 #あるべき自分 #苦労の中から学ぶ #身の丈にあった理想像 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:111.初めのあいさつ03:282.こうあって欲しい、こうあるべき自分の姿と今に自分を比べてしまう04:383.結局は...00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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