TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#497 日常に活かす禅...丁寧に生きる③21:24 2025年9月17日 484再生 問題を報告する 再生する シェアする 日常に生かす禅...丁寧に生きるの三回目。最終回です。AI目次「丁寧さ」が人生を豊かにする秘訣集中と観察、心の状態を高める方法雑念を払い、丁寧に観察する極意自分の人生に徹底的に向き合う覚悟平凡な日常に潜む発見を見出す旅AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「丁寧さ」が私たちを守る 今日は、日常に生かす善、丁寧に生きるという話の3回目、最終回になります。 日常に生かす善というのは、善的なものの考え方、感じ方を日常の中に生かしていく。 これはどういうメリットがあるか。 善というのは心のことです。心を見つめる瞑想のことを善というわけです。 インドのジャーナという言葉が中国語に入ってチャンになって、そのチャンという漢字の日本の読み方が善ということになるわけです。 心を見つめるということ。 どういうことかというと、心の針がどっちを向くかによって、当たり前の日常がだんだん自分を高めていくものになっていくのか。 それとも、どんどん自分を悪くして迷わせてしまうのか。それとも、毎日が普通に過ぎていくだけなのか。 心の針の向き方一つで、同じように日常を過ごしていても、その生き方は変わっていくんですよね。 実は私たちは無理なことを自分に要求して、無理なことを自分に貸してやっていくということには限界があるんですね。 集中力や忍耐などにも限界があるから、無理をして自分の人生を変えるのはなかなか難しいです。 だから無理をして貸すということは必要なんだけど、そこに限界があるんだけど、 そもそも日常生活の中で、物を見たり聞いたり感じたり考えたりして、そういう働きの中にこういうふうに感じる、こういうふうに思う、こういうふうに考える、 そういうことをちょっと心の針の向き方、自分の物の考え方、感じ方、価値観にちょっとだけ大切なものを入れることによって、 それが当たり前になると、無意識に自分で自分を高めていくような感じ方、考え方を得ることができるんですよね。 そうやって心の向きの針だけをちょっと意識して変えるって。 日常に生かす善というのは、まさしくそういうところを考えていこうという試みですね。 その修行道場に入ったら、その善の暮らしはできるわけですね。 でも、あまりにもやることが大変でしんどくなってくると、心が虚偽反応を起こして、 動作はちゃんとやってるんだけど、心がもうここにあらずで、早く終わんないかなって、 こんなとこ来たって後悔してるなって、嫌だなこんなとこって思っちゃったら、 そう思ってる間はいくら行を積み重ねたとしても、スキルだけはあるけど、心の針が向いてなかったら、 心は育っていかないんですよね。 だけど日常生活の中で暴殺されていて、道場の中へ行くこともできない。 だけど少しでも自分の人生が良くなるように、少しでも自分の人生が高まっていくように、 少しでも自分の精神力が高まって、少しでもちゃんと自分でも良かったなって言える人間になれるようにしようって、 心の針はどこかで、これぐらいしかできないけど、こういう風に感じよう、こういう風に考えよう、 こういう風に生きていこうって、そういう心の針一つでいかなくても随分変わりますからね。 だから日常の中でその針がどういう風に大事かっていうところ、そこを注目して生きる。 そうするとこの帽子の方で頂いた、丁寧に生きるってことですよね。 既に頂いたトークテーマは、忙しい日でも丁寧に暮らすっていう、そういう言い方だったんですよね。 私たちはどうしても忙しさに暴殺されてしまって、もう存在ない生き方になってしまうんですよ。 でも暴殺されている中で存在にするのか、心の針をちょっと良い風に向けるとかの違いです。 でも心の針を向けるって、何もそんなとんでもないことをやれとか、疲れているのに夢中でとかってことではないんですね。 物の感じ方、考え方をちょっと針を向けるって。 それだけで見え方が全然違ってきますよね。 そういう話をずっと続けているわけなんですね。 その上で大事なことは何かって。 まあこうしんどくなってて、どうしても存在になってしまうんだけど、 そこでやっぱり存在にしちゃったら辛い上に無駄な時間ですよ。 存在じゃなくて辛いけど、やらなきゃならないことだったら、 存在にしないで辛いけれども、やっぱり丁寧にちゃんとやろうって、ちょっと迫り締まる。 どうせしんどいのと一緒ですよ。 どうせ心を使うのと一緒です。 その時に心で、これは大事なことだから、よし、やろうって。 心の向きをちょっとちゃんと向けるということで、変わることが大きいですよね。 その時に丁寧にやろうって。 丁寧にやることだけは、この大事なことだけは丁寧にやろうって。 しんどくても存在にはしないぞっていう、そこは結構大事ですね。 このことに関しては、これに関しては絶対丁寧にやるぞって。 それが自分の生きていく上での柱。 どんなに忙しい中でも、これだけはちゃんとやるって。 それを頑張り抜くことによって、ガラガラっと日常が崩れて変な風に流れていく。 そういうのを妨げる、そういうのを止める柱になるわけですね。 だから心の針を向けて、これだけはちゃんといこうって、それは大事ですね。 だから日常の中に必ず、自分はこれだけは妥協したくないっていうものを何か残していくってことが、まず基本は大事なんですね。 # 集中から観察へ そこで大事なことは何かというと、この丁寧さを、丁寧さをたらしめるものは何か。 それが、もう繰り返しお話していますけれども、集中と観察ということですよね。 で、集中ということを代表するものは何かって、余計なものに供給はされないということです。 早く終わらないかなというのは、雑念ですよね。 余計なものと余計じゃないものの違いはどこにあるか。 それを考えることが、自分がやろうと思っていることを高めていくのは余計じゃないこと。大事なことです。 でもそれを考えることが、自分がやろうという仕事に貢献しないもの、それはどんなことだってみんな雑念です。 だから考えることが自分がやることに良くなるんだったら、それはどんどん考えた方がいいですよ。 でもそれをやるときに、自分がやろうと思っていることの妨げになったら全部雑念です。 もうだから余計なことを考えないで、ぼっとしてやるということですね。 嫌だなってここに浮かぶことは誰もがありますよ。 だけどそのときに、これは雑念だから、これに自分が身を拗ねると、わがままな思いに身を拗ねると、 その瞬間にその思いのせいで、やっていることがどんどん長引くし質も落ちるだけじゃないですか。 それに取り入れた瞬間に、どうせやらなければならないことの質が落ちるだけだし、下手するとさらに時間がかかっちゃいますよ。 もうそれはわきまわりとおく必要がありますね。 だから、やることに集中する。それを高めることに集中する。 いつも心がけるということが大事ですね。 そのときに次に流されちゃうという、誰もが持っている性格に対しては、やっぱり自分でそれを許さないでおこう。 最初は自分の大事にしていることだけでいいですよ。 でもこのことに関してだけは、絶対そういう思いは許さないと決めることが大事ですよね。 そうやって雑念に気を取らせないということが集中力のポイントでしたね。 その集中力のポイントのもう一つ、その中で、雑念の中で最大のものは人の評価なんですね。 人がどう見えるか。人にどう見られるか。人が今自分のことをどう評価しているか。 それは全部頭からはね上げてください。他人の顔が浮かばないようにすることです。 他人の顔が浮かぶとしても、唯一浮かんでいい場合というのは、自分がやろうと思っていること。 その世界の中で自分が尊敬していて、後を追っかけていきたいと思う人のその背中を追うときだけは、他の人が入ってきてもいいですよ。 その人みたいになりたい。その人がやってた仕事を思い起こしながら、自分を高めていくのに思い起こせるのがいいです。 それ以外は一切他人のことは頭から排除すべきですね。 で、前回はそのお話の先に、普段からその人の評価を気にしないこと。 心の奥底にあるような承認欲求というものを自分で炙り出して、それは決定的に潰しとく必要があります。 最初のうちはあってもいいんですけど、どこかで自分がこれを自分の生き方の軸にすると思えるような大切なものが生まれてきたら、 その大切なものの中に他人の顔は絶対入れないことです。 そして他人の顔を入れてしまう、一番自分を落とし入れる罠は承認欲求ですね。 人がどう見るかは関係ない。そこを徹底的に引き受けるということが大事だということをお話ししました。 今日のお話はその続き。最初は丁寧に生きる。 もう一個の柱。集中と観察ですから、観察ということが大事なんですよ。 そういうふうに雑念を抜いて集中した上で観察をする。 じゃあ観察はどんなふうにやるか。 これは落ち着いて細やかに見るということですよね。 ここで大事なことは落ち着くということが大事です。 細やかというのは、ここで細やか細やかと慣れてしまってくると細やかさに集中力のテンションが下がるので、 実は集中というのも観察というのもそうですけれども、精神のテンションを下げるのは慣れなんです。 だからしんどいときは慣れてもいいです。これは仕方ないことだけども、実はあんまり良いことではないですね。 慣れてしまって、こんなものかなって鷹をくくるって、無意識に心の奥底でこれはこんなもんだろうって鷹をくくった瞬間に、 気が付かないうちに精神のテンションって下がっているんですよ。 もちろんいつも張り詰まったままで生きていくというのは難しいから、自然に下がってしまうことは仕方がありませんが、 それは頭のすべに置いておいたほうがいいですね。 慣れというのは一番怖いということは、どこかで覚えておいたほうがいいですよ。 さあそれをわきまえた上で、集中力を落とさないようにしっかり見るということですよね。 落ち着いて落ち着いて落ち着いて。なぜ落ち着くか。 心を騒がせるものはパフォーマンスを下げるだけなので、 落ち着かないということはどういうことかというと、集中力が足りないんですね。 自分の雑念に心を揺られちゃっているだけですから。 だからまず雑念をおっぱらって落ち着くということです。 焦っても間に合いませんから。 その次に、もう大分の余計なものをシャッターを落として、 丁寧に細やかに見えるということです。つぶさに見えるということですよ。 わかりきったことでも手に取って一回見てみるということが結構大事ですね。 それをまず心を開けるということがまず第一、入り口ですね。 観察というのは結構難しいです。ステージがあります。 仏教の世界では、瞑想は集中と観察なんですけれども、 まず集中ということをやります。これが三股瞑想です。 それから集中した状態で、さらにその先の高度な瞑想というのがあって、 それが微細な瞑想と言われているものなんだけれども、そこで観察ができる。 観察のときにはいろんな瞑想の深みや高みがあるんですね。 だからまず最初に集中ができないと先進めないので、 その集中ということをやる。ほとんど集中の場合にはフォーカスすることも大事だけど、 余計なものを削ぐという形で自然にフォーカスできているというのが理想なんだけれども、 そういうふうにします。次にこの観察ということが入ってきますね。 # 丁寧に観察する 観察というのはルーティンにしないということです。 よくわかっている。よく見ている。いつも見ているのはつもりのものでも、丁寧にきちっと手に取って見てみる。 落ち着いて細やかに見るということです。それ結構大事です。 これをやるってどういうことかというと、実はそういうことを自分で実践して気をゆかない。油断しない。 一番基本はよく運転手さんがやっているように指示をする。声を出して、何とかよし、何とかよしとやるじゃないですか。 ああいうふうに動作をくっつけて気が抜けないようにする。気を抜かないようにする。 鷹をくくらないようにするということで動作を乗っけたり掛け声をしたりということ。 あるいはメモをつけたりノートを取ったりするということ。 そういうふうにしてルーティンにしないということですね。鷹をくくらないようにする注意。 自分の心の性格をわかっていますから、それを見ながらやるということ。 特に大事なことに関しては常に常にそういうことを心を開けるということですよね。 失敗しないということも大事だけど、日常生活を生かす善ということです。 つまりその行をやることによって自分が高まっていくわけなんですよ。 だから気を抜いたらその分だけ、数こなしても気を抜いていたら体力つかない。 ダンベル上げるのに片手だけ上げてもパフォーマンス上がらないですよね。 上げるときにちゃんと筋肉意識しながら、負荷を意識しながら上げるとやっぱり成果が出るじゃないですか。 同じで集中もそうなんですよ。 数いくらこなしても、集中力が落ちた状態でルーティンやったらその瞬間に集中力のパフォーマンスは落ちますから、 やっぱりしんどいようだけどちゃんと見るということがルーティンにしないということが大事です。 これはトレーニングなのである程度やっていればできるようになります。 そのとき同時にですね、物事を見るときに自分は集中して丁寧に観察するときにはこういうふうに見ますということ。 普通はこう見ている。素人さんはこう見る。 普通はこう見るけど自分はこういう見方を注意していますよ。 こういうふうに見る角度は注意します。 この点とこの点とこの点は大事にしていますよ。 これは注意しなきゃならないんですよということをちゃんと自分で分かっていますか。 分かった上で言語化できますかということが大事です。 自分が観察するときに、これとこれとこれはこういうことで大事ということをちゃんと人に説明できるような程度まで明確にちゃんと言語化できるかということが大事です。 言語化することによって落とし込みができます。 言語化しても説明が足りないと思ったらもっとうまく説明するために言語化しているうちに自分の見方の中に欠けているものが見えたりするんですよ。 だから自分が物事を見るときに観察するときに心がけていることを言語化するといろんな気づきがあって自分の感覚がさらに深まります。 これは私もよく経験しています。 いろんなことをみなさんに説明するときに説明しながら自分でこう考えたほうがもっといいなと気づくことがありますよね。 そういう意味で丁寧に観察するということ。 丁寧に観察するということの中には自分の観察するときの見方や注意事項、注意点、そういったものをちゃんと客観認識して言語化することが大事です。 これが観察の中における大事なステップなんですね。 それができるようになったら今度は言語化できるとそれをさらに客観視できるから角度を変えた見方ができるようになるんですね。 こういう角度から自分は見ているけれどこっちの側から見たらこう見える。あっちの側からこう見えるということが見えてきますよね。 そうした瞬間にいろんな角度のスイッチバックができるようになるんですよ。 よく観察できる人間というのは一つのことだけ見ているわけではないんです。 一つのことがじっくり見てちゃんと見えるようになってくると視野が広がってこなきゃ嘘なんですよね。 だから最初は自分の観点で徹底的に見て見て見て見て見て押していくと今度は相手の側からどう見えるかというのが見えてくるんですよ。 それから敵と味方。自分の論を立てようと思って一生懸命やっていたら敵から見たらどう見えるか。 それから上から見たらどう見えるか。下から見たらどう見えるか。中から見たらどう見えるか。外側から見たらどう見えるか。 それからもうちょっと高度になりますけどよくロビンのツボってあるじゃないですか。図と字をね。 あれは真ん中にツボがあるように見えるんだけど人間の顔が前で向き合っているように見える図があるじゃないですか。 ああいうものですよ。自分の考え方は図であるとすると図と字は何だろうか。図と字がちゃんと判定して考えてみたらどう見えるだろうか。 丁寧に見るということはゆっくりつぶさに一個一個取り上げてみるだけじゃないんです。 今みたいに観点を変えていろんな角度から何重にも重ね合わせて見ていくということができて初めて丁寧な開発と言えるんですね。 それから今言った見方を変えるということの中にはスピードを変えるということもあるんです。 実はあえてスピードを上げて見るということも大事なんですよ。 私は道場で気づきました。スピードを上げた方が解像度が上がる世界ってあるんですよ。 丁寧に丁寧にやっていると木を見て森を見ずなんですね。小さいところにミクロに目をとられて全体像が見えなくなってしまうんです。 ところがわーっとスピードを上げると全体像が見えなくなってきますよね。 そうするとスピードを上げると大きなもの大事なものしか見えなくなってくると見方が変わってくるんですよね。 そんな風にあらゆる角度からいろんな見方を繰り返し繰り返し重ね合わせることができるということが丁寧に生きるということのやり方。 丁寧に見る丁寧な観察の行く先ですよね。そういう道に繋がっていくはずなんです。 # 自分の人生に徹底的に付き合う 結局、この日常に生かす前、丁寧に生きる。 集中と観察を通じて、自分を高めていく。 やらなきゃならないような仕事、そういったことであっても、 丁寧にやらなきゃならないし、丁寧にやると決めた瞬間に、 それが自分の心を磨いていって、集中力を高めていって、観察力を高めていって、 結果的に自分のためになるわけですね。 そういうことをしないで、ただ単にダラクサに済ませれば、 時間は楽に過ぎるかもしれないけど、その時間って死んじゃった時間ですよね。 ちょっとしんどいかもしれないけど、腰を添えてちゃんと丁寧にすることによって、 その時間が無駄にはならないです。 でもちょっとめんどくさいなと思っても、めんどくさいという気持ちに打ち勝って 努力してやったら、済んだら結局一緒のことなんですよ。 要は気持ちの持ち方一つ、心の針の向き方一つですよね。 そんなふうに思うんです。 だから日常に生かす善の丁寧に生きるということを、別の角度から言うと、 要するに腰を添えて向き合っていきましょう。 善無についてこれができるかどうかは別ですよ。 善達はそういうことをさせるために、全部腰を添えて向き合うように あえて単純化して枝葉を払ってさせるんだけど、 普通の日常生活の中では、いろんなことがごちゃごちゃしてますから簡単にはできません。 だけども自分でこれは大事だと思うことに対して、腰を添えて向き合う。 腰を添えて向き合ったら手抜きはできません。 腰を添えて向き合ったら、どこかで馬鹿正直にやらなきゃならないから、 承認欲求なんか混ぜ込んだらパフォーマンス悪くてやってるじゃないですか。 承認欲求を満たす一番良い方法ってのは、最小限で最大の効果が出るように目立つことをすることですよね。 言いがかりのこと。そんなのは一発二発効くけどうまくいかないです。 だから人の目をまず気にしないこと。その上でいろんな角度からやる。 ちょっとしんどいようだけど、心の針を時間を無駄にしないというところに置いて、 腰を添えて大事なことには向き合っていこうというふうに思うということ。 これは大事なんだから腰を添えて向き合うぞって。 そういうふうに心の向きを決めることができれば、丁寧な集中、丁寧な開発に向き合う。 だから面倒くさがらずに徹底的にコミットするということが大事なんですよね。 そうやって考えてみると、禅なら早く丁寧にってよく言うんですよね。 禅の日常ってこれをやらせるわけですよ。 徹底的に腰を添えて向き合うからこそ、ゆっくりゆっくりもするし、早くもするし。 普通丁寧と言うとゆっくりからしか入らないから、だからあえて早く早くと負荷をかけて、 本当に腰を添えているから早くもやる。 でも腰を添えていれば早くやることによって、 あれって丁寧だ、ゆっくりやるだけが丁寧じゃないかってやっぱり気づくことがあるんですよね。 だから最初はうわーと思ってやってた瞬間に、心の針さえポジティブにちゃんと学ぼうときがあれば、 気づきがいっぱいあるはずなんですよ。 早くやっても気づき、遅くやっても気づくんです。 そんな風にさせるためにいろんなことをさせる。 だから正の修行で動くなーって座禅をさせて、 同の修行で早せーって両方させる。 あらゆるところで自分が気づきを得られるかどうかっていう風に、 磨いて磨いて磨いて磨くのが正の修行。 でそれ矛盾だ、矛盾だーと言って、 肩ばっかはめて問いながら困らさせて、 実はそういう肩はめて矛盾の中に放り込んで、 どれだけ本人がアップアップしながら工夫して、 いろんなところから学びを得られるかどうかを見てやるのが正の道場です。 もう前に言って同じだし、 最初からできるようなことやってるんだから適当に済ませて、 適当に済ませてりゃ何かやっても自分も成長しないし、 飽きちゃうよねって。 そんな風に業務を適当に済ませたって、 大したことないし義務だし、 検務所みたいなとこだーみたいに飽きちゃうようでは何にも気づいてないんですよ。 それは丁寧ではないし。 そういう風にして人生を無駄に去ったらもったいないですよね。 だからちゃんといろんなところに気づきみたいなもの、 心の針の向き方であって、 集中して観察しってことをあきらめないで自分に化していけば、 平凡なものをあらゆる角度から見て、 平凡なものの中に発見ができるようになるはずです。 気づいたらそうやって、どんなつまらなものに見えるものでも、 その中に発見ができるようになっていくことが修行じゃないですか。 そんなわけで丁寧に生きるってことは難しいですよ。 難しいけれどもそれを自分に化していくことによって、 自分の人生を豊かにすることができるなって思うんですよね。 難しいことだから、自分ができるところからでもいいけど、 最初は自分によって大事なものだけでもいいから、 その腰を据えて向き合うって。 で、横から無理矢理こうしろって言われてしまったことがあったとしても、 そうせざるを得ない時にはせざるを得ないですよ。 でもね、今お話ししましたように、 早くやれって言われて、いやいやでも仕方なしにやるんだけど、 早くやらされていてもその中にも発見があると思ってください。 どんなことをしても発見がある。 どんなことをしてもいいところがある。 どんなところがあったからしても自分に気づきがあるって、 そういう正念深さっていうのは大事ですよね。 そういう意味で、その腰を据えて徹底的にコミットするっていう言い方。 自分の人生にコミットするわけだから、 コミットするかしないかによって自分の人生が豊かになるか貧困になるか決まるわけです。 そういう言い方ができるように注目になりたいなというふうに思っています。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お招きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い1日をお過ごしください。 もっと見る #丁寧に生きる #日常に活かす禅 #忙しい日でも丁寧に暮らす 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ04:542.「丁寧さ」が私たちを守る05:343.集中から観察へ05:164.丁寧に観察する05:235.自分の人生に徹底的に付き合う00:096.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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