TOPトーク教師📕言葉を整える、思考の時間#344 対談ゲストはサンダーさん!批判的思考って、なんだろう?56:28 8月30日 190再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「批判的思考」日本語訳の罠とは?AI時代に必須!思考力を高める授業実践「反論」と「批判」の決定的な違い「正善説」で生きる思考力の秘密思考の持久力vs瞬発力!その特性とは?AI文字起こし(β版) # おはようございます おはようございます。 言葉整える思考の時間、パーソナリティの次回です。 この番組では、教室の学びを出発点に、 仕事や子育て、日々のコミュニケーションに役立つ、 いろんなことをお伝えする番組です。 チャンネルのフォローやいいねもぜひよろしくお願いいたします。 # めっちゃオモロい話できた おはようございます。8月30日日曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。 あの、タイトルのどやり、どやりって言う、え?どやりって言うんかな? えー、忘れました。はい。 えー、さあ、8月末、最終日、違う、最終日は31日。 まあまあ、とはいえ、31日とか1日が始業式や、っていう方もいらっしゃると思いますが、 えーと、これはですね、今日のやつはいつやろう、金曜日か。 えー、サンダさんとですね、えーと、対談させていただいたときに、 まああの、突撃インタビュー的になったんですけど、 どう、お互いにいろんな話をしながら、えー、楽しい話をしてたんです。 で、えーと、批判的思考力とは何ぞや、みたいな感じの話をしていたんですけども、 なんか最終的には、なんて言うんでしょう、まあ授業の話もそうですけど、 やっぱり、なんて言うんでしょうね、うーん、まあ今の、昔というか、 まあここ10年前ぐらいのそういう批判的思考とかの話とは、 またちょっと方向性というか、うーん、考える視点が変わった、増えたなあというふうに思います。 まあやっぱりね、AIのことしかりですけど、 うーん、まあ状況も状況で色々、ICT関係も変わってきてますし、 まあまあこの中では、授業にAIを使ってるかどうかだけじゃなくて、 いやこの時代っていうのは、本当に常に考えないといけないなと、 本当こういう話してても思ったりします。 で、自分なりにやっぱり、中学校と高校の実践を往復できるのは、 本当、まあ強いなと自分でも思います。 まだまだ高校の実践は未熟ですし、足りないですし、たった4ヶ月、5ヶ月ですけど、 それでもやっぱり、子供たちと話しながら、授業しながら気づくこともあれば、 難しさもあれば、というところなので、 まあそんな話がね、サンナさんとできました。 やっぱりサンナさんのね、その俯瞰してる、俯瞰された視点というか、 うーん、そういうところは本当にすごいなと、 いつもなんか考えさせられながら話して、自分でアウトプットして、 でも引き出してくれてっていう、すごくありがたい対談相手というか、 お相手だなというふうにいつも思っています。 はい、ということで、サンナさんとの批判的思考力とは何か、 批判的思考とは何か、そんな話です。お願いします。 # (いきなり🚨ブラックサンダーさんと、そこまで言って委員会 金曜日にブラックサウンダーさんに来ていただきました。よろしくお願いします。 お休みの中、お休みというか、くつろいでいる中で招待してしまいましたが、 昨日ちょっとね、やろうと思ってタイミング悪く、ありがとうございます。 はい、こちらこそです。 ブラックサウンダーさん、簡単に自己紹介いただいていいですか。 はい、別の自治体で3年間指導・修業をしてまして、 今年の4月から奈良県の三宅町の教育委員会に来て教育政策官をしています。 サンダと言います。Xやブラックサウンダーとしてやっています。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。ありがとうございます。 サンダさんに僕のVoicy来てもらうのってもしかして、え? 初めてですね。 ちゃんとこうやって上がってもらうのって初めてですよね。 初めてですね。僕Voicyが出たのは天二郎さんの2回だけです。 え、むしろ天二郎さんのところに2回も出てあるんですか。 2回結構前にやりましたね。全然ウェルブなんですけど、別に。 いやもう、そうですよね。めちゃくちゃ責任というか。 あ、そうなんですね。ちょっと嬉しい。ありがとうございます。 ずっとね、Zoomで、そっか。僕はサンダさんとよくZoomでお話しさせてもらうから、 Voicyで話しすることがなかっただけで、そんなイメージが全然なかったんですけど。 Zoomは結構濃い話してますもんね。 そうですね。毎回毎回。本当でも月1ぐらいでやってる気がするんですけど、なんか何かしら。 まあ何かしらね。 そうですよね。なんかZoomの話とかやりつつ。 ちょっとまあ、リスナーの方々への紹介も兼ねてですけど、教育政策館ってどんなお仕事ですか。 結構小さい自治体なんで、やってるんですけど、自分の一番強みのICTのとことか、 コミュニティスクールとか、党府党校のいろいろとか、 三宅町でやってる未来の学校プロジェクトっていうのを事務的なところほぼやってます。 はい。ということは、教育関係の何でも屋さん。 そんな感じですね。 すいません。そんな形でまとめていい職業ではないのは十分に承知しながら。 まあでも、人が足りん時は桜の木切ったりもしますしね。 ほんまの何でも屋さん。 まあまあ、そんな感じですね。 いいですね。三宅町の特徴って言ったら、奈良県の三宅町って近畿では割と、僕ももちろん教育の面でもそうですし、 知っているところは多かったんですけど、どういう特徴がある町って言うと。 そうですね。産業としてはグローブが昔から有名で。 そうなんですか。グローブって野球のグローブですか。 そうです。 知らんかった。 プロの選手も使ってたりとかしますけどね。 三宅町って日本一小さい町でしたっけ。 惜しいですね。2番目に小さい町です。 2番目に。大阪人が好きなネタですね。2番目に小さい。2番目にっていう。 そうかそうか。2番目やったんですね。1番のイメージがあったんですけど。 なんかちっちゃいっていうイメージはありつつ。小学校と中学校それぞれ何校あるんですか。 小学校が1校で、中学校が川西町と2年ごとに管理の町が変わるっていう感じで、 組合員になってます。 教育長も超有名な方ですし、幼稚園の園長先生も。 幼稚園の園長がこの4月別の方に変わって。 聞きました。また違う仕事も元々徳ちゃんさんがやってあって。 そういうところで僕はいろんなところでお話は、もちろん三田さんからもそうですし、 それぞれいろんなところからお聞きして。 お仕事のインタビューもさせてもらいたいところではあるんですが、 昨日せっかくテーマ振ってもらったので。 まあまあ。 そのテーマはせっかくなんでちょっと話したいなと思うんですけど。 ですね。ちょっと置き去りというかね。ちょっと間に合わない。 いやいやいや。そこは大事。 今生放送を聞いてくださっている方々はもちろんですけど。 ちょっと飛鳥さんの質問にさっき、一番ってどこかご存知ですか?一番ちっちゃい町。 大阪のどこかだと思うんですけど。 そうなんですか。町ですよね。 町ですね。 町やったら大飛鳥かな。 だからなんとか軍の自治体の規模で言うと一番小さいのは大阪の方。 なんかちょっと僕も調べたぞ。 あすかさんにDM送っておきますわ。 ありがとう。直接。ありがとうございます。 本ならちょっと対話というか、 なんかバトルみたいになる気はないんですけど。 いやバトルじゃない。 昨日お話のテーマとして。 昨日もともと僕が誰かお話できませんかって言ってリアクションくださってたんですけど。 僕がちょっと思いのほか子供が帰ってくるの早くてできなかったっていう中で。 2つテーマを挙げてくださったんですけど。 1つが批判的思考の話と、もう1つが対話とは何かっていう話。 両方はきついと思うんで。 どっちがいいですか。僕どっちでも楽しいです。 でもちょっと批判的思考とかは、やっぱりかいくんが高校生に指導している中で、 AIとか使っていくので絶対批判的思考って必要じゃないですか。 ちょっと聞きたいのは聞きたいかなと。 いやーもう批判的思考っていうワードで話す。 僕なんかそもそもアカデミックさ、こうやったからこうとかっていうところではなくて、 やっぱり僕体感とか自分の現場での話が多いので、 ちょっとそのあたりもしよければ補足とかしていただきたいんですけど。 どういうテーマかなって。 これもちょうど今日お話しさせてもらうっていうタイミング取れそうやったので、 どういう話しようかなって思ったんですけど。 最近思うのが僕この批判的思考と一緒に、 今国語科なので批判的読みっていう、 この読み方の中での批判的な読みっていうのを国語でも教えましょうというか、 そこが指導の項目として上がるんですけど。 なんか批判っていう言葉自体にだいぶ引きずられてる、 引っ張られてる先生も多いなってすごく思うんですけど。 しゃべる前にちょっと思ってたんですよ。 はいはいはいはい。 クリティカルシンキングじゃないですか。 そうですね。 それを批判って日本語に読み換えて、 それがちょっと誤解を生むんちゃうかって言ってはる有識者の方も正直いますもんね。 いやーうんうんうん。 なんかクリティカルシンキングっていうのやったら、 僕やっぱりクリティカルヒットのネタ分かります? これクリティカルヒット、 ちょっとこれ芸人のネタなのであんまり言うのはあれですけど、 クリティカルヒットっていう方から、 その会心の一撃とかそっちの方に頭がいってですね。 ピンポイントでその要所とか急所とかそういうところを狙っていくみたいなクリティカルっていう方が英語では入るので。 あー確かに。 役に立たない方がいいなって正直思うんですけど。 で、カイ君自身が情報を仕入れるときに批判的にしてる感覚ってあります? 情報を仕入れるときに批判的に、僕はでもあんまりそういう方から入らないようにはしてます。むしろ。 割とそのまま受け取る? そうですね。たまに僕言うんですけど、いいか悪いかは置いといて、 なんか基本的に正伝説で生きてる人なので、 なんか全てのことにおいてあんまりそう捉えへん。 まあネガティブに捉えないみたいなも合わさるかもしれないんですけど、 全てに対して一旦放出というか、どうなんだろうとかっていうところまでは、 そこまで最初からはいかないかなっていう。 それのほうが間口広がってるイメージがして、僕は。 宇佐野さんどうなんですか? 批判的思考はしてるんだろうなっていう感覚はあるんですよ、正直。 はいはいはいはいはい。 ただこっちの中では批判じゃないんですよね。 だから感覚としては聞きながら、その中で芽生えた自分の問いもセットに考えるみたいなイメージ。 こう言ってあるけど、ここはどうなんやろうみたいな。 それが結局批判的思考なんかなってちょっと思ってあります。 まあそうですよね。今それめっちゃ思いました。 結局聞きながら、情報を仕入れながらっていうさっきの話を言うと、 情報を仕入れながら、自分の中でちゃんと仕入れる内容と言いますか、 それを自分でしっかりと受け止めつつ、 自分で問いを持ったりとか、それってどうなんやろうって思ったりする読み方が批判的思考の入り口というか。 そんな気はするので、そこはすごく思うんですけど。 批判的思考、クリティカルシンキングっていうのと批判的読みっていうのが、 授業の中で教えてる先生によっても、だいぶ取り違えられて教えてる人もすごく多くて。 今言ってた批判っていうのが、違った意味の批判になってしまってて、 いやいや、それはあるし。 批判的読みを教えるとか、それを授業の中で扱う前に、 クリティカルシンキングってなんだろうみたいな、そこはもっと分かりやすい例でやっていくべきやなと思うんですけど。 実際、今まで中学生とか高校生、最初はそういう入りはどっかでするんですよね。 そうですね。授業で、よしじゃあ今日はクリティカルシンキングだ、みたいなのは言わないですね、基本的にやっぱり。 そうですよね。 結局、よくあるというか、やるのは今やってるこれってな、みたいな。 この考え方って、っていうところからクリティカルシンキングというか、どういうふうに物事を捉えるのかとか、 そういうふうなメッセージを伝えながら、どっかで同じように考えれたり、それが転移できるような授業を作ったりっていうのをしてたので。 実際に読む活動の中で、いろんな視点で読むとか、そういうことってことですか? そうですね。でも本当そういうイメージで最初は伝えますね。 それが腹落ちして、自分でできる子もいれば、なかなかっていう子もいると。 まあ難しいですよね、批判的に読むって。 やっぱり教材でも、ここでそういう力を養いましょうみたいなのはあるんですけど、具体的に。 それも結局、どっちかっていうと本番に教科書もどうやろうと思うとかあるんですけど、 これが正しいと、その説明文の内容だからといって、正しいとは思わずに、 いや、もっとこういう言い方悪くないとか、これだけだったら根拠弱くないみたいに捉えようねっていうような文章というか、問題とか教科書の作り方もあるんですよ。 うーん、なるほど。 だからその辺を、先生自身も取り違えるというか、あまりちょっとかいぞとしくいまま授業してしまうと、 変な教え方になってるな、それって本番に合ってんの?みたいなのは、割と思います。 なるほど。 なんかそういうところって、実際いい例とか見たことありますか? いい例。難しいな。 そもそも自分がなんでそういうふうに考える癖がついたのか、わかってないですからね。 あれ?今なんか一瞬切れました。 あ、本当ですか? そういう、そもそものところ。 そういう、自分の中でちゃんと腹打ちするまで手を持ちながら読むとかっていう癖がついたかっていうのが、いまいちわかってないというか。 自分の経験としてですか? そう。気づいたら。 まあでもそれって、なんかこう、これって違うよなって思ったタイミングとか、 自分の興味あることを情報吸いでようとした時に、 なんかもうちょっと深く読みたいなとか、もう一度レベルが上の本を読みたいなとか、情報吸いでたいなっていう時に、 あれ?なんかこの辻褄がちょっと足りんくないみたいなとか、 なんかわりとそういうところで、そのまんまやったら行かないんじゃないかって思うこともあるんですよ。 まあなんとなく、あえて言うならその知的探究心というか。 うんうんうんうん。 そんなとこかなぁとは思いますね。 そうですね。知的探究心。 でもなんか、最近言ってる話、さまさんが言って貼った話とかともかぶるかもしれないんですけど、 知的探究心とかでもそうなんですけど、 知的探究心を持とうと思ったら、その事柄についてもうちょっとだけ詳しくなかったらあかんというか、 探究しようと思うだけの知識がないと語れないというか、探究しようと思わないというか。 しかしとってくると、ある程度の知識がやっぱりないと読めないよねっていう。 まあ確かにしんどいですもんね。 いやだからそもそも知的判決志向みたいなのも、 突然その授業の中で、こういうような会見を集めましょうみたいになったとしても、 その話についてしっかり準備できるだけの知識がない中で、その読み方を強いときに出て無理やし。 確かに。 だから、中寄りの教材のモアイの教材があるんですけど、 そういった小6でもウィースパートには何の禁令がないのかというモアイの教材があって、 それが中二になって、 え、何だっけ、ちょっとタイトル忘れましたけど、モアイのウィースパートの話が出てくるんですよ。 それは結局、小6によっては、小6に向けての興味関心が芽生えて、 中学になって、あれと繋がるやんみたいにちょっと思って、 そこで出てくる不思議な思想とか、問いみたいなのに、 なんかちょっとポンと言わないとか、 それについてはポンとは言いづらいんじゃないみたいなのを持てる子が出てくるんですよ。 それで持てる子って不思議な子だけじゃなくて、 不思議な子だけじゃなくて、そこに興味関心を持ち続けられてた子がそこに行ってるんじゃないか。 なんかそういう地球の未来みたいな理科的に、そういう話の興味関心じゃなくて、 でもさって思える引っかかり力みたいな。 そういえば、市販的な思考とかの原点になるんだろうなとは思います。 確かにね。知識もやしね。やっぱりいろんな経験しないとなかなかね。 そうそうそうそうそう。その辺はね、やっぱり難しいなとは思いながら。 結構でも大事なところですもんね。 そうですね。だからちょうど今、古文をずっと、僕の今持ってる授業が古文なので、 なかなか説明的文章とか実用的文章とか、そういったところの話ではないので、 あんまりいい感じにそこを取り上げることはできてないんですけど。 ちょっとハードルも高そうですもんね。 そうなんです。そもそも古文っていう時点でね。 言い方も悪いけど、誰が興味あるんだよ。 そうなんですよ。だからどんだけ、もっともっと前段階で、 どんだけ古文に興味を持たせられるかみたいなところになるんですけど。 ただとはいえ、結局今批判的思考も含めて、それってどうなんとか、 もうちょっと違う捉え方できへんとか、ほんまに合ってるみたいな、 そういう引っかかりみたいなのに、ちょっと抽象度を高めて考えた時には、 今ジェム使ってるとすごくそれが便利で、便利というかやりやすくて。 つい最近もポストしたんですけど、古文の入り口として、 今2楽器の最初にジェム使ってるんですよ。 それが1楽器に古文やりましたと、一つ単元を。 で、その古文の単元やったんですけど、その古文の単元から続いてまた2楽器も古文なんですね。 で、子供ら暮らしたら、「え?」ってなるわけですよ。 なんでやねんみたいに。 そうなるんですけど、だからこそ夏休みの一番最初に、 なんか面白い活動しようだけじゃなくて、高校生なので、 そういうことを絡めてってなった時に、夏休みの日記を書こうと。 夏休みの日記を書こうとするんやけど、それを古文で書いてみようっていう時に、 僕が作ったジェムを使わせたんですね。 で、そのジェムの内容をざっくり言うと、まずは自分で日記を書こうと。 日記を書くけど、1から何月何日どこどこに行きましたみたいなんじゃなくて、 引き出し方もジェムに引き出してもらって、 どういう1日が心に残ったとかっていうインタビュー形式で、 小学生に聞くみたいな感じで聞いてもらって、 難しい文章を最初から、高1の日記なんである程度は日記書けるので、 その言葉を古文に変えてしまうとちょっと難しい古文になっちゃうので、 ある意味小学生みたいな、 どこどこに行きました、どうだったです、楽しかったですぐらいでいいと。 だから最初はそういう日記書くのもそもそもおえって、 日記とかえってってなるんで、そのハードルを下げるために、 最初は小学生みたいなインタビューをさせて、 ほんでそれから古文に変換させるんですけど、 もちろんジェムに一発変換させるんじゃなくて、 古文ってやっぱり、現代語から古文に直すときに、 英語でもなんでもそうですけど、 例えば楽しかったっていうのでも、 その楽しいを古文に変換するとき、やっぱり数パターン出てくるんですよね。 その数パターン出てくるときに、楽しいっていうのを変換するだけやったら、 このパターンが出てくるけど、あなたのニュアンスではどれが一番適してるみたいな。 なるほどね。楽しい。だからどういう楽しさみたいな。 そうですそうです。例えば感動した。 映画見に行って感動しましたとかもいるんですよ。 でもその感動したっていうのは、 心に残ったなのか、ジーンときたなのか、 じわじわと後で余韻を残すような感覚だったのかみたいな。 それによって古文の表現が違うよというので、 選択式でジェムから出させるようにしながら、 古文を選びながら、でも古文を選ぶけど、 自分でどのニュアンスかっていうのは選択しつつ、 文と文をつなぐのとか、 あとは歴史的からずかいに変換するのは、 もう習ってるから自分でしましょうとか、 助動詞のけりとたりだけは習ってるから、 あとはどれが正解だったって急にクイズ形式になってやっていったりとか、 そういう仕掛けをしながらやっていったんですね。 できた後にはやっぱり子供ら楽しかったとか、 自分の日記が古文になったら、 こんな感じになるんだと勉強になったとか、 なんかそういうふうなポジティブなのが出てきたんですけど、 それだけでよし楽しかったね復習もできたね終わりじゃなくて、 そもそもさあみたいな、 最終的にGEMから出てきたものを課題として出させたんですけど、 コピペでいいよってあえて言ったんですよ。 最後にGEMから、よしここで全てのステージはクリアだ、 お疲れ様でした、上にあるやつをコピペして先生に提出しよう、 までGEMに出させるプロンプトークン出たら。 あれちょっと声がこっちか。 あ、聞こえます?聞こえますか? 今一瞬切れてました。 そうですね、どこまでですか? コピペするプロンプトークン出たまでです。 コピペするプロンプト、コピペしてねっていうプロンプトは組んでて、 で、コピペさせるんですけど、 そのコピペする課題として提出する内容を吟味するやつなんか誰もいないわけですよ。 で、なんでなんて言ったら、 AIから出てきてるからそのままコピペしたらいいって書いてるからっていうのが一つと、 吟味できるだけの知識量がない。 で、それは別にしゃーないから当たり前のところとして、 それを次の時間に絶対指摘しようと思っていたんで、 次の時間にアントラが出してきたやつ、めっちゃいいのいっぱいあったなって、 夏の思い出やからいろいろ突っ込めるんですよ。 え、これ海どこ行ったん?とかって。 で、そんな会話しながら、 でさ、って言って、 ちょっと専門の国語の話をすると、 で、過去の助動詞けりと、官僚とか団体の助動詞のたり、 これを習ってたんですね、すでに。 で、日記やから、どこどこに行った、楽しかった、全部過去にはなるはずなんですよ。 なのに、そのAIが変換してきたものは、 何々何々けり、で何々何々たりっていう、けりとたりが混在するんですね。 同じように何々だった、何々だったっていう風に続いてるのに。 で、これに対して、いや疑問もてへんの? え、けりとたりって違うけど、同じターやんな。 え、じゃあこのたりの方もけりに直せるんじゃないの?って。 だってあんたは、え、これ官僚の意味の、官僚のニュアンスでこれ書いてたん? 違うやんな。だって官僚って宿題始めます、終わりました。 このターは官僚やもんなって。 え、違うやろって。断定のターでもない。 あ、たりでもない。断定でもないから。 じゃあこれやっぱ過去のイメージで書いてんのに、AIはたりで返してきてんでって。 いいの?これでっていう話をして。 じゃあちょっと違うと。 でもちょっと違うけど、ちょっと違うだけじゃなくて、 そもそもけりに直していいのかどうかみたいな。 その辺まで自分で考えて、 これってさ、けりでこっちはなってるのにこっちはたりになってるけど、 このたりの方を自分は過去やと思ってるからけりに直してもいいかなって、 ジェミニーにまた聞けるようなぐらいに、 自分の書いたやつを吟味しましょうと。 いうようなことを言ってたら、自分の文章をしっかり見直して、 え、これAIから出てきてるのがこういうふうな返答になってるけど、 これってでもそもそも違うよなみたいなのを気づけるように、 ちょっとずつなったんですね、そこで話をしてると。 なるほどね。 そういうような話をしてるときに、 単純にもっともっと文章を読んでたら、 疑問点とか、え、これってほんまにそうなみたいなのが、 ちょっとずつ出てくるよっていう練習にはGEMは使いやすいなっていう、 すいませんちょっと長めのお話です。 それはあえてちょっと不完全なGEMにしたという。 まさにです。 なるほどね。 完璧にケリとタイの使い分けしてたらそうならないそうね。 そうですね。やっぱりハルシネーション的に、 AIは嘘をつくだけじゃなくて、そもそもあんたの質問が悪いとか、 そもそもあんたの聞き方が悪いからこうなってるっていうのも含めて言いたかったので。 確かにね。 あえてそういう言い方をしてたんですけど。 なるほどね。 そうなんですよ。 現代語とその古文と、もっといろいろ面白い疑問出てきそうですよね。 現代文ではこの言葉を一括りにまとめられてるのが、 昔はもっと細かったとかね。 うんうんうん。 そういうふうな疑問を持とうと思ったら、 こっちから視点を与えて、同じ眼鏡でその古文を見させなあかんとか。 うんうん。 やっぱ批判的思考に戻りますけど、 クリティカルシンキングでというか、 その状態で物事を捉えるとか、世の中を見るとかっていうのをさせようと思ったら、 やっぱりまずは先生がその見方、考え方を示して、 こういうふうに物事を見たらこう捉えれるよねっていうのを、 たくさんたくさん経験させないと、 その思考には至らないんだろうなっていうふうに思います。 言ってしまえばだから、 子供が書いた振り返りとかも、 そのまま突っ込まんと、 スルッと流してしまってるような先生ではダメってことですね。 いやー、そうですね。 すごく言いたいこと言ってもらいましたが、ほんとそうやと思います。 もうちょっと突っ込んで引かなあかんでしょうね。 時間との戦いなんですけどね、結局ね。 確かにね。 そうそうそうそう。 あとはその、自分の子とかでもそうですもんね。 言うてますもんね。 あんまり質問しすぎてうざがられるっていう。 そうそうそうそう。 なんか自分の子供との対話はすごく顕著やなって思うんですけど、 自分の子供やからこういうのを普段から考えてないやろうなとか、 こういうことを普段喋ってないしとか、 でもここは知ってるやろうからみたいな、 能力と背景が分かってるからこそ深掘りしやすいみたいなのもありますし。 そう考えたら、もっと子供を自分の子にも言語化っていう言い方はちょっとあれなんですけど、 自分の気持ちとかどんどん説明させたり、 これどう思う?みたいなフリをどんどんしていった方が、 やっぱり子供の思考ってどんどん深まって広がったりするっていう感覚はすごくあって。 そうですね。ただ本当に自分の子供やったら薬気になってしまってこっちが。 なんで?そんなんさ別に。 いや簡単に言うだけやみたいなもん。 みたいな分からへんとか。 詰まったりするんで。 生徒やったらもっと優しく待てるのに、 若子になったら急にちょっと鬼コーチ感出てくるみたいな。 そんなつもりないのにっていうのはよくありますね、確かに。 あとその思うのが批判的思考みたいになったときに、 ちょっと前にXのポストで見たのが、 授業の中でディベートをしている場面、そういう授業の言語活動の中で、 反論できる子は批判的思考ができる子よね、みたいな。 なんかよくある授業でその筆者の主張に反論しようとかってよくあるじゃないですか。 課題の出し方というかね、その問いの出し方というか。 だから反対意見を言うことと批判的に考えることは違うよっていうのを、 子供らに言わなあかんはずやのに、 教師がそのタイトルで言語活動させようとしとっていいの?っていう。 反論することが目的になってたら、それはどうなるんでしょうね。 本当そうです。 これでも割と多いんですよね。 でも反論したらどっちが勝つしか結末ないですよね。 相手を否定する力じゃないよっていう。 論破とかそういうね。 そうそうそうそう。 だから広行きになりたいわけじゃないよっていうことは、 割と子供らにも言ってて。 反論するんじゃなくて、批判的思考って僕子供らによく言ってんのは、 そのままのことまでは多分言ってないと思うんですけど、 中2、中3にも言ってたのは、 どこまでならそう言えるのかっていうのを見極める力だと思うんですよ。 だから根拠はあるのかだけじゃなくて、 裏にどんな前提のもとあなたは言ってるのかとか、 それに当てはまらない例はないのかとか、 別の立場からどう見えるのか、 あとは何が分かればその判断は変わってしまうのか。 判断の材料がないだけじゃないのかみたいな。 そういう話じゃないですか、批判的思考って。 そうですね。 確かにそこまではそうだと言えると思うんだけど、 この場合はちゃうくないとか。 それって生徒の立場からやったらそうだけど、 保護者の立場から見たら違うよねっていうのが批判的思考だと思うので。 一つの見方だけじゃなくて、いろんな視点でとかそうね。 で結局なんか、やっぱりこう、 相手の意見に対して自分のそういういろんな見方で、 結局より良い結論じゃないけど、 より良い部分というか、より良いのはもっとないんかみたいな。 うんうん。 そうですよね。 より良いっていうその良いの感覚というか。 じゃあもっとなってくると、 良い文章って何?とかより良い判断って何?みたいなのになってきて。 この場面はこうとか。 メリットデメリットあるから、お互いのメリットデメリットを極力少なくなるように、 説中はみたいな。 だからその場におけるより良い判断って何?とか。 それを批判的、お互いにそういう思考で、 合意形成とっていくわけですもんね。 大人ってそうって言うと、できてない大人も僕含めて多いかもしれないですけど。 SNSも。 伊藤さんお疲れ様です。 だからそういう風に合意形成みたいなのも含めてですけど、 一概に一つの授業とか一つの活動だけで完成するものではないのは多分、 技術先生らも分かってるけど、やっぱりどうしても言語活動の中の位置づけとして、 批判的に読むとか批判的思考を養うみたいにしちゃうから。 その活動だけで批判的思考は養えないよって思うし。 まあそうですね。反論してるだけだったらあかんね。 そのディベートの中でそういう力をとか、そういう要素を入れようとするのであれば、 批判って何がちゃんと共通認識されていないとダメやし。 あーそうですね。批判とは何か。 批判、そうそう本当に。だから結局その言葉とか概念の解像度が高くないと、 お互いに言ってることがずれてたり、批判してるつもりが批判じゃなくて否定になってたりとか。 なんか批判って言ってるんだからそこには判断が入るはずなのに、 あなたの判断どこ行ったみたいなとか。 なんかそういうところがあるので批判するってこういうことってやっぱ 良い例はやっぱり必要やし子供たちには。 そうですね。 だからこういうのがディベートでもそうだと思うんですけど、 良いディベートって何とか、その辺のモデルになるものはやっぱり 引き出しとしていっぱい持ってきたいなと思いますし、 自分で実演できるようにはしたいですよね。 あーそうですね。 敵さんを相手がして、それをちゃんと本質的なところを受け入れて、 そこをその通りですねっていう。 お互いに受け入れたいな。 そういうのがね。 理想は学年レベルで考えたときに、学年教師の中で手伝ってくれる先生がいて、 社会の先生と国語の先生で一つの事柄に対してお互いディベートしあって、 社会の先生の立場から見たらこれはこうやけど、 国語の先生の立場から見たらこうみたいな意見の言い合いが お互いに認め合うところもありつつ、 いやそこは共通認識だよねみたいなことが話題に出て、 でも国語科だからやっぱりここは第二にしたいとかっていうのが 生徒の目の前で繰り広げられたらすごいと思うんですよ。 面白いですけど、誰ができんねんっていう話。 そうそうそうそう。 難しい。だから僕ができるのかとかそういう話ではないですけど。 でも面白い。 ね。 理系vs文系みたいなんでも先生の理系vs文系も面白いと思うんですよ。 うんうんうん。 なんかそういう子供らに分かりやすいのでもいいし、 犬墓猫墓みたいなあんなん多いじゃないですか。 そのディベートの題にするのとかで。 犬墓猫墓は意味がないんよって思うので。 でもいいんすもんね。 そうそう。どっちでもいいんですよ。 言い悪いでは話つくもんじゃないし。 小3とか小4の段階踏んだところではいいと思うんですけど。 あなたは犬が好きなんですね。私は猫が好きですけど、はい終了みたいな。 そうそうそうそう。 だから犬、そこで学ぶこととしては犬派は犬派で犬がいいと思ってることがあるんだから。 うん。 なのに最終的に自分の意見が変わりましたかみたいなんで、 犬派の意見を聞いて私は猫派だったけど犬派になりましたみたいなのが欠ければよしとする授業があると。 いやそれ目指してるんじゃないよねみたいな。犬派を猫派にすることを目指すんやったらそれは論破と変わらんやんみたいな。 より相手が納得する説明とか、より相手がそうだなって思うような心を動かされるスピーチをしようやったら目当てが変わるから。 それは犬派でも猫派でもないどっちでもない人を読んで、その人に聞かせるほうが目当てとしてはいいよねとか。 たしかに誰々さんの意見がすごく説得力がありましたから、そういうのやったらまた。 そしてはっきり。 なんかそういう、ちょっと話されましたけどディベートとかね。 一時期ディベートめっちゃね、流行った。 やってるなって思うことがあったりとか。 ありましたね。 そうか。 いやなんか、一生喋れるんですけど。 まあ、批判的思考、そうか。 藤井君は、ちょっとまた戻りますけど。 素直に、正善説で素直に受け取るけども、そこに自分なりの解釈は入れていくんですよね。問いとかそういう。 そうですね。ものによると思うんですけどもちろん。 自分の中で、偉そうな言葉を使いますけど認知的な負荷をかけるところをすごく狭めたいんですね。 あんまり負荷はかけたくない? そうなんですよ。基本的に楽していきたい人間なんで。 ここにそんなに深く考える必要はないとか。 それは別に、考え直したら何とでもなるわみたいな時には、さらっと受け入れるというか。 そのまんま受け入れて、もう一回考える時に、でもって思える自信があるので自分は。 おお、なるほどね。 にじりようというか。 はいはい。 結構常にそうやって原稿化してるイメージはありましたけどね。 いやでも、どうなんですかね。こういう対話の時には多分フル稼働なんですよ、それこそ。 普段はあんまり何も考えていない。 まあ、平たく言うとそうかもしれないですけど。 そうですね。普段何も考えていない。間違ってはないかもしれないですけど。 何なんでしょうね。いや、でも普段どうでしょうね。 なんか考えてないっていう、僕の考えてないレベルが皆さんからしたらみたいなのはわからないですよ。 その辺の自分の程度はちょっと正直わからないです。 そう言ったらお互いでもそうですもんね。 なんか常に思考を、脳みそを動かしてるのが人から見てわからないですもんね。 まあだからね、それこそガンダムに関してだけは常にフル稼働ですみたいな人は、そこにの認知的な使い方、負荷の使い方はすごいだろうし。 まあそう言うと、平たく言えば僕は多分まあいろいろ考えてはいる方だと思うんですけど。 え、なんか作業をしてても何か考えちゃうとかないですか?食器洗いながらなんかついつい。 食器洗いながら僕は釣りのYouTubeしか見てないですね。 あーいいですね。豊かですね。 食器洗うときは割と釣りよかっていう佐賀のYouTuberのYouTubeしか見てないとか。 あとは東でいるじゃないですか、俳優の。 キャンプとかしてるやつですか? あーそうですそうです、田舎というか山の中こもって一人で過ごしてる。 あのYouTube見て、ああそうなんや、アナグマのお肉っておいしいんやって考えてるぐらいですね。 あーなるほどね。 まあでもなんか今みたいなこういう会話のときに、そういう小ぼけをすぐに挟めるようにいろんなところで種を探してる人はあると思います。 あーなるほどね。 はい、今みたいなんがそのね、自分で言ったやつですけど小ぼけとして、こういや何も考えてないですね確かにじゃなくてっていうのが多分そこには僕フル株を常にしてます。 なるほど、ちゃんとストックって言って。 そうですね、ストックとかすぐに返せるような頭の思考はしてる気はします。 なるほどね。 だからその意味ではなんか、これはねちょっと喋る前にちょっと思ってたんですけど、 思考力っていう一括にとっても、体力的な思考力というかスタミナというかね、に近い思考力もあるんかなとちょっと思ったり。 まあ誰かそんなん言ってそうですよ。 確かに、でも筋軸、持久力と瞬発的な筋肉の違いですよね。 そうですそうです。だから藤井くんはその瞬発力は多分すごいですよね。 確かにそれはあるかもしれへんけど、持続性は僕ないですね。体力ないかもしれないです。 僕多分どっちかというと持久力の方やと思う。 うんうんうん、すごく。だから僕ノートとか書いとっても途中でやめるんですよ。 あのー、栃木の時のノート書きっぱなしで僕まだ完成させてないっていう。 下書きちゃんと供養しないと。 下書き、ほんとそうなんですよ。下書き山ほど残ってるんですよ。 ノートの下書き問題ね。 うーん、なんかそういうのはすごくありますね。 あー面白いな。 ノート書き始めたら普通に2時間ぐらい平気で書けますからね。 えー、2時間ノート書き続けるわ。だいぶ。2時間ってなったら僕、昔のノート書いてる時に、 多分2時間もんぐらいのノートを書いてる時に、途中でここまで書きながら長いなと思ったので、 今日はここでやめますって書いてるノートあります。 何個かあります。 読み手の負荷っていうこともありますけどね。 いやーそうですね。いやおもろいな。確かに思考体力みたいなのは、 思考体力と思考瞬発力みたいな、その思考に付随する力って、 割といろいろ言えるし、絶対言ってる人おると思うんですけどね。知らないだけで。 絶対言ってそう誰か。 この分野に関しては絶対あると思うんですけど、 でもそれをやっぱ僕も知らないからあえて言えますけど、 体感とか自分の感覚で語れることも大事だなと思うんですよ。 あーそうですね。理論とかじゃなく。 僕本当に不勉強なだけなんですけど、 割とやっぱり 考えてることとか思ってることとかを本読んで、 あーそうそうそう俺考えてるのこれとかっていうのが本当多くて。 あーそういうのも。 なんかボイシーの中でもそうですけど、割と大事にしてるし、 あんまだからガチガチに理論固めしてみたいなのを、 昔は大学に行ってもっと学んだ方が自分の実践に意味つけれるよなとかって思ってたんですけど、 そうじゃないなって最近思います。そこは。 うーん。 まあね、やっぱり経験則でええとこももちろんあるしね。 うーん。 でも汎用性も出したり、広く伝えるには理論が必要っていうのもすごく最近感じるし。 そうですね。なんか、 ここは理論も抑えといた方がいいよねみたいなTPOじゃないけど、 それが自分の中でなんとなくできてきたらいいのかなと。 やっぱりちゃんとした場ではちょっと論文引用したりがやっぱりいるし。 うーん。そうです。TPOですね、まさしく。 うーん。 そうですね。 どんどん活躍すると思うんで。 いやいやいやいや、そんなとんでもないですよ。 今だから本のね、短冊の原稿ももう上げたんですけど、 そこに引用している論文っていうのは今回入れてないんですよ。 うーん。 これ入れてないのをどう捉えられるかが本当に僕ちょっともう怖いなって正直、 まあ今やからこそ言えるんですけど、 っていうのもなんかどっかに無理やりこう、これはこうだからっていう風に ここでこうも述べられてるからこれは意味があるんだみたいなのももちろんそうだと思うんですけど、 はい。 なんか自分で書いてる中でそれを入れることがすごく無理やり意味付けてる感、 後付け感がすごくあって違和感があるんですよね。 まあなんか一部にはその、結局自分の言いたいことを強く言うためとか根拠のために 論文を引っ張ってくるみたいなことができちゃいますからね。 いや本当なんか、僕はそれがすごく違和感があって、 別に批判する、それこそなんかアカンって言ってるわけじゃないんですけどもちろんね。 どうしてもそういう書き方になるでしょうしね。 でやっぱり普段からそういうのを喋ってない、で普段から用いてないっていうところから、 じゃあそれって結局不自由の言葉じゃなくないって自分で思ってしまうところがあって、 まあなんかこの辺は難しいところだなっていうのと、 一番最初の書いてる話やからこそこう思うのかなと思ったりもしたんですけど。 そうなんですよね。 こういう批判的とかそういう話も、 喋ってるけど全部体感でしかないし経験則でしかないから、 いやいやお前それ言うてんのはちょっとちゃうくないとか、 いやそれってでもここで言うとこうでしょみたいなセオリーじゃないですけどね。 はいはい。 そうなってしまうと、すいませんってなるんですよ。 そうですね、確かに。 私にとってはそれは、ほんまにそう思うからね。 まあまあそうですね。 まあただそうですよね。 まあまあ何にでも批判しようと思ったらいくらでも、 いやいやいやなんか批判、もうちょっといろいろ喋れると思うんですけど、 言うたかってもう何分ですか今? 50分くらいもう。 ですね、あと言いますね。 そうですね。 50分くらい今喋ってるんで、 一旦この批判的思考については、 もうちょっとまだ脱線しすぎたところもあったので話せることはあるんですけど、 一旦この批判的思考については、 どう収まるのか分かれへん話題で、 ちょっとまた今度お話しさせていただいていいですか? もちろんです。 でもちゃんと自分もまたノート書こうかな。 いやもうちょっとそのノートが楽しみですけど、 いや対話とはって、 なんとなくグッと対話型研修しててもやっぱり解像度上がらんし、 でやっぱりいい対話の、 やっぱりいい解像度の話し方をすると、 やっぱりいい解像度の話し方をすると、 やっぱりいい解像度の話し方をすると、 やっぱりいい解像度の話し方をすると、 でやっぱりいい対話の例を見ないと、 なるほどこういう要素がいるんやなっていうのも分かりにくいし。 うんうんうん。 対話。 だからちょっとなんか予告編みたいにちょっと喋れ。 簡単にちょっとじゃあ、ほんと簡単になんか考えてみると、 なんか対話、僕結局こういう話をするときに、 まずそもそもの定義付けから入ること多いんですけど、 定義付けのときにやっぱり僕漢字を分解することが多くて、 対話っていうことは対面してる相手がおって成り立つ話のことですよね。 だから相手を、相手が見える話じゃないと対話にはなれへんし、 相手がおるっていうことを認識している話じゃないと対話にはなれへんから、 まず相手ありきですよね。 じゃあ対話って相手でいないと成り立たないの? とか、相手が一人じゃないと複数では対話じゃないの?とか、 対話と会話の違いは何?とか。 まずそこですね。 なんかそういうところから入りつつ、 で、対話と会話の違いみたいなのを、 それこそ辞書的なところと体感的なところと定義。 問い直してから、 じゃあそもそもこういう状況で使われる対話ってどういうもので、 こういう部分で使われる対話ってどういうものでみたいな、 その場面場面とか状況シチュエーションにおける対話が持つ意味みたいな、 その対話という言葉が持つ意味を吟味してみて。 で、じゃあ対話型研修っていう、 その対話型研修の対話って何ですかっていうところになるのが、 なんか僕のいつもの話でうざいって思われる原因です。 実際はまだ長くなるからね。 対話の目的もいっぱいありますからね。 そうですね。 しときます。 いやすごい今、ぐっとこらえてくれましたね今。 大丈夫です。 ほんまに一緒。 こういうズームをしてるから軽く1時間2時間いくんですよね。 まあ余裕ですね。 ここにゲストがあと1人2人おったら、 より一層そこからまた話がね。 うん、ですね。 いつも楽しいお話をさせていただいて本当に。 ありがとうございます。 いやいやいやありがとうございます。 ちょっと一旦今日はね、これぐらいで許しといたろかっていう話で終わりましょうか。 これぐらいで許しといたりますわ。 いやいやありがとうございました。 こちらこそありがとうございます。 すいません、もうお休みというかその中で。 はい。 大変豊かな時間でございました。ありがとうございました。 ありがとうございました。 もっと見る📕言葉を整える、思考の時間藤井 海|思考と言葉を整える国語教師00:181.おはようございます02:302.めっちゃオモロい話できた53:423.(いきなり🚨ブラックサンダーさんと、そこまで言って委員会コメント感想・質問・応援メッセージを書こう 土屋綾乃8月30日三田さんとのコラボ生放送、難波に向かう電車の中で聴いてました🤭お会い出来ず残念でしたが、また次回‼︎三田さんってすごく聞き上手ですね🤭問い返しとか相槌とか✨次回の「対話とは」のコラボも楽しみにしています♪1返信 Asu ka8月30日アーカイブ聞いてても、深いなぁ😊2人の対談、ぜひまたやってくださいね✨️1返信 yurika.uri8月30日日記を古文に変えるのおもしろそうですね😊そこからGemに疑問を持つ練習をしているのもいいですね。私もそういう授業受けたかったなー。1返信
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お会い出来ず残念でしたが、また次回‼︎
三田さんってすごく聞き上手ですね🤭問い返しとか相槌とか✨
次回の「対話とは」のコラボも楽しみにしています♪