TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第429話 【最後の責任は私が取る】という覚悟14:42 2月18日 86再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「私がやる」覚悟の源泉「誰か」を待つ思考の危険性リーダーの熱量が呼ぶ共鳴「最後の責任は私が取る」真意日常を変える「私がやる」スイッチAI文字起こし(β版) # チャプター 1 日々気づきだより佐藤美奈子です。 今日もお聞きくださりありがとうございます。 このチャンネルでは、日本文化に携わる私が気づき感じる心の在り方を、日々の暮らしに優しく重ねてお届けしています。 さて、連日お届けしている私の10の行動指針、今日は折り返しの5つ目となります。 ここまでの4つというのは、自分自身の在り方ですとか、伝統に対する姿勢についてが主だったわけです。 今日お話しするのは、何かを成し遂げるときに一番大切なエネルギーの源と言える内容についてお話をいたします。 題して、私がやるという覚悟を持つという内容になります。 例えば仕事でも、皆様の地域の活動でも、そして家庭でも、誰かがやってくれるだろうと思って見過ごしてしまうことってありませんでしょうか。 多分これは、主人がやってくれるだろうとか、子供にやらせておけばいいだろうとか、私はやらなくてもいいだろうとか、後輩がやるだろうとか、 そういうふうに当事者意識にならないという気持ちにどうしてもなりがちな方は多いと思うのですが、 当事者意識の持つパワーについて深掘りをしていきたいと思います。 誰かを待つのはやめようという言葉が一番合うのかもしれませんが、 何事も誰かがやってくれると思わないという、自分にとっての自戒を込めてというか、そういうことにも実はつながっています。 これは私に関してですよ、皆様じゃなくて、私が私に自戒を込めて言っている言葉の一つなんですが、 例えば、イベントの企画で小さなトラブルが起きた時とか、 そういう時に、これ誰か、私じゃなくて、あの人が担当だろうから、その人にやってもらって、私はいいや、みたいな感じでスルーしてしまうとか、 ああ、これは私がこの時気づいたから、誰よりも先に私が解決しようと動くのとでは、結果が全く違ってきますよね。 やっぱりちょっとでも逃げ腰になったりとかすると、後々考えると、やっぱりお客様との関係がギクシャクしたりうまくいかなかったり、 もっともっと亀裂が大きくなるということもやはり経験してきています。 ですから、誰かがとか、お客様との間のことだから受付を担当したものは解決すればいいとか、 そういうことではなくて、そのイベントや会に来たということは、私も一緒に加わって企画したことですから、 私も当事者であるという意識を持って、誰よりも先にお詫びに行くとか、誰よりも先にその方とお話をするとか、 そういう心を持つ、覚悟を持つということが大事だなと常に思っています。 例えば、誰かがやってくれるだろうとか、この例えば玄関先の掃除、誰かがやってくれるだろうとか、 そういう誰かという人物というのは、実はいつまで待っても現れないというふうに思った方がいいですね。 例えば、誰かと思う人が本当にいた場合は、本当に感謝した方が良いと思うんですよね。 なかなかそれをやってくれる人というのはいないと思います。 例えば、私は集合住宅とかマンションに住んでいます。 20世帯ほど入っているマンションですけれども、 例えば先日みたいに東京も雪が降った。 雪が降った時に、例えば朝早く出かけるような時に、忙しいこともあるでしょうけれども、 まずやはり真っ先にスコップなどもマンションには置いてありますから、 歩くところだけでも少し雪かきをしておこうとか、 それが例えばマンションのね、今理事長でもないのにやるのか、ではなくてやはり気づいたらやるとか、 たまたま新聞や郵便を取りにポストのところに行った時についでに何かするとか、 マンションのお掃除をしてくださる方、専任でいてとてもきれいにやっていただける女性の方なんですけれども、 そういう方が毎日来るわけでは実はうちのマンションはないので、 ゴミ置き場のところなんかも乱雑になる時もあります。世帯数もあるので。 でも自分がゴミ寄せに行った時にちょっと停歳浴寄せておくだとか、まとめておくだとか、 そういうことっていうのはできることなんですよね。 誰かがやるだろうとか、その掃除の方が来たらやるだろう、その方の仕事もね、取ってしまうというつもりはないけれども、 その方がいらっしゃった時にさらにお仕事がはかどるように、少し気を使うというかお手伝いをするということはできるはずなんですよね。 誰かという人は本当にいつまで待っても来ない。 気づいた人がやればいいし、言い出した人が動くということでもいいと思います。 この私がやるというスイッチが入っていないと、どんなに素晴らしい企画も本当に絵に描いた餅のようになるというか、 もう想像はね、ちゃんと立派なものができていたとしても、何か責任逃れをするような人たちだけの集まりになってしまうと、いいものもできなくなってしまいますね。 逆に言えば、たった一人でも本気で私がやると決めた人がいれば、物事というのは必ずいい方向に動き出します。 すごくここが大事な考え方だなと思っています。 私がこの指針で一番伝えたいのは、その熱量が周りを巻き込んで大きな渦となるという感覚を皆様に知って欲しいからなんですね。 リーダーになる人とか、発起人になるような方が、誰か手伝ってくれないかなと受け身でいるうちは誰もついてきませんけれども、 でも、私はこれを絶対に実現したいとか、成功させたいとか、私が責任を持ってやりたいと腹をくくって走っていると、 その背中を見た人たちが、例えば、みなこ先生がそこまで言うんだったら手伝おうかとか、 佐藤先生がやっていること面白そうだから、私もぜひ混ぜてくださいというふうに自然に集まってきて、今までの大きなイベントを成し遂げられていると思っています。 本当にありがたいことです。 覚悟の渦が渦巻くみたいな、それが何かがんじがらみではなくて、人と人との力、パワーで成り立ってきた渦が大きく大きくなって、 お客様も取り込んでしまうほどいいイベントになるということも本当に過去にたくさんありました。 やっぱり、皆さんこう思いませんか、人というのは熱のある場所に集まってきますよね。 やっぱりホットなところに集まってきます。焚き火と同じ感覚でしょうかね。 まず自分自身が燃えて熱源、熱の源にならないと周りを温めることも、大きな炎にすることもできない。 人を動かそうとするのではなくて、まずは自分が動く。 その覚悟がどんどんどんどん皆さんに伝染していって、結果として大きな渦になって、 一人では到底できないような大きなイベントやプロジェクトが成功する。 そういう流れだなと本当に私も信じているし、今までもそういうことがたくさんありました。 本当に嬉しいことばかりです。 ただ、ここで一つ注意点があります。 それを次のチャプターでお話をします。 # チャプター 2 はいここで注意をしなければいけないことですけれども 私がやるということというのはとても覚悟のある良いことだと思いますけれども 全部一人で背負い込んで誰にも頼らないということではないということが注意点です そうなってしまうとただのワンマンですね 孤独な道を歩かなければいけないということになります 私の言う覚悟というのは最後の責任は私が取ると決めるということなんですね 失敗したらどうしようだとか誰かのせいにしたいとか そういうようなね逃げ道というものを立つということを私は考えています まあこれあの 以前の音声でも話したことがあるんですけれども 例えば 能楽堂を能舞台を使って 昨年までイベントを5回行ってきました その時というのはですねどういう感じで私は考えていたのかというと やはりこれをやろうと決めたのは私の上司です でその イベント自体がうまくいったらやっぱりこそこれは上司のこの鶴の一声が良かったんだなぁって思います けれどもこの企画がちょっとまあ集客に失敗したりとか なかなかね良いものができなかったともしもなったんだったら それは私佐藤の責任 だと思ってやってきたんですよね ですからもう絶対成し遂げてやろうという気持ちを皆様にも伝えてましたし モンテイさんたちもそれに答えてくれましたし ですから失敗したってことはなく5回本当に華やかに終えることができました ですのでその華やかに終えたのはそれは私ではなくって その企画を最初にやろうと言ってくれた私の上司の一声で成り立っていますから そこはみんなでそこを感謝するということになります こういう考え方っていうのが私は好きなんですよね あの私があのやって私が台本作って私がっていう気持ちはないわけではないですよ 台本も書くのであの語りも全部私が台本書くので だけれどもやっぱりあの舞台でお客様に対して きちんとその舞台というのを成り立たせるのは あの自分の私の上司の考え方が元になってやらせていただいていることなので そこの手柄は 先生にとっていただいてもしも何かあった時の落ち度は私が責任を取るというスタンス なんですよは厳しいなって思う方もいるかもしれませんけどいいえ厳しくない ですねそのぐらいのことで やらないとやっぱりああいうねお客様を何百人も読んでってことはできないわけです まあ責任を取る覚悟のある人はこのお願いというのは重みが違いますよね だからこそ信頼して人が動いてくれるわけです 私が伝えるとか私が解決するとかその主語を私にすることで景色というのはガラッと変わります 誰かが伝える誰かが解決するという誰かがにしては物事というのは進みません 私が伝える私が解決するということでどんどんどんどん進んでいけます はいいかがでしたでしょうか今日は私がやるという覚悟を持つというお話を しました 本当に日々の小さなことでもこういうことっていうのは この考えに 皆さんも立つことができると思います 落ちているゴミを誰かが拾うだろうではなくて私が拾う 会議の音沈黙があるような会議で誰かが何か話すかなっていうのを待っていないで私が 唇を切るという感じ そんな小さな私がやるという積み重ねが 周りに信頼という図を作ってくれますのでぜひ率先して私がやってみるということを 叶えてみてはいかがでしょうか もう私がやるスイッチみたいなのをポチッと押すという感覚でしょうかね はいそれでは今日も心穏やかにお過ごしください ごきげんよう もっと見る #覚悟 #ミッション #理念 #行動指針 #覚悟を決める 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ09:311.チャプター 105:112.チャプター 2コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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