TOPトーク専門家FunCan体育Radio〜日本の体育授業を1歩前に〜#411 木村彰宏さんと出版記念セミナー記念トーク1:06:26 8時間前 39再生 問題を報告する 再生する シェアする 『らいざ先生のFunCan体育 楽しいからできる! マット運動・跳び箱』(学陽書房・2026年9月18日発売)Amazonはこちら https://amzn.asia/d/08kjLPeN もっと読むAI目次木村彰宏さん出版秘話とコーチングの真髄教育現場にコーチングはなぜ難しいのかライザー流「ファンキャン体育」の誕生背景運動を通じ子どもが自己を知る授業とは書籍が「学びの第一歩」となる教育の未来AI文字起こし(β版) # タイトルコール 始まりました!ファンキャン体育零量パーソナリティーのライザーです。 このチャンネルでは楽しいとできるのをサイクルを回す体育授業作りのヒントや考え方をお届けしています。 この放送が日本の体育授業を一歩前に進める一丁になればと思ってお届けしています。 さて今日はですね、つい先日ですね、学養処方さんからファンキャン体育のマット、飛び箱の場作りの書籍を発売させていただいたんですけれども、 同日、同じ日に出版をされた木村あきひろさん、木村さんはコーチングの本を出されたんですけど、 同じ日に本を出版したというところでですね、 今日は出版記念のコラボトークイベントっていう感じですかね。 そんな感じでお互いにその書籍に埋めた思いとかね、そういう背景などを聞き合っておりますので、ぜひ皆さん最後まで聞いてください。 それでは本編どうぞ。 # 木村彰宏さんと出版記念セミナー記念トーク はい、ということで今日はですね、なんと昨日ですね、9月18日にですね、僕、学校書房さんからファンキャンタイプの場作りの本を出版させていただいたんですけど、ちょうど同じ日にですね、東洋館から氷村さんがコーティングの本を出版していただいたということで、今日は氷村さんとトークというか出版イベントについてやりたいと思います。よろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。 はい、いやなんかめっちゃ売れてますね、そちらの本が。 何それ?そうなんですか? いやもうそうですよ、僕見ましたけど、やっぱ売れてますね、コーティングの本、めっちゃ。 いや、だとしたらありがたいですけど、僕あんま分かってないですよね、どれくらいなんかこう、これがいいものなのかとか。 いや、でも多分、僕は結構小学校体育っていうところにかなり絞ってる部分もあるけど、コーティングってほんとすごく幅広いじゃないですか。 そうですね。 だし今回別に、教育者っていうと別に学校の先生だけが教育者じゃないから、そういう意味では、いろんな人に多分届くと思いますし、 あれですよね、学校の先生だけじゃなく、しかも一般の担任の先生とかだけじゃなく、管理職とか指導主事とかいろんな人に届くように書かれた本ですよね。 そうですね、もっと言うと学校教育関係者だけじゃなくて、それこそ児童館とか学童とか、児童養護施設とか、ほんと様々な子供に関わる方々にとってヒントになればなと思って書いた感じですね。 いいですね。というわけなんで、今日は本について、僕もすいません、Kindleで買わせていただきました。 嬉しい、ありがとうございます。 全然すいません、400ページもあるので、全然読めてないんですけど、昨日買ったばっかなので。 本の内容っていうよりも、本に込めた思いとか、どういう人にどういう風に使ってほしいみたいな話ができたらなと思うんですけど、そんな感じでいいでしょうか。 もちろん、もちろん。お互いに問いかけ合う感じかな。 そうですね。じゃあまず、僕から聞いてもいいですか。 もちろん、もちろん。 今回、本を書いたじゃないですか。木村さんぐらいだったら、いろいろ声はかかっていたと思うんですよね。本に行きませんかみたいな。 ありがとうございます。 本にもちょっと腰が重かったじゃないけど、なかなか書いてなかった。 はいはいはい。 で、東洋館で決めて、書き出す。書き出してからもいろいろあったと思うんですけど、いろいろ仕事ありました。 書くと決めて、きっかけっていうのは何かあるんですか。 そうですね。大前提として、それこそ別に書こうと思えば、誤解をすれずに言えば、いくらでも書けるコンテンツ的なものというかは別に持ってはいるんですけど、 例えばファジリテーションの文脈で書こうとか、ファジリテーションの中でもプロジェクトアドベンチャーの文脈で書こうとか、それこそキャリア教育とかキャリアの文脈で書こうとか、 いくらでも書けはするなぁと思うし、そういう依頼はもちろんいただいてたんですけど、僕の中でそんなホイホイ出すもんじゃない本はっていう思いがまたあったのが一つ。 なるほど。 うん。なんかね、些細なこだわりかもしれないけど、何なんだろうね。なんか、賛否あると思うし、別に書いてる人を批判したいとか一切ないけど、 学校の先生とか教育者の方が自分たちで書かれるってすごく応援しているし、それをやっぱり学校ゲームが良くなっていくことだと思うから、めちゃめちゃ応援しているって前提で、 その上で、確かに僕のキャリアとか自分の人生のプロセスとかは、僕のメインドメインは教育だと思ってるし、誰を思ってるかっていうと、学校の先生とかその先の子供たちとか教育関係者を思ってるんだけれども、 でもそれを、僕がちょっとある種の情報非対称性みたいなものがあるから、その情報非対称性を埋めるために、こういう世界もあるんだよ、こんな風にも見えるんだよ、みたいなことを本でつらつら何冊も書くみたいなことはあんまりいけてないムーブだなと思っているみたいなのがそもそもあります。 うん。 みたいなものがあったから、自分が風星学園で先生に戻った時もあったし、あったんだけど、あんまり本家そんなに興味ないな、みたいな思いがあったりとか、あと多分、半分ビジネスサイドにも足を当時から踏み入れてたじゃないですか。 そうですね。コーチェットとかシャットとか。 そうすると、ビジネスパーソンで本を書くって、やっぱり教育界隈よりもっと敷居が高いというか。 うんうん。 なんかね、ここも難しくて、すごいすごくないとか、えらいえらくないとか、そういう軸だけでもちろん測れないんだけれども、ただビジネスの世界って圧倒的な方いっぱいいらっしゃって、そういう方々の中でも別に、それこそ本当に尊敬できる人とかでも本書いてない人ごまんといる世界じゃないですか。 そうですね。 だったりするから、そういう中で、メインドメインとか思いは教育にあるけれども、半分ビジネスパーソンとして生きてきた自分が、ずらしの中で、要はビジネスでもあり教育でもありみたいな、ずらしっていうのは価値だと思うし、 なんだけれども、ずらしを利用して本を書くみたいなことも、さっきの話の言葉を使っていけてないなみたいな、そんな思いがずっとあったみたいな。 ごめんなさい、ここまで言葉を選びながら話が長くなったんだけど、そんなことがあって、なので書いてこなかったんだけれども。 でも、コーチング×教育っていう文脈で言うと、僕は別に、学校教育にコーチングをキラキラみたいなことを言いたいとか一切なくて、それぞれの教育にコーチングをとか言いたいとか一切なくて、ただ、もう入ってきちゃってるじゃないですか。 そうですね。コーチングを売りにしている先生みたいなのも別にいますからね。 そうそう。だし、それこそ国の資料でとか、教育委員会の資料でコーチングとか入ってきてるから、であれば、なるべく解像度高くちゃんと言葉にしておきたいなみたいな。 そもそも、あなた方の言ってるコーチングって何を指しているっていう。学校現場で純粋なコーチングはできないよ。学校でできるとしたら、多分、それってこういうことだよってことを、一旦、ある種圧倒的な解像度でちゃんと書いておきたいみたいな。 そういう自分の課題意識とか、みたいなところから来ていたかな。で、もう一つちょっと加えると、たぶん、体2個あったら絶対自分、学校の先生したいって思ってるんだけど、でも、ここから先の人生で自分が学校の先生に戻ることはもしかしたらもうないかもなって思ったときに、 もっと違う立場からの教育のアプローチをずっと考えているから、そうすると、多分、笠越学園が最後の先生としてのフィールドだなと思ったときに、まがいなり実践者みたいな、実践者の端くれみたいな立場だった時代がもう過ぎていく中で、今、書いとかないと自分は書かないだろうなと思ったんですよね。 みたいにナーブめくもあるって感じかな。すいません、殴られました。 はい。だいぶ言葉を選びながら言っていただいて。 ライトさんは? 僕の話もしようと思うんですけど、今聞いてて思ったのは、教育所っていうのが実際、今、割と誰でも出せる、誰でもっていう言い方は誤解があると思うんですけど、出そうと思えば結構出せるような状況になってきたっていうのは、多分、やっぱりXとかインスタグラムとかSNSの発達だと思うんですよね。 はい。 割と、結局、実践って基本的に今やってることってN1じゃないですか。目の前の子どもたちの実践じゃないですか。 はいはい。 そういう時に、変な話、いくらでも漏れちゃうし。 そうね。 はい。いくらでもごまかせる部分があるというか、逆に言うと、それって受け取られ方も、やっぱり正しく受け取られないとか、上辺だけ、表面だけ受け取られてしまう部分もあるんじゃないかなっていうのは思いましたね。 そうね、そうね。 今回、僕も本を書かせていただいたんですけど、もともと、実は2019年から20年に書いたんですよ、一回。 なんか言ってたよね。 ちょうど、運動会の負担を減らすみたいな、今までの運動会を見直そうみたいな、それを疑うみたいな本を書いたんですけど、ちょうどコロナで運動会しなくなったんで、これ出しても売れないってことで、ポシャったんですよね。 その時は結構本出したいなって、やっぱりみんな周り知ってるって思ったんですけど、それは別に、どっちかって言ったら、よく教育会とかって言わなかったと思うんですよ。自分自身の影響を受けて。 でも、そこから結構働き方改革とかっていうそういう文脈が一旦僕の中では通り過ぎて、やっぱり本当に授業という実践、体育の実践っていうところでやってきたところで、Xとかインスタでもちょこちょこ発信してきたときに、 やってくださる先生が結構いて、そのときにすごい子どもが変わりましたっていう声をたくさんいただいたので、そしたら自分の実践が全国の先生方の何かしら助けになるんじゃないかっていうところ。そして、これって結構僕自身も、今自分がまさに熱中してやってることが、発信によってさらによくなるし、フィードバックもらってより良くなるっていうところであれば、 今後、バックとによって、いろいろフィードバックをもらえるんだったらまたより良くなるなって思ったんで、今回やっぱりちょっと多くの人に見てもらって、自分自身のためになればいいし、それが届いた人のプラスになればいいかなっていうのも思ってますね。 なるほど、なるほど。もうタメ口で言っていいですか? もちろん。 それこそ、論文も書いてるみたいな話も投稿してたじゃない? 書いてます、書いてます。 そういうのがドドドッとこのタイミングで来たのは、どういうところから来てるの? そうですね、今すごい実践をしたことが目の前にあって、それを見ておきたいなって思ってるんですよ、今めっちゃ。 はいはい。 どんどんどんどん、今の中でアップデートしている感覚はある。 でも、そのプロセスって、どういう手順でこういう風になってんだっけっていうのを、一個一個言葉にしておくといいんじゃないかって思っては言いますね。 はいはいはい。 なんかその言葉にするブームみたいなさ、もちろん昔からその本を書いてたって話もあったし、 ライザーさんのイメージって本当に、表に出てる以上に様々な分野のことを丁寧に学びながら自分なりに実践してる人だなって思ってるんだけど、 教育業界以外の地みたいなものも含めてね。 でもアウトプットがやっぱり、本を出すとか論文を書くとかっていうのが、今2026年のこのタイミングにどどどっと重なってるのは、もう少し深いところに何かあるのかな、特に何もないのかな、聞いてみたいなって感じ。 どうなんすかね。 でも、今は結構わりと、今まで結構僕がインプット型だった気がするんですよね。 はいはいはい。 いろんなセミナーに行ったりとか、本読んだりとか、話聞いたりとか、でもそれがすごく今、逆に言うと溢れ出してきてる感があるんだ。 だからすごい色々繋がるし、言葉になるし。 でも論文に関しては僕は結構、ちょっと変な話、SNS発で認知されるようになったっていうのもあるんで。 はいはい、ライザーさんがね。 なんか変な話、SNS上がりの一発やつじゃないけど、ちゃんと実践はしてるので、説得力として欲しいなっていうのはあったんですよね、一つ。 なるほどな。 見る人から見たら、SNS上がりの一発やでしょって見る人もいるのかもしれないけどさ。 でもなんか、僕結構ライザーさんの教師としての発達めっちゃ面白いなってずっと思ってて。 はいはいはい。 やっぱほら、SNSでもちょっと認知され始めて、もちろんそのおかげもあるのかもしれないけど、本書いたりして。 でも本だけじゃなくて論文書こうみたいなさ、そういう知的探求を続けてるじゃないですか。 うんうん。 だからそういう意味で言うと、SNSで教師の一つのロールモデルだな、面白いなって思いながら見てたりするな。 ありがたいですね、それは。 でもやっぱり周りに影響を与えてくれる人は、SNSで出会ったっていうのは、木村さんも含めですけど、キャンバのサルさんにしろ、ヘイテブレの靴原翔太にしろ。 そういうような人たちと出会ったっていうのは、すごく自分の世界は本当に、前も言ったかもしれないけど広げてもらったなっていうのは思いますね。 はいはいはい。 それで言うと、インスタグラムとかもむちゃくちゃな世界もあるけどさ、もっと言うとよく言われる、スレッズってもっとむちゃくちゃな世界だ、みたいな。 無法地帯だ、みたいな話とかよく言われるけど、そういうところで揉まれて、そこから発達していくような先生も今後出てきたりもするんだろうな、みたいな思いだったりとか。 やっぱり少し前の世代の方々が、SNSがない時代にみんなで勉強会開くとか、そういうところからSNSでつながる先生が出てきて、そこから研鑽する人が出てきて、みたいな。 教員の研鑽であったり発達モデルみたいなものも本当に多様化してるんだな、みたいなところも結構興味深い、面白いなと思ったポイントだな。 たぶんSNSで広がった世界もあるけど、やっぱりSNSって限界全然あるじゃないですか。 間違いないですね。 その限界を超えるためには、本当にリアルで自分が積み重ねるかだと思うんだし、積み重ねたものをSNSに投げるとまた新たなフィードバックが返ってきて、また現場に戻ってっていうのは、現場でも返ってくるフィードバックもありますけど、 僕は今は私立ですけど、公立に行ったときは特に好き。やっぱり狭いじゃないですか、世界観が。 はいはい。 多様な視点がないというか。 中だけだとね。 そうそうそう。そうしたときにやっぱりそういうSNSでつながった人とか、ある意味僕は他にも異業種の方とつながることもあったので、そういうのはすごく有効に活用できてるかなと思います。 なるほどなるほど。いや、なんかその、多分5年6年くらい前からライザーを知ってる、僕としてはすごく面白い発達の仕方をされてるなと思ったっていう感想でした。 ありがとうございました。 じゃあちょっと本に戻ってもいいですか? はい、戻りましょう。 東洋館の北山さんのアレもありましたけど、学校でコーチングはできないって、結構ね、コーチングの本書いといてコーチングできないかみたいな感じのこともあって、 木地の本を見ていただいたけど、やっぱりそれでもコーチング的な関わりはできるってことですけど、コーチング的な関わりが教育現場にやっぱり必要な部分があるからこそ、こういう木地の文明が出てきたと思うんですけど、 はいはい。 そのコーチング的な関わりが有効だと思うところは、どういうところから木村さんは思ってるんですか? そうですね。まず今回の本の中では、まずもって教育現場でコーチングができないよって言い切ってるんですが、その上でとはいえ純粋なコーチングって何かであったりとか、その純粋なコーチングを研鑽していくにはどういう風な理論であったり、どんなプロセスが必要かみたいな話も書いてはいるんですよ。 ただ、それって企画現場では全ては活用できなくて、だから企画現場で活用できるコーチング的な関わりとは何だっていう定義をして、そのコーチング関わりの定義をした上でコーチング的な関わりのフレームを提唱して、 その提唱に対して具体エピソードとして、対子供の事例とか、対同僚、対校長先生と若手であったり、あと指導主事の先生と現場の先生みたいな具体的な事例みたいなものをいくつか載せていてっていう感じなんですね。 さっきの質問に戻ると、子供たちであったり大人の方々と一体一緒で関わるときには、全ての場面で僕はコーチング的な関わりは活用できると思ってます。 とはいえ、いつでもどこでもコーチング的な関わりを絶対しましょうとか言いたいとかでも一切ないから、現場の内容の話、どういうふうなフレームを提唱してるかとか、そういう話すっ飛ばして話しちゃうと話し見えにくいとこもあるかもしれないけど、 そもそもコーチングが何かとかそういう話をしないと、もしかしたらリスナーの方はちょっと難しい部分があるかもしれないなと思ったんだけど、 コーチング的な関わりの定義みたいな話だけちょっとしてもいいですか。どうぞどうぞ。そもそも純粋なコーチングというものをまず定義してますと。それは結構様々なコーチングスクールが自分たちなりの定義をしていて、それらって掛け合わせるとつまりこういうことだよねみたいなところで言うと、 コーチングというもの、純粋なコーチングというものはクライアント自身の思考であったりとかを深めるプロセスであり、コーチとクライアントは対等なパートナーであり、そのコーチングの目的っていうのは本人の可能性を最大化することがコーチングだっていうふうに、様々な定義から一旦仮置きしてるんですね。 そうしたときに、これっていうのは教育現場ではできないよ。なぜなら教育現場っていうのは教える責任もあるし、目標とか指導とか評価っていうものもあるし、安全配慮とかルールとかっていうものもあったりするから、教師と子どもの関係は構造的に非対称だよねって話をしてますと。 めっちゃ納得感ありますね。 嬉しい嬉しい。 指導要領ありますし、僕ら評価して返さなきゃいけないですからね。 これ最近、伴奏者って言葉を使う使わない論争みたいなのも一部であったけど、僕はこの本の中で一回も伴奏って言葉を使ってないですね。 やっぱり本人が望んであなたに伴奏してほしいって言ってくるとかっていうケースじゃない場面だから、教育現場っていうのは。 だから伴奏者のマインドでとか、そういうのはもちろん大事なんだけれども、純粋に伴奏者とは言えないよねって話があり、ここは教育現場においてコーチングができないよねって話が重なってくる部分だなと思ってます。 はいはい。 なので、とはいえそのコーチングの中にある様々な、ある種の理論であったりスキルであったり、あとは他者と関わるときのマインドであったりプロセスであったりっていう、それは活かせる部分も存分にあるなと僕も思っていると。 はい。で、ここを結構今までの、例えばふわっとコーチングのことも理解してる先生が、例えばコーチングを教育現場にって言っちゃったりとか、もしくはコーチってさ、まともなコーチ、あえてちょっとこういうキツい言い方するけど、まともなコーチングをしてるまともなコーチって大半が人の可能性をもちろん信じてる人だから、 そうするとやっぱりこう、コーチング界隈の人も、もっとなんかコーチングが教育現場に入ったらいいよねとかって言うわけですよ。 うんうんうん。 そうそうそう。で、そこもよくわかるし、思いはね。 うん。 だし、例えばそれこそ教育委員会がコーチングとか使ったりとか、内閣府がコーチングとか使ったりとかするんだけど、さっきの話でそこで言ってるコーチングでどのコーチングですかって話だったりとか、 うんうん。 定義をしてますかって部分が、結局なんかブラックボックスのままなんとなくなんかみんな使ってたから、そこに課題意識を持って一旦なんか僕らの中で仮置きした定義がありますと。 うんうん。 はい。それが教育現場で使えるコーチング的な関わりの定義っていうのが、目標指導評価といった教育的な意図を自覚した上で、その枠の中で相手の感情や思考の言語化を支え、本人の内側から生まれる気づきや、より良い選択が最大化されるように関わる対話であるみたいな。 うんうん。 ちょっとなんか面白かったら詳しく読んでほしいんですけど、そういう定義をして、その上で具体的に例えばこういう場面で使えるよねってものをたくさん書いたりしてるんですよね。 うんうん。 はい。さっきの定義からすると、ライザーさんがさっき聞いてくれた、どういう場面で使えますかって質問で言うと、わりとなんか様々な場面で使えるよっていう回答になるって感じですね。 うーん、なるほどなるほど。結局、コーチングも置かれている状況とか立場において、関係性とかもそうですけど、そのまま持ってくることはできないけれど、そこに使われているスキルとかマインドは要するに教育現場ではすごく有効なものもあるってところで。 はい。 そうですね。例えばスキルっていうものも使えるよねってことで。 まああれですもんね。ありますけどリフレーミングとかまさにそうですもんね。 うん、例えばね。そうですよね。そういうものを書いて、結構ね、わかりやすい言葉で書いたけど、大事な要素は結構様々な場所に散りばめたって感じの本でもあるんですよ。 うんうん。 なので、結構やっぱりじっくり何度も読んでもらうと、咀嚼できるような作りにもなってるなって自分でも思ったりはしてますね。 ああ、なるほど。あれですもんね。400ページ込めた思いっていうのも多分あると思うんですけど。 割とね、一回読んで何とかっていうわけじゃなくて、その時に応じて、例えばこの第4章、5章、6章なんかは子供へのコーチング、大人へのコーチング、そして自分に対してのコーチングみたいなのがわかる。 だから、自分にとって今必要なものは何かっていうところで、この章を分けて読んでもらってもいいって感じですよね。 あ、まさにまさに。多分その1章、2章あたりは先に押さえた方がいいけど、コーチングってそもそも何かとか、どこから来たかとか、どういう風な背景理論があるかとか、コーチングの定義は何かとか、コーチング的な関わりの定義は何かとか、 そのあたりは多分最初に押さえた方がその後読みやすいと思うけど、その後はまさに、それこそ同僚との関わりで、もうちょっと若手の先生の主体性を大事にしながら関わりたいんだけど難しいんだよねとか、 それこそ管理職の先生が、自分たちの学校の先生にもっと上手に関わりたいんだけど、どうしてもティーチングしちゃうんだよねとか、ついついやっぱり先に自分からガンガンガンガン答え出しちゃうんだよね、みたいな。 そういう人に、本当にアイドルが言ってくれたみたいに、必要に応じて読んでもらえると面白いかなと思ってますね。 なんかあれですもんね、普通のコーチとコーチを受ける人って、結局はその人がコーチングを受けたいというふうに申し込んでやるわけじゃないですか。コーチが押し売りするっていうのは基本的には間違ってますよね。 そうそう、まさにまさに。純粋なコーチングっていうのは本人が自分で、自分なんかちょっとそういう内省の機会とか自分と向き合う機会欲しいな、コーチング受けたいなと思い、かつこの人になったら自分の話してもいいなって思える相手を選んで、純粋なコーチングってものがスタートするんで。 そうなったらね、教育現場で今おっしゃったみたいに、コーチング的な関わりで関わることはできるけど、コーチングするぞじゃないですよね、相手は。 まさにまさに。それがあれですよね、コーチングの勝ち上げじゃないけど、それこそ関わる側は、本で読んだコーチングを使って相手に関わるぞって話聞いてあげるよとかって言うんだけど、関わる側からしたら、なんかちょっと気まずいからやめてくださいとか、なんか気分悪いですやめてくださいみたいな状態が起きちゃうみたいなことですよね。 逆に言うと、本を読んでもらう人にもそこら辺をしっかり抑えた上で関わってもらわないと、教養みたいになっちゃうとあれですもんね。 まさにまさに。その辺りがすごくやっぱり難しいところで、だからそんなにコーチングって一長一短にどうにかなるものでもないし、だけど教育現場の資料の中にコーチング等でも入ってるんだけど、じゃあみんなどこで学べばいいんですかみたいな。 じゃあみんなSNSとかで誰かが垂れ流してるコーチングの情報から学ぶのとか、情報商材サービスみたいなことやってる人から学ぶのとか、みんながみんなプロコーチになるようなすごい高いコーチングスクール。 コーチングスクール自体は否定はしないけど、コーチングスクールで学ぶのとか、そういうところがずっと僕の中にあった課題意識や問いですよね。 難しいですね。コーチングスクールもある意味ビジネスっちゃビジネスですよね。 間違いない間違いない。そうそうそう。 1個だけ僕のポリシーをもう1個付け加えておくと、だから僕は結構お願いされたらいろんな教育委員会にコーチングの研修しに行くし、お願いされたらもちろんそういう誰か個人が開催するような研修とかでコーチングの話するけど、 でも自分から絶対、例えば木村あきひろのコーチング勉強会、10回でコーチング教えますとか絶対そういうのはしないでおこうって決めてるのは、ここも結構自分の中ではこだわりがあるって感じですね。 なるほどね。分かり、このこだわりがすごく伝わってきました。 ありがとうございます。なんか僕の話でめっちゃ聞いてもらったけど、ちょっと逆にライザーの、ターンちょっと変えていい? あ、もちろんもちろん。 じゃないと僕ずっと話しちゃうからさ。 はいはい、オッケーオッケー。 お互いね、話すこといっぱいあるもんね。 はい。 なんかライザーさんはそれこそ、改めてこの本っていうのは、この本まだ知らない人にどういう本ですよって説明するとしたらどんな本なの? そうですね。僕は教師って割と孤独だと思うんですよね。 はいはい。 一人で教えるじゃないですか。 うんうん。 僕、今回体育授業の本やってるんですけど、体育授業ってすごく、本当に難しいんですよ。 しめのさんも学校の先生やったら思うけど。 はいはい。 やっぱ子供たちが自由な空間に集まったれるじゃないですか、体育って。 そうね。 で、教科書もないし、机とか椅子もないし。 はいはい。 教師がすごい様々なことをマネージメントしていかなきゃいけないし、ある意味安全面とかを考えたら、もうコントロールしなきゃいけない部分もあるんですよ。 管理しなきゃいけない部分もある。子供たちの安全のためには。 はいはい。 やっぱ体育ってすごい難しくて。 うん。 で、そんな時に、僕今回マットと飛び箱を書いたんですけど、マットと飛び箱って、どの学年でもやるトロイキだし。 はいはい。 用具が、その用具を僕が教師を助けてくれる一つの仲間として扱えるようになったら、不安な先生が少し、やっぱ不安が、体育が苦手な先生とか不安に感じている先生が少しでも安心して授業ができるんじゃないかなと思って書いたっていうのはありますね。 なるほどねー。なるほどなー。なんかそういう体育のそれこそ、難しさみたいなこととかって、ライザーの場合はどのあたりのタイミングから感じたりとか考えたりしてたんですか? そうですね。これどの科目でも一緒だと思うんですけど、何が難しいって、運動経験とか身体能力とかって、その子の責任じゃない中で、今集まった子供たちじゃないですか。 だってね。 そうね。 運動の経験も親の運動に対する責任によって違うだろうし、そうなった時に、そんな多様な子たちがいる中で、一つの領域、アクティビティというか活動をしていくって、すごい大変だって。 でも、たぶん体育って、やっているところがもろに晒される状況にできるできないがはっきりしていて、そうすると子供たちにとって劣等感も抱きやすいだろうし、 体育って他にも判断力が必要だったり、効果が大事だったりとかってあるので、そこらへんの難しさがあるんだったら、やっぱり何かしら体育に対しての学ぶ場が必要だと思うんですけど、意外とないんですよ、体育って。 質疑研修みたいなのはありますけど、でもそれ一回行ったところで、夏休みに一回とかだったし、なんだろうな、もっと言ったら、書籍とかも、体育の指導法みたいな、わかりますかね。 はいはいはい。 一人一人の人が書いた指導法、この技はこうやってこうやって指導するって、それがあふれているけど、現状体育の授業の難しさを感じている人が、僕が感じる限りでは減ってないし、何なら子供たちの運動に対する二極化も進んでいるとしたら、もっとしたアプローチができるんじゃないかっていう気候は一つありますね。 なるほどね。体育苦手な人とか、先生でもいっぱいいるしね。 そうなんですよね。本当にたくさんの人がいるので。だったら先生ももちろん教えなきゃいけないんだけど、場と子供たちで学べるようにできるんじゃないかと、ある程度までは。教師の役割を作られるってことではなく、場の中で子供たちが自分で選んで決めて挑戦して、考えてやってみてみたいな、そういうサイクルを回せるようになったら、 経験はそれを支えるとか、見とるとか、フィードバックするとかっていう、指示とか子供たちを管理するっていうところから、少し解き放たれて、予約ができればより子供たちにもいい関わりができるんじゃないかなって思ったのもあるんですね。 なるほどね。ライザーの言葉で言うとファンキャン体育ですね。ファンキャン体育とは一言で言うと何なんですか? 一言で言うとですか?そうですね。一言で言うと子供たちが心と…一言で言うのは難しいんですけど、心と体が… 全然一言じゃなくていいよ。一言じゃなくていいよ。 そうですね。子供たちが運動を通して自分を知り、自分を変えていく体育実践だと思ってますね。 なるほどね。背景理論としては、ライザーとしては、どういうところから何を持ってきてるの? 背景理論としては結構自己決定理論とか、心理的安全性とかもありますし、結局僕がやっていることって、とにかくスタートの活動に対する子供たちのハードルを下げて、 とりあえず一歩やってみようっていうところを、どの子にも生まれるように設計してるんですよ。 得意な子は絶対やるじゃないですか。簡単な子でも。得意な子だけができるとか、中間層だけができる活動をスタートする。 苦手な子ってそこでもう劣等感を持ってブレーキする。苦手な子も基本的にはまずできるところから全員を一律にスタートする。 そうすれば全員できてる状態だから劣等感も生まないじゃないですか。そこで安心感を得て、できたらもう一回やってみようと思うので、 そういう考えている状況を作る中にスモールステップを用意して、自分に合わせて進んでいけるし、スモールステップがあれば、 つまりそこに自分で選ぶ幅があるってことなので、自分で選択できる。自分で選択できたことって、人に押し付けられるよりも納得感もあるし、 割と粘り強くやれることもあるんですよ。自分が選んだからこそこれをやるっていう良さもあり、さらに運動の結果が自分に今どうだったかって返ってくるような 工夫とかを仕掛けを入れることによって、ある意味メタ認知ですね。自分の現在調子でじゃあ次はこうしてみようっていうような、 考えるとやってみるのを交換されるようなデザインを授業の中で作っていくっていうイメージです。 いいですね。まさにコーチング的な関わりとの相性がすごい良いんだろうなと思いながら聞いてました。 ありがとうございます。子どもたちは先生とのやり取りの中で先生が指導する、ティーチングする場面って多分あったと思うんですけど、 そういうような子どもたちに一律のティーチングって伝わらないんですよ。 そうね。 ってなった時に、じゃあティーチングする部分はあるけど、それでまかなえない部分はもうあるわけだから、 場作りの中にそれぞれの子どもたちが自分に合った課題を持てるような工夫をすることと、 そういうふうに子どもたちが場と一緒に学んでいけるのであれば、教師は特に今必要な支援が必要な子により関わるみたいな感じですね。 インクルーシブ教育みたいな文脈も概念に入ってますね。 まさにその通りで、その文脈で僕も実践を言語化したいなと思ってるんですよ。 運動ってある意味で運動経験とか身体能力に差があるってことはもうそこだけで多分多様だから、 そういう授業を作ればある意味インクルーシブだと思うんで、僕もそういう意味ですよね。 はいはいはい。 そんな感じです。 なるほど。面白そう。 だいぶでも今回ハウトゥーに寄ってる部分もあるので、ある意味こういう場面とかボイシーとかいろんなところで、 そういう込めた思いとか背景とか仕方っていうのはちゃんと丁寧に伝えていきたいなって思ってます。 はいはいはい。一応なんか聞いておくと、今回ハウトゥーに寄せたのはどういう思いからなんですか? やっぱりそれは、いろんな人に手に取っていただく、まず知ってもらうっていうところを一番の目的にしてるので、 さっき僕が話したことって大人にも通じていて、子どもたちがやってみようと思えなければ多分始まらない部分もあると思うんですよね。 はいはいはい。 そのやってみるっていうところを、まずはこの書籍で生み出して、多分やってみたら、それに対して子どもたちの反応とか、それは良くも悪くもですけど、やっぱりフィードバックが返ってくるじゃないですか。 じゃあそれをもって考えて、じゃあまたやってみるみたいな。 だから先輩たちも子どもたちと同じように、実際やってみて考えてやってみてみたいな王冠をやってほしいんですよ。 僕の実践に縛られることは全然なくて、生きてることを作ってもらって、楽しいなとか、子どもたちが生き生きとしてる姿を見て、先生たちも体育を好きになってもらえたらなっていうのは思ってます。 なるほどなるほど。なんか僕が所属している耳ぐりの文脈で言うと、先生方が体育というものを探求していく第一歩として、今回書いているからあえてハウトゥーに寄せてるって感じなんですね。 そうですね。あと本音のところで言えば商業出版というのもあると思いますけど。 なるほど。 それもあります。 はいはいはい。 まあ確かに体育の本で原理原則とかそっちの方をうんたらかんたら返しても、どっちかというとハウトゥーが欲しいなって先生も多そうだもんね。 そうですね。だから原理原則に行くのも、むしろそこに行ったらもっと面白くなると思うんですけど、これまでのステップは多分絶対あるわけで。 そうね。子供も大人もステップがあるもんね。 いきなり難しいことをやっぱり求めるのは僕のエゴだし。だから今までそういう本が多すぎたんだと僕は思ってます。体育の本に関しては。 なるほどなるほど。 はい。そんな感じですかね。 うんうんうん。いや面白い面白い。 なんかあれですか、もう今本を書き上げて書店に並んでAmazonでも注文できるようになっているところですけど。 うんうん。 結構もう、あれですか、湿血はお腹いっぱいですか? もうちょっといったらどういう感じですか? いやいや、もう一冊、もう二冊ぐらい。 いやー、なんかそのね、あのー、うーん。 当分いいかなって思うかな。 でもだいぶ… うんうん、あとどうぞ。 コーチングの本には、コーチングという文脈では書き残しがないように書いたっていう話ですよね。 えっとね、でも6割ぐらいだと思う。 6割。 全然やっぱりその裏側の裏側の探求とか、それこそ今回あえてその例えばほら、成人発達理論とか、それこそ農科学とか、なんかそういう近接領域の話は一切書いてないから。 そうですね。 そうそう、だから今回あえて本当にそういうことを使わずに、純粋なコーチングってものと、なんかそれって教育現場に落とし込むとしたらこういうことでしょってことを僕なりに提案したって感じなので、 そういう意味では全然書いてないこと、書けてないことはいっぱいありますって感じではあるかな。 なるほど。僕あれでも1割2割ですよ、書きたいことの。 そうなんだ。 やっぱり僕も理論的なところ、でもほら、実際に体育の実践であろうと、なんかそれを生み出すための背景としては本当に今、ある意味成人発達理論だったりメンタルモデルだったり、いろんな文脈から生み出てるものもあるじゃないですか。 そうね、それは間違いない。 特に発達の金…金…なんだっけ。 金銭数領域? 金銭数領域なんかは体育なんかバッチリなんですけど。 そうねそうね。 それ説明してもしょうがないので、ただそのことがやっぱりその場の中にあることで子どもたちはチャレンジするじゃないですか。 で、これがフローに入りやすかったりするじゃないですか。 はいはいはい。 いうのはまあ入ってますよね。 うん。 なるほどなるほど。 まあそうね、だからやっぱりそれで言うと本当にね、書きたいこととか裏側にある膨大な様々な理論であったりとか知識経験みたいなものがたくさんあるんだろうなっていうのはお互いそうかもしれないですね。 そうですね。だから僕は今同時で2冊また書いてるんですよ。 おーすごい。 プラスアルファはボール運動でも1冊構想はあって。 はいはいはい。 要するにまあ実践をしてきたものをちゃんと丁寧に整理し直すっていうことも含めてるんですけど。 はいはいはい。 で、需要があるのであればちょっと無理のない程度に。 まあ現場の仕事がまず一番なんですけど。 はいはいはい。 これも両輪でちょっとずつやっていけたらなって思ってますね。 いや素敵。でもなんか僕はやっぱ現場の先生はどんどん書いたらいいんじゃないかなと思うけどね。 うーん。 なんかその本当に何だろう。事実がある文についてはどこまでもアズブッとして探求するのが素敵だなって思うから。 うんうん。 なんかこれからそうやってなんかライザーがこう書いていく本に救われていく人いっぱいいるんだろうなと思うから。 なんかどんどんどんどん書いてってめっちゃ応援してる感じ。 一方でなんかこう僕もやっぱ今でも教育委員会にいるし。 うん。 で、なんかほらそれこそSNSには書けないような話とかもいっぱいある。 ああまさに。 そう。けど別にそのSNSには書いてないけど教育にはいっぱい関わってはいるけれども。 うんうん。 そうそう。でもなんか僕がもう先生ではないし。 うん。 ってなったらなんかこうあんまそうね。あんまなんかこう気がやっぱ気が乗らないというか。 書けたとして、書けたとしてそんな書かんわみたいな。 なんかこういう自分がやっぱいるのはいる。 そうですね。うん。なんか僕もねでも本当はあれなんですよね。 その本も確かにこう広げる部分で書けたらなと思いつつも現場の先生と一緒にねこう実技研修みたいなのをやりたいなと思ってて。 ああ素敵素敵。 はい。実はこの間の夏休み愛知県のある学校、いくつかの学校から呼ばれて実技の研修。 やっぱもう先生たちが実際に体験してもらえるのが一番嬉しくて。 それは学び方としてもそうだよね。 そう。でそれもなんか座学だけじゃなくて本当に場を作って。 はいはい。 本当に20代のキレキレの男の子とか体育得意だった女の先生からもう50歳60歳代の本当に運動私ダメですみたいな全然動いてなくてっていう先生たちが はいはい。 そこの中でめっちゃ楽しんでくれたんですよ。 はいはいはい。 だったらこれってまさにこれ教室と一緒なんですよね。運動得意な子苦手な子でまさにより多様な層を相手にしてできたので。 なんかそういう風にして先生たちでもそういう風なこといろんな人がいる中でできるんだから先生たちにもいろんな子供たちがいても同じように多分できるっていうか これがヒントになると思うんでやりましょうっていうやっぱり本当にこうなんですかねこのリアルでいる空気感でそれを伝えられるっていうのはやっぱりすごく良かったので。 はいはいはい。 なんかさあのすごいそういうやっぱり実際に先生が体験できる場を作るってのは素敵だなと思ったのと、 改めて聞きたくなったのはファンキャン体育とかそのライザーが教育を通してやろうとすることの先にもうちょっと上位の概念としてはやっぱりどういう力を育みたいなとかさ、 どういう体験を子供たちに差し上げたいなとかさ、そのあたりちょっとあえて聞くとどんな感じなんですか。 結構そのあたりはちょこちょこと言葉にしてきてるんですけど、やっぱり卒業を通して僕がさっきも言ったんですけど、自分自身について知る機会をしてほしい。 体を動かすことによって自分の情報ってすごい集まるんですよ。その運動をすることによって感情も動くし、自分の体も動くし、その中で例えば運動だって全部ができることばっかじゃなくてできないことに出会うことだってあるじゃないですか。 はいはいはい。 そのときに感じる気持ちっていうところとか、僕がやってる授業は土台として自己効力感をかなり高まるようなデザインの中で、だんだんできないことに出会っていくみたいな感じなんですよ、スモールステップです。 でもその自己効力感が高まってる状態だと、子供たちって僕が何度も目撃してるんですよ、できないことを楽しむんですよね。 うんうんうん。 要するに今まで積み重ねてきた楽しいとできるのサイクルが回った状態だと、できないことすら楽しさにできるっていうのを見てて、これってもちろん直接はつながらないと思うけど、将来でうまくいかない状況に対して粘り強くやれるとか楽しめるとか、その捉え方を買うみたいな。 だってできないことがあるってことは成長するチャンスじゃないですか。 うんうんうん。 できない状況っていうのは僕は伸びしろだって思ってるし、子供たちも体育の授業で最後、自分ができないことに挑戦してるのは、できてることで満足しない向上心の現れだと思ってるんですね。 はいはいはい。 それでやればいいのに、笑顔で失敗しながら何度も繰り返してる姿って。こういう姿をたくさん生み出していったときに、もしかしたら将来ね、マインドとして粘り強さとか向上心とかつながるかもしれないし、あとは運動することによってリフレッシュしたりとか。 はいはい。 木村さんが言ったストレスに対するコーピングでしたっけ? ストレスコーピングとかね。そうそうそう。 健康にもつながるし。ってなったら、こういうのを義務教育とかで、例えば6年か9年か続けていけば、僕は本当にウェルビーングにも一系列つながるんじゃないかって仮説を持ってるので、そういう世界を描いてますね。 はいはいはい。 いやなんかめっちゃ素敵だなって思うし、そうだよなって思うし、コーチング的な関わりもそうだけど、やっぱり大冗談のYとして、なんでその関わりするんだっけみたいなところ? そうそうそう。ライザーも言ってくれたけど、僕はやっぱり今、本業のほうは教育者の方々が今関わっている子どもたちのその先の大人たちに関わることがすごく多くて、その先の大人たちの組織の現状とか、その先の大人たちの働くということの現状、そこの難しさとか課題感とかに出会うことがめちゃめちゃ多いから。 そうするとやっぱり大人の世界と子どもの世界のどちらも眺めながら、やっぱり自分なりの様々な課題感であったり仮説であったりを持つんだけど、なんで自分はその実践をするんだっけとか、なんでライザーはファンキャンタイクをやるんだっけとか、その先のYの部分が語ってもらえると、 だからライザーさんはファンキャンタイクなんですねってのが改めて僕にも見えてきて、すごくそういう実践をしてくれる先生が現場に増えてくれるのは本当に嬉しいなって思いながら話を聞いてました。 ありがとうございます。本当にいろいろな人から実践しましたという声を届けていただき始めたのでかなり。 だからこそ自分自身も目の前の子どもたちとたくさん実践を解いていきたいし、僕もファンキャンスしていきたいですね。楽しみながらできることを増やしていくかと思ってますね。 人生そのものだもんね。大人になっても楽しみながらできることを増やしていくってことをやり続けられる人がやっぱりすごい強いし、それをしていかないとなかなか難しい時代だなって本当に大人の世界見てて感じるから。 ライズはファンキャンっていうレンズで切り取ってるかもしれないし、違う表現をして同じような思想、それぞれの人がそれぞれの表現で大事な実践をされてるんだろうなと思うけど、そういうふうなものが教育現場にたくさん広がっていくといいなってすごい感じた時間だったな。 ありがとうございます。僕からも木村さんに、今後教育界に対して何かしら関わりは持っていかれると思うんですけど、ビジネスの方もまだまだもうちょっと何年か続けていくようなイメージですか? ビジネスをやろうみたいなモチベーションは一切ないけど、一切ないって言っちゃうとあれだけど、結構耳ぐりという、知ってる人も知らない人もいると思うけど、コンソールファームは、やってることはもちろん自分たちが良いと思ってることをビジネスというかたちで届けてはいるんだけど、 結構耳ぐりに入社してきた方々は、変態が集まるサロンぐらいな感じかなって言ってる人が多くて。 そうそう。なんかほら、やっぱなんかこう、またこれも語ると長くなっちゃうけど、それこそビジネスというものの解像度がやっぱり先生にとって様々だなってまず思います。 で、なんかついついビジネスとはお金を儲けることだみたいな、お金をめっちゃ儲けてる経営者かっこいいとか、そういう人たちの発信を見て自分も学ぼうみたいな、じゃあ自分も先生に対してビジネスをしようみたいな、なんかそういう浅はかなビジネス感みたいなものが教育現場に広がっていくことに対する残念さとか危険だなとも思ってるんだけど、みたいな。 そういうものってビジネスパーソナルって様々多分感じていて、なんかそういうものの先にまさにこう、自分はなんかこの世界で何していきたいんだっけっていうふうに、ビジネスという立場を通して探求する人がいっぱいいて、そういう変態たちが集まってくるのが僕がいるみみぐりっていうコンサルターファーブなんですけれども。 だから、なんかこう、俺たちゴリゴリビジネスやってるぜ、イエーイみたいな感じっていうよりは、ビジネスというやり方をとって、自分たちなりの探求テーマを持った変態が集まっているサロンダーぐらいに思ってるんですが、そういうみみぐりという組織にはまだ所属はし続けるだろうなと思っている。 5年後、10年後に形は変わってるかもしれないけど、このコミュニティで自分自身が様々な仲間と研鑽しながら探求はし続けるんだろうなと思っている。 その一方で、事実としてやってることはビジネスなんだけれども、そのモチベーションというよりはっていう感じはあるかもしれないけど、その活動の中で経営についての解像度をさらに高めるだったりとか、それこそ様々な規模の組織の変革に関わることを通して、自分の経験値を積んでいくことは引き続きしていきたいなと思っていて。 それを様々還元していく先は、僕は引き続き、教育現場、教育委員会、学校、公立私立の学校、先生であったりとか、教育福祉の世界だなと思っているので、そこには関わり続けるなと思っていて。 さっきの本をこれから先もワンバン書くのは全然乗り気じゃないみたいな話っていうのは、ライザーもよくわかってると思うけど、SNSみたいなわかりやすい見た目の世界の裏側で、人知れず頑張ってるスーパーマンがいっぱいいるじゃないですか。 それは教育現場にもだし、文科省にもだし、教育委員会にもだし、様々なソーシャルグッドな世界で、全然表の世界でキラキラせずにというか、SNSで手を振らされずに裏側で頑張ってるスーパーマンいっぱいしてるから、ちゃんとそっちの世界で活躍できるとか、そっちで力になれるような人材にますますなっていきたいなって思いはあり。 なので、ちょっと抽象的な表現かもしれないけど、やっぱり必要なところに必要な人がいないと回らない組織であったり、システムがあったりとか様々ある中で、自分なりのアプローチで、この国の教育であったり、先生たちの幸せであったり、その先の子どもたちの幸せを探求したいなって思ってるって感じですかね。 ありがとうございます。いいまとめの言葉をいただきました。 あれだよね。ないとーさん、この後勉強会なんかあるんだっけ? 決定ぶれの方でまたちょっと話をしてきます。 だよね。だからあんまり喋ってると遅刻しちゃうよね。 でもまだ大丈夫でしょうか。出番は9時半くらいなんで。 ああ、そこそこそこ。 そうですね。でもあと5分、10分くらいでは終わり。 そうね。そんな感じですね。 なんかあれですよね。僕も現場とか目の前に子どもたちもいるし、組織にも属してるので、そっちをメインに。 でもとはいえ、その越境するじゃないですけど、外に出たりとか、自分自身で外に走っていくことによって得られるものはあるので、うまく行き来をしたいなって思ってますし、 なんかね、より良く行き来をと思っている仲間もたくさん全国にいるので、 はいはい。 そういう人たちと、何かしら別に表だってね、一緒にやることだったら普段は別々にそれぞれやってるので、 特に集まってやったりとか、いろいろできたらなって思ってます。 氷村さんもね。 そうね。なんか、いっぱい先生にもいい意味で越境してほしいなって思うし、 やっぱなんかこの、ファシリテーションの文脈でも僕よく話すけど、結局なんか自分が見えてる世界しか見えないじゃないですか。 そうですね。 そう。だから自分が見えてる解像度でしか他者も見えないし、その場で起きてること見れないし、 って考えると、たまにいただくファシリテーション上手になるにはどうしたらいいですかみたいな質問って、 もちろん技術的なものはあるんだけど、やっぱ本当になんか自分がこの世界を越境し続けて、 価値観を広げたりとか視点シェア、視座を高めたり広げたり深めたりしながら、 自分自身発達していくしかないですよ、でしかないなと思ってて。 そういう意味でまさにこう、誰もがもちろんライザさんぐらいアクティブになれるかわかんないけど、 すごく先生方に越境してほしいなと思ってるし、 同時に越境する先で出会う人たち、表現難しいけど、 ちゃんとバランスよくいろんな人に出会ってねとも思ってる感じかな。 そうですね、だからそれで言うと本当に僕自身もちょっとしたコミュニティは持ってますけど、 そのプレイスとしてのコミュニティに基礎を預けるのと、 移動するのかなって思ってるんですよね。 信じることと移動することって違うじゃないですか。 そういうところもある意味気をつけていきたいなと思います。 なんか別に信じるものがあっても移動することはない。 今言ったみたいにそのバランス感覚とか、 どういうような振る舞いをしているか。 はいはいはい。 そのあたり語らせたら僕たぶん30秒ぐらい止まりませんよ。 そうですね、また仲良くした時にでも。 そうね、そうね。 ぜひぜひ。 でもなんかあれですね、お互いの本が必要な方に届いていって、 僕は僕で自分が書いた内容が全部正解だとか一切思ってないし、 多分ライザーもね、ライザーが書いた本が起点になってまた議論が起きたら、 それは素敵なことだなと思っていると思うから、 そのきっかけとしても必要な人に本が届いていくといいなと思いますよね。 そうですね、たぶん本はきっかけであって正解がある場所ではない。 僕は目の前の子供たちで実践したことを元に書いてはいるものの、 それを具体として実践に下ろすときに一番見なきゃいけないのは、 自分の目の前の子たちの実態なんで、それに合わせてカスタマイズしてほしいし、 なんならだけどそういうふうなところで僕はある意味場作りの余白を持たせたので、 本当にどんどん子供に合わせて変えていってほしいなって思います。 なるほどね。 いやー、ぼちぼち頑張りましょう、お互い。 はい、頑張っていきましょう。またぜひどこかでお会いできることを楽しみにしていますので。 会いましょう、会いましょう。 はい、ぜひよろしくお願いします。 お願いします。聞いてくださった皆さんもありがとうございます。 はい、スペースの方でも何人か聞いてくださったので、これで終わりにしたいと思います。 ありがとうございました。また聞いてくださった皆さんともどこかでお会いしたりおしゃべりできるよう楽しみにしています。 はい、じゃあもうとりあえずここで終わりにしてもいいですかね。今日はありがとうございました。 こちらこそお互い頑張りましょうね、ぼちぼち。 はい、頑張りましょう。 はい、じゃあね。 はい、またお疲れ様です。 はい、お疲れ様です。 はい。 # まとめ・エンディング はい、というわけで対談はいかがだったでしょうか。お互いにですね、いろいろ本に込めた思いとか背景とか、これからのことについて話していきました。 コーチングというところとファンキャンタイプの場作りというところで、ちょっとねすごくし違いはあるようで、でも込めた思いっていうのにはある程度ね、こうなんですかね、重なりもあるなっていうところがね、こう対談をして感じたところです。 はい、ということでぜひ皆さん概要欄にAmazonのリンク貼ってありますので、興味ある方は手に取っていただけると嬉しいです。 はい、Voicyのコメント欄から質問・感想もまだまだお待ちしています。またエクセはハッシュタグファンキャンタイプ零量で感想をシェアしていただけるととても励みになります。 ぜひリポストといいねポチポチもお願いします。 それではまた次回の放送でお会いしましょう。パーソナリティはライザーでした。バイバイ。 もっと見るFunCan体育Radio〜日本の体育授業を1歩前に〜らいざ@「楽しい」と「できる」のサイクルを回す体育授業00:541.タイトルコール1:04:472.木村彰宏さんと出版記念セミナー記念トーク00:463.まとめ・エンディングコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
#411 木村彰宏さんと出版記念セミナー記念トーク 1時間7分・8時間前・ 39再生AI目次木村彰宏さん出版秘話とコーチングの真髄教育現場にコーチングはなぜ難しいのかライザー流「ファンキャン体育」の誕生背景運動を通じ子どもが自己を知る授業とは書籍が「学びの第一歩」となる教育の未来
#410【シリーズ最終回!中学年多様な動きをつくる運動の実践シリーズ④】「子どもの姿と、記録に残った思考の流れ」 12分・昨日・ 119再生AI目次「楽しさ」が多様化!子どもの変化した遊び方全員違うのに同じ?「自分サイズ」の創造性高まる意欲の証「見て見て」「動画に残したい」Padletで記録!消えゆく思考を可視化する正解なき挑戦が導く深い学びと自己評価
#409【中学年多様な動きをつくる運動の実践シリーズ③】「プラスワンと、工夫できる具体例」 14分・9月18日・ 265再生AI目次「プラスワン」で広がる運動の可能性概念と実践のギャップを埋めるには子どもの創造性を引き出す指導法用具で生まれる子どもの独創的な動き主体的学びを促す「余白」の重要性
#408【中学年多様な動きをつくる運動の実践シリーズ②】「活動を入れ替えて、3つに絞った」 11分・9月17日・ 324再生AI目次多用な動きを生む活動の入れ替え術なぜ3つに?運動の創造性向上戦略絞ることで広がる子どもの工夫とは3つから1つ選ぶスモールステップの妙「楽しいとできる」サイクルを回す設計
#407【中学年多様な動きをつくる運動の実践シリーズ①】「6つのブースから始めた」 11分・9月15日・ 379再生AI目次「全員がやれそう」多様な動きの入り口6ブースから始める多種多様な動き用具操作運動に加わる協働の視点中学年体育 目標は4つの動きと組み合わせなぜ6ブースから3ブースへ絞り込んだのか
#406【特別回】「体育が苦手な先生へ」 11分・9月13日・ 353再生AI目次体育苦手な先生が直面する授業の壁子どもが自ら学ぶ『場』の育成とは『場作り』で生まれる先生の余白と役割子どもの変化がもたらす先生の成功体験先生の二極化を防ぐ授業作りの願い
#405【特別回】「『開脚跳びの呪い』を解く」 11分・9月12日・ 341再生AI目次開脚跳びの「呪い」が生まれた背景教師も経験した「できた」への価値観技を否定せず呪いを解く指導の転換点「怖い」を「楽しい」に変える場作りの秘訣一人ひとりが「できた」を実感する授業の未来
#404【特別回】「なぜ体育だけ、あんなに不安が強く出るのか」 14分・9月11日・ 387再生AI目次体育で不安が生まれる三つの構造楽しさを守る「心理的安全性」の秘訣「やってみる」を可能にする四つの条件場作りを支える三本柱「ファンキャン体育」三本柱で「0歩目」から「1歩目」へ
#403【特別回】「なぜ、場をつくるのか」 12分・9月10日・ 428再生AI目次「考えてごらん」が届かない理由運動体験が拓く思考への道筋自ら回す試行錯誤サイクルの秘密教師が支える学びの回転とは遊びが学びとなる究極の場作り
#402【特別回・体育WGシリーズ⑪】「次期学習指導要領の素案と体育WG」 14分・9月5日・ 419再生AI目次「工事の資質能力」廃止、その意味体育評価、新たな「学びに向かう力」授業時数調整制度、体育への影響体育授業の素材を他教科へ応用する戦略形成的な評価に注力、記録より対話を重視