TOPトーク専門家FunCan体育Radio〜日本の体育授業を1歩前に〜#206「あらいさんと自由進度学習・自己調整学習についてバッキバキに話す回」コラボ放送311:01:04 2025年12月21日 519再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次自由進度学習と自己調整学習の誤解を解く学びの自由度を高める環境設計の要諦体育の技能習得を深める「試行と言語化」教師の「見取り」の難しさと成功体験「知る」と「確かめる」サイクルが導く成長AI文字起こし(β版) # タイトルコール 始まりました。ファンキャン体育レイディオパーソナリティのライザーです。 このチャンネルでは、楽しいとできるようなサイクルを回す体育授業作りのヒントや考え方をお届けしています。 この放送は日本の体育授業を一歩前に進める一両になればと思ってお届けしています。 今日もゲストをお迎えして対談をしました。 ゲストはアライさんです。ケテブレ界隈では結構有名な方だと思います。 今回は自由振動学習と自己調整学習ですね。 アライさんが最近書かれたノートの記事を元に1時間濃厚にお話ししていますので、ぜひ皆さん聞いてください。 結構長いので分けて聞いていただいてもいいと思います。 それでは本編どうぞ。 # 本編①「あらいさんと自由進度学習・自己調整学習について話す」 はい、というわけでですね、今日はゲストに来ていただいてお話をしたいなと思います。 前回ゲストに来ていただいたのが夏ぐらいなので、もう4ヶ月ぶりとかですかね。 はい、あらいさんです。よろしくお願いします。 あらいです。よろしくお願いします。 はい、いつもながらですけど簡単に自己紹介してもらっていいですか? 自己紹介。大阪で中学校の先生しています。教科は理科なんですけど。 はい、自己調整学習、自由進路学習、決定ぶれ、Q&Aみたいなところがキーワードになるかなと思います。よろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。朝6時ですけどね、聞いてくださっている方々もありがとうございます。 じゃあまずなんですけど、まず自己調整学習と自由進路学習の2つはセットで語られるというところでノートの書き出しにあるんですけど、 なんでこの2つの違いについてノートを書こうと思ったんですか? まずね、これは簡単に言うと要は質問されるからですね。 いろいろ流行ってきてるというか見直されてきてる中で、両方聞くんですよ、たぶん言葉としては。 周りもやりだした、勉強しだしたんだけど、どっちも聞くんだけど、新井さんこれ結局どういうことっていうことをちょこちょこ聞かれるんですよ。 なったときに毎回説明するんですけど、めんどくさくなってきたんで、もうノートまとめますっていうのが原因です。 なるほどなるほど。そういうことですね。 じゃあまずその自由進路学習も結構本当に新井さんがおっしゃる通り流行っていて、流行ってるからこそ多分起きることだと思うんですけど、結局それが深い学びになっていないとか、 自分で調整するような形ではないとか、なんなら法治型自由進路学習みたいなのも生まれるでしょうねって感じじゃないですか。 今回僕のノート見てて、結局この自己調整学習は状態だよねってやり方じゃないよねって。ただ自己調整学習のサイクルみたいなのはあるじゃないですか、たぶんね。 計画して実行して、小冊してみたいな。でもやり方じゃなくこの状態っていうところで、新井さんがこういうふうな状態っていうふうなところで読んだっていうのはあれですか、 木村きのりさんとかそういうところからですか。 そうですね。木村先生と一緒に勉強させてもらう中でもそうですし、それをやっていく中で、やっぱりけてぶれともつながっていくんですよね。 いろいろ自己調整を見直していく中で、これは単純に一方通行というか、一本道で行くというよりはサイクルになっているってことは、だんだんやっていく中でわかってきたって感じですかね。 なるほど。最初の一本目のノートから聞いてるんですけど、一斉授業でも自己調整は起こり得るって言って、 この条件として自分で自分の理解度を捉えて、次の行動を自分で判断し、必要に応じて修正するっていうところですけど、結局ここに書いてあるように、一斉の中で自己調整できちゃおうと思っても、その幅っていうのが狭すぎて、僕は多様な子どもたちがいる中じゃ合わないよなっていうのはまさにおっしゃるとして、かなり可能性は低いじゃないですか。 そんな中で、反対側で行きたいんですけど、一斉学習としての価値も実は叫ばれてるんですよね、今ね。 はいはい。 例えば僕最近、天城さんとボイシーでコラボしたときに、やっぱりこの学び方を学ぶのは一斉の中で手渡していくのが、小学校と中学校の違いもあるんですけど、大事だよねって思うんですけど、新井さんはそのあたりはどう思ったりしますか。 いや、必要な場面って感じです。どっちかっていうより、学び方とか時間を手渡していくとか、二つ目の記事にも書いてるんですけど、 何かを準備していく段階では、自由度を上げりゃいいっていう話じゃなくて、ちょっとずつ上げていく中で、ちょっとずつ何かを手渡しながら、 だんだん自由度を上げていくっていう意味で言うと、全段階的に一斉授業は絶対必要になってくる。 何をめがけた一斉授業かってことが大事。 あくまで形態なので、別に一斉授業してりゃいいとか自由身の学習してりゃいいって話じゃなくて、何をめがけた今なのかってことが大事なのかなって思います。 いや、めちゃくちゃしっくりきますね。僕もデザインの中で、結局子どもたちに時間と自由度を手渡していくんですね。単元の中で。 体育だからこそっていうのもありますけど、一番最初は一斉の中で運動はどういうふうに、要するに安全面とかですよね。 動線とか危ない状態を避けるための一斉の指導はあるし、まったくゼロの状態で運動させるっていうことは小学校低学年の中ではできないので、 そこからだんだんだんだん子どもたちの状態を見て手渡していきますよね。見取りながら。 もうそれしかないですよね。これをやった後には次の取り組みを決めてやっているんじゃなくて、 子どもたちが今こういう状態だから、次こういう手を打ったら面白くなるかなとか、今の子どもたちの力に合ってる一歩先の活動になるかなとか。 そういうのを見取りながら、試しながらですね。違ったらちょっとやめようとかも、もちろんしてほしいです。 というのを子どもたちの状態とか、必要感とかそういうのにも寄り添いながら、いろいろ形を変えていくと、自然と形が自由進路学習院ではなっていくかなというふうに思ってますね。 まさに。自由進路学習で書かれているように学びの自由度を高めている設計があるわけです。 その中で自己調整学習のサイクルが回るようにするための構造はどうしていくかっていうところですよね。 そうですね。 これちょっと今回、具体についてここから聞くと、ある意味で子どもたちに任せていく自由進路みたいなものを教えていたじゃないですか。 深い階層の方なのかな、メインは。 はい、そうですね。 その中で子どもたちが選んでいったり、そこから気づきを得たりとかしてくると思うんですけど、その子どもたちが選べるような状態を作るときに選ぶ基準って何かあったんですか。 いろいろ僕が見た中で実験用具を用意したりとか、本をブックトラックに用意したりとかあったじゃないですか。 はい、ありますあります。 ああいうものの選択肢は、新井さんはどういうふうに選択していたのかなみたいな。 つまり自由度を上げていく中で、どういう学習環境の作り方をしてるんですかってことですね。 そうですね。自由度を上げる方向性とか基準とかっていうのは。もちろん理科のやつもあるだろうし。そういうのありますか。 これめっちゃ難しいですね、答えんの。 何めがけてたかって言われるとすごく感覚的にやってるんですけど、 これがあったらいいなって思いついたものはなるべく用意するみたいな感じで。 言ったらですよ、そういう学校あるじゃないですか。 そういう学校って言うと、行ったことないんだけど。 山形の学校かな。天道小だっけな。 いや、全然わかんないですけど、その小学校の名前とかは。 話聞いてると、おるたなに近いかな。 本とかも自由。図書館とかもすぐそこにあって、自分で自由に行って、授業中にね。 試したいことがあればちょっと外に出て試すとか、そういう学校ってあるじゃないですか。 ちょっとしょっぴ坊とかで。 そういうのを公立の学校の中で実現するには、どうしてったらいいんだろうって考えて、 本は用意できるよなとか、具体物触れるよなとか、 外出て、廊下出て、ちょっと試せるよなとか。 そういう学ぶための環境として、なるべくシームレスに段差がどこにもないような、 気づいたらできるみたいな環境を作るにはどうしたらいいのかっていうのを、 ただただ考えてったって感じですかね。 ちょっと抽象的ですけど。 なるほど。 結構僕でも具体的に自分だったらどうするかっていうと、僕はその単元の3つの施設能力に繋がる場を作ってますね。 ああ。 だから、例えば主体制だったら、こういう場を作ったら子どもたちは楽しみそうだなとか、やりたいと思うだろうなっていうところと、 これを楽しみながら繰り返していったら絶対技能が高まるようになるんだなとか。 で、その中で僕は結構スモールステップ余白って言ってますけど、ちゃんと試行錯誤がしてフィードバックも返ってくるようにするにはどうしたらいいとか、 輪っかを置くとか、男になるようにするとか、その3つの施設能力が育成に繋がるようなものを結構環境として用意するっていうイメージですね。 たぶんあらゆるものでも強化だから、たぶん理科、その具体物はやっぱね、あるじゃないですか、用意する実験用具も何でもいいわけじゃなくて、 その関係に応じてやるってありますよね。 それもね、今おっしゃった3つもやってはいます。 ああ、ですよね。 やってますやってます。 なんか、何だろうな、視点が違うというか。 さっきのやつは、僕が言ったのは、より多様性を包摂的に見れるというか、受け止められるかみたいな学習環境の話が一つはあって。 ああ、軸が違うってことか。 軸違います。 もう一つ軸があるのが、今おっしゃったような、できるわかるに持っていくための階段作りっていうのはまた別軸でありますね。 それ今考えると、多様な子どもたちの包摂って言うと、僕は主体性を広く耐えうる環境だなって思ってるんです。 ああ、確かに確かに。それに近い。 そこのね、一歩を踏み出せない子たちって結構いる。 中学生だからなのか、高校生とかもあるかなと思うんですけど。 その中、ちょっとこじらせてしまって、一歩を踏み出せなくなっちゃってる場合って結構僕は見てきてるので。 そういう意味で言うと、いろんな学びの入り口があるよっていう意味で受け止めれる環境としてもそうだし。 そこが、こうじゃなきゃダメっていうのをなるべく減らすっていうのが一つ、テーマとしてはありましたね。 いやー、すごく今わかりやすいというか、しっくり聞かしい。 メタファーとしては、ボルタリングじゃないけど、たくさん取っ掛かりがあって、俺はこっからなら行けそうとかっていうイメージで。 一本道じゃなくて。 いろいろ足を引っ掛けるところとか、手を伸ばせるところがいろいろあって、その子に応じてどこ掴んでもいいよって。 でも目標は上に登っていこうねってイメージですよね。 ですね。 地下の段の方は結構わかりやすい、掴みやすい取っ掛かりをあえて用意してるとか。 うんうんうん。もうでっかいようなみたいなね。 そうそうそうそう。乗っかれるぐらいの。 それもあるし、色分けされていて、わかりやすいルートも見えてたりとか。 これ予見というか、微動詞になっているんですけど、そういうのもあるし、いろんな視点で登っていくにはっていう。 そしてさっきおっしゃってたような、できるにちゃんとたどり着く掛かりの置き方もちゃんとするってことです。 あーめちゃくちゃわかりやすいですね。そうした時に、例えば新井さんが用意してた太陽部屋と月部屋もそうでしたね。 一緒に登ってもいいよとか、先生も手伝うよとか、そういうことですよね。 まさに太陽部屋月部屋っていうのは、そこも選択できるように、選択できるものの種類を増やした感じ。 いやー、わかります。例えばですけど、今おっしゃったみたいに、中学生でもやってみれば一歩踏み出せない子っていうのは、結局どの教科にもあるけど、 言い方悪いですけど、中学生は中学生だからつってやれよみたいな感じになっている部分も体育とかあると思うんですよね。 あると思います。 よく出っ張りが全然自分の届かない遥か上の方にあって、それを掴めって言われるみたいな。 落ちたら怖いしね。 だからそういう意味で言うと、確かに中学生という発達段階、小学生という発達段階はあるけど、 その分によって掴めるものがない中で学習を進めていくのって無理ですよね。 無理。無理意地されてきたんですよね、たぶんね。 その結果手を伸ばさなくなるっていう感じですよね。 手を伸ばさなくなるし、手を伸ばせない自分を否定してしまったりとか。 ああ、わかる。 できているので、それはあなたが悪いんじゃないよっていう、 その取っ掛かりがないこととか、環境のほうが問題だよねっていうのを言ってあげるための学習環境って僕は結構大事だなと思って。 ああ、確かに。 あれですもんね。それで言うと、上もそうですね。上限の開放をしてあげないと、 もうこんなルート楽勝すぎる、つまんねえよってなっちゃうと言ってますわけよね。 登れた自分偉いってなってる、しまってるのもちょっと違う話で。 そういう意味で上限の開放で、まだまだ先はあるよっていうのを示して、 まだまだ先に登っていくこと自体が面白いよねっていうことを示し続けるっていうのはすごい大事ですよね。 確かに。 だし、簡単に登る方法もあればちょっとチャレンジな登り方をして、そこで得る気づきもあるだろうし。 ですよね。降りてもう一回登り直すもんだし。 降りて一緒に誰かと登れるようにするとかね、そんなんもいろいろあるでしょうし。 今ちょっと気になったんですけど、体育の上限の開放って何があるんですか? 体育の上限の開放は一番シンプルなのは、例えばトリオコだったら高さを上げるとか、 技の難易度を上げるっていうのが上限の開放なんですけど、僕は結構あんまりすぐそこに行くのはあんまり好ましくないと思っていて、 例えばですけど、できるっていう一つの段階もギリギリできるとか、2回に1回はできるとか、 例えばですけど、息をするようにできるとかっていろんな種類があると思うんですよね。 制度っぽい話ですね。 そうそう、制度っぽい話。制度だけどその着地の制度とかっていうわけじゃなく、技の安定感みたいなことなんですけど、 技の安定感っていうところを高めるためには、これは量をやらなきゃいけないんですよ、やっぱり。 運動って自分のイメージした動きと実際の動きのズレが少ないほど、やっぱりいい状態だからこそ次の世界がもう見えるんですよ。 要するにギリギリできている状態では意識が結構たくさんいっていて、スムーズさっていう意味では足りないんですよね。 だから次の難易度の技に行くためには、その前の中での制度を高めるためにスモールステップで着地を遠くにしてごらんとか、 ピッタリ足を揃えてごらんっていう違うスモールステップの軸を示して、そこで量を稼ぐんですよ。そこに楽しさを見出させて、ある意味で。 そうしてそこで量を稼いで、さらにそこでのところができるようになったとき、次に行くと次の取っ掛かり、次のチャンスの岩が見える状態ができてるみたいな。 だからできたから次、できたから次っていうと、やっぱり上限解放されてるんだけど、うまくいかないんですよね。 サイクルを回すためには、そういうようなスモールステップの軸をいくつも用意しながら、しっかり運動量と思考回数を稼いで、 そっちに流れるようなスタイルのほうが、やっぱり子どもたちは成功体験を得やすいっていうイメージですね。 前回もあれですけど、ツーズル部分がすごい今引いててあって。 体育の制度的なところに焦点を当てるっていうのが、僕は不解放の自由心度にちょっと似てるなって今一瞬思って。 難しいことをすりゃいいっていう話でもないってことですよね。 そうですね。難しいことをするのではなく、その一つの技の中にもたくさんの楽しみ方だと、 その技ができる中にもいろんな難易度というか制度を味わい尽くしたほうがいいよねっていう。 もっと深みを味わいにいきなっていうイメージですね。 僕、楽しいとできるのをサイクルを回すって言ってるんですけど、できるの中にできた楽しさももっと楽しさがあるんですよ。 要するにサイクルの味わえる楽しさをたくさん巻き込みながらサイクルを大きくしていったほうが、その子は成長するっていうイメージですね。 僕で言うと、たぶん知ると確かめるのが王冠かなって思うんですけど。 知識とか、できるわかるみたいな塊があって、それが面積だとしますね。一面屋として。 知る学習とか、それをわかったと思ったら確かめて。 確かめたと思ったらまたわからないところが見えたから、もう一回知る学習に戻って、みたいなことを繰り返していくんですけど。 でかいわからなきゃいけない、できなきゃいけないものがあったとして、 知るとか確かめるをやっていくと埋まっていくんですよ。 ポツポツポツポツ、穴が。色がついていくというか、穴が埋まっていくというか。 というのがずっとポツポツポツポツ埋まっていって、 わかるとかできるっていうものの枠組みもクリアになっていくし、 中の穴もどんどん埋まっていくし、精度が上がっていくっていうのはちょっと似てるなって思いました。 僕の中で最近そこで思ってるのが、精度が上がっていった先に待ってるのが飽きなんですよ。飽きる。 飽きるね。 飽きたときに一気にやる気がなくなるからこそ、飽きた先にそのタイミングでこういう世界があるよとか、 全部脱出するっていうよりはなく、ちょうどいい最近説領域をちゃんといいタイミングで、 もちろん完璧なタイミングで僕はまだ小学生には渡せないと思ってるので、 その先には子どもたちが自分で次に行こうと思うタイミングはあると思うんですけど、 飽きるタイミングで次のやってみたいっていうのがあると、そこでまたエネルギーが生まれるんです。 飽きるってことはエネルギーがなくなるってことなんで、そこに対して。 そこらへんはかなり意識してますね。 飽きたときに何するんですか? 飽きるタイミングっていうか、飽きる一歩手前ですね。 子どもたちが完全に精度が高まってる状態で、次の最近説領域を手渡すみたいな。 ああそういう意味か。次の一歩を示していくってことですね。 それを前半でやっておけば、後は自分たちで、 要するに経験してるから質を高めるっていうか、精度を上げることも経験してるから、 新しいことをやった中でもそこに行ける子どもたちもいるので、そういう風にして手渡していくし、 さっきの一番最初の話に戻るんですけど、自由度を上げるっていうのも、 やっぱり4月に比べて今は、昔は単元の2時間分ぐらいしか渡せる範囲がなかったのは、 今や単元10時間とか11時間だったら、本当に5時間目とか6時間目ぐらいで手渡せるようになっていくみたいな。 手渡せるタイミングがめちゃ早くなるなって思いました。積み重ねていくと。 まあそうですよね。 僕、なんでかなって思って、それを一応言語化してる気がしたんですけど、 2個目の自由度の上げ方の記事か、最後にまとめで書いたんです。 学び方とか方法を手渡していると、時間とか動きの自由度を手渡せている。 最後に人に聞く、頼るスキルも育っている。 この条件が僕3つ揃っていくと、自由度を上げていける状態なのかなと思ってるんですけど、そこら辺と一緒ですか。 一緒ですね。僕も結局、どういうふうに学んでいくかっていう方は、ある程度1年間同じ方でできるように7月から作っていくんですよね。 今年に関しては結構、さらにそこからもう一歩、先の世界を考えて、ちょっとずつ拡張していってるんですけど、 でも結局はそうですね。どういうふうに学んでいけば自分たちが楽しめるか、自分たちができるようになるかみたいなのは意識してますね。 だから子どもたちはそれを学んでいくと早いですよ、本当に。 そうですよね。この手渡しが完了していく、満たされていく。 そういう手渡っていく中で、だんだん早くなっていくってことですね。 その単元が早い段階で任せられるようになっていくっていうのはそういうことですね。 そうですね。集団としては早くなります。個々としてはやっぱりばらつきがあるので支援しなきゃいけないとか、体育も危ないことするやつもいるので指導しなきゃいけない子もいるんですけど、 でも集団として、全体としてはもう安心して手渡していける。あとは個別で同心していくかみたいなほうに自分は振り切れるみたいな話です。 確かに確かに。ちなみに単元でも違うんですか。 体育は領域が違うので、例えば理科も一緒かどうか。ある程度教室でやって、大体教科書を使う、動画を使うとか実験用具を使うっていうのはあると思うんですけど、 実験用具を初めて用意したときは、ある程度慎重にはならざるを得ないじゃないですか。火を使うとかね。 それと一緒で、いきなりボール運動やってたのに次飛び箱になったとしたら、飛び箱を扱う上での必要な一斉で伝えることがあるので。 だから領域によって、また一から積み上げていくものもあります。特に初めて持った学年に関しては。 結局その子どもたちの状態を見とって、必要ならばある程度手渡すような期間も長めにとるしってことですね。 だからたぶん新井さんは3年間持ち上がったじゃないですか。試行錯誤していったとは思うんですけど、その中で手渡せたものに関しては、もう3年生の最後の方には言わずとも大丈夫みたいな状態じゃないですか。 そうですね。 それが1年限りだったら、たぶんまた変わってくるじゃないですか。たぶんそういうことだなと。 そうですね。 2個目の記事から聞きたいんですけど、さっき言った、まず自由度を上げるのか。自由度を上げるというのは僕の中では、言い換えると選択肢が広がるというイメージでもあるんですね。 ああ、はいはいはい。 ある意味ね。体育でいうと。そしたらこの違和感というのはめっちゃそうで、僕は子どもたちが一斉一律の中でやると、 やっぱりそこに全然迎えない子がいるとか、そこに飽き飽きしてる子がいる。ここら辺は僕は違和感というふうに捉えるなって思ったんですけど。 ああ、そうかもしれない。体育だとそうなりそうですね。 そう。自由度を上げないほうが不自然じゃないですか。一部で全然やりない子がいて、一部で飽きて遊び出す子がいたら、これは違和感以外の何物でもないので、自由度を上げるしかないよねって思いますよね。 そうですね。 この最後に見取りみたいな記事も昨日書かれてたじゃないですか。 はい。 その場で判定できるものじゃないと。僕もまさにそうなんだけど、これってすごいあれですね、難しいですよね。 これ難しいですね。 これ言語化して、僕はなんとなくわかりましたけど、伝えるの難くないって思っちゃいました。読んで。 多分これはリアクション薄いと思ってます。この記事は。3つ目は。見取り方に関しては。多分読んでもわかんない。 質問は本当にされたんですよ。そのノートのコメントにも載ってるんですけど。 じゃあ見取りどうしたらいいんですかっていう質問が本当に飛んできたので、そうだよなと思って書いたけど、これノートで文章で言うと相当むずいぞと思って。 なんとか言葉にしたのは、瞬間でわかんないよっていう。この流れを全部を見取らなきゃいけないよっていう。 でもこの流れ全部を見取るってまた何とも抽象的な話なんだろうと思いながら僕は書いちゃったんですけど。 これやってる人ならやっぱりわかるんですかね。成田さんはわかっていただけたってことですね。 僕はわかるし、僕は具体的にこのストーリーで見るっていうのは、意図的にデザインの中でやってますね。 全部で見取るのはまず不可能っていう大前提に立ちますよ。 見取れるのは子どもたちのその場の瞬間じゃないですか。そこから判断できることは、今何をやっているかっていう事実がそこにありますよね。 そうなったときに、これは小学校だからできるとか僕のスタイルだからできるっていうのもあるかもしれないけど、僕は入り口を揃えるんですよ。スタート地点を。 全員ができるところに。そしたら今やってる行動とその入り口のスタートラインからのプロセスは絶対あるわけじゃないですか。 絶対に一番最初から今やってることと同じことって僕の授業の構造上ありえないんですよ。スモールステップがあって余白があるんで。 そうしたときに、まずできるのは最初こういう姿だけど、今これに挑戦してるんだねとかっていう声はかけられますよね。 そのプロセス。その幅は伸びてるので、そういうのでいくと子供たちがだって試行錯誤してないとそこまで伸びないわけだし、 多分いろんなコツに気づいてるんだろうなっていうのは予測しながら声かけをして聞いたりもしますね。 聞きながらストーリーを、要するに僕はある程度のストーリーが見えているそのスタート地点から今の地点で、 ここからそのぼやっとしたところを対話しながらどうやってやってここまでできたのとか聞いて、それを勝ちづけていくとそのストーリーが少しクッキリしていく。 うーん、わかった。 はい。子供たちはそれをするためにはさっき言った自由心の学習みたいに自走している状態がないとできないので、 ストーリーをクリアにするために僕は子供たちが自走できるような構造を作って、一人一人に声をかけにいける状態を自分で作っていくみたいな。 その声をかけやすくする構造になっているってことですか? 2つです。スモールステップ予約フィードバックで子供たちが繰り返したくなる状況と、体育なんで身体的な思考錯誤が生まれるような状況を作るんですよね。 まずこれで子供たちは成長するんですよ。その子によって違いますけど、絶対に。 で、さっき言ったように違和感を感じるんだったら調整するし、その子は全く動いていないような。 そういうのも含めて成長するっていう前提がある中で、じゃあどこから成長したのってスタート地点揃っているから、今を切り取ればそこからはプロセスとか伸びが見えるわけじゃないですか。 でもその間に何があったかっていうのをちょっと対話したりとか、予想してこういう風な感じでやってたんだとか、声をかけながらくっきりさせていくと、子供たちも自分が伸びたっていう成長実感があるから邪魔耐えろってなるみたいな。 あとはここで僕は提案をする場合もあります。今ここまでできてるんだからこれちょっとやってみたなとか、こういうのもあるよとかっていう紹介する場合もある。上下の開放としてでもですけど。 だからあれですよ。新井さんが言った確認で終わるときと提案するときって書いてあるんですけど、その子がまだ質的に精度が足りなかったら確認で終わって、終わるとかどんどん楽しんでとかやればいいと思うし、 開き始めたときに提案するときみたいなのはありますね。だからわかりますよ。つながりますよこれ。 つながってきました。たぶん言い方が違うんですけど、 新井さんが作ってる構造っていうのは、おそらく僕で言うと、知ると確かめるっていうのが、学習するっていうことだよって一個の物差しを置いていて、それをとにかく行けと。 しかもそれができるような教材とか、自由進路の進路表にしておくとか、そういうのをしていて、子どもたちが自然と上がっていきたくなるように、上がっていけるような学習の準備をしてると。 物差しも置いてると。その知ると確かめるを交換しなさいって言ってると。 その上で、そのルートをたどってくるんだからこっちも見取りやすいっていうのが、今言ってた構造。 その、いったら、共通言語とか学習環境をある程度セットすることで、こっちも見取りやすくしてるっていうのも一つの構造ですか。 そうです。見取りやすくしてる。フィードバックをすることが子どもたちにとってのエネルギーにもなるし、学びに向かう方向性を一緒に揃えてあげるってことにもつながるので。 言ってる言い方は違うけど、やってることはたぶん似てる。でも体育と理解の要素は違うのか。 そうですね。学ぶってことは、僕の中では、子どもたちとしては技能習得っていうのは一つものさしにするんですよね。 その技能習得も身体能力とかに関わるものではなく、子どもたち自身が動きとして身につけていればOKで。 だから、測るためのあれは、全体で序盤のほうに、こうするとうまく飛べたりするよねとかっていうコツは、一応共通言語。 共同的な学びじゃないと集合地としてみんなで探して、それを使ってやっていこうっていうようなところで自由度を上げるとかっていうのはあるのかな。 分かるんですけど、引っかかってるのは、分かっていくためには知ると確かめるが、絶対に行き来しないと無理だなと思ってるんですけど、 体育のできるに上がっていくためには、何を往復してるんだろうって今考えてて。 それはやってみると考えるですか? 結構難しくて、やってみる。体育って難しくて、できるからって分かってるわけじゃないんですよ。 そうそう。そこがちょっと、分かるとできるのを往復でもないなと思って。 そう。あとは分かるからできるでもないんですよね。 そう。だからこそ、でもどっちのパターンですか。できるけど分かってないとか、分かんないけどできるとか、分かんないしできもしないみたいな、これ3パターンだと思うんですよね。 はいはい。4パターンじゃないですか。分かんないしできないしもあるとか。 あ、そうか。分かるしできるしもあるか。4パターン。4パターンの子だったら、まず分かるっていうのはコツとか知識じゃないですか。 それはみんなで見つけましょうよと。みんなで見つけるんですよ。僕は結構キャンバーのホワイトボード使って、でも見つけるためにはたくさん運動しなきゃいけないじゃないですか。 だからやっぱ楽しいとやるから楽しい構造を作るし、その楽しさに行くためにはやってみるがないとダメだからやってみれるような安心・安全な場作りを意識するんですね。 で、やってみたら分かることあるんですよ。やればやるほど内側に自分の情報が溜まっていくので、その対象運動に対する。それがちゃんと言語化させる。言語化させていくと、なんとなく言語化の能力に差はあるものの、やっている運動に対しての体像度は上がっていくんですよ。その言葉によってね。 あとは小学校低学年というのもあるけど、僕と一緒に整理して、じゃあこれが大事なんだね。これをやってみようということでやる。で、できるはやっぱりその子のスタート地点によって差があるから、でもやればやるほどできるはちょっとずつ増えていくんですよ。その技ができるとできないのを二項対立にしちゃったらできないけど、グラデーションだから。 何々はできたねっていうのはちょっとずつ僕はフィードバックで返していって、その子のできるっていう感覚をつかんでいくみたいな感じですね。 僕すぐ抽象度上げたくなっちゃうんですよ。ライザーさん具体に落としたくなるのかな。できるに行くのに、どんなことを子どもはやってるのかなって。 今見えたのは、やってみるっていう回数が増えていくのは必然とできるには近づくと思うんですけど、一個言語化するって出てきたじゃないですか。 言語化するとよりそれの利率が上がります。 ってことは、やってみると言語化を往復してるってことですか。そうするとできるに近づいていく。 そうですね。やってみると言語化の往復と、言語化したものと自分のやってみた動きのズレとか差を埋めていくみたいな。 それが埋まるような場作りはしてる。繰り返すほど。基礎感覚とかっていうのが大事になってくるんですよね。それが自然と養われるような場作りはしてるし、楽しい。 そうですね。ごめんなさい。やっぱり具体に落としちゃうけど、そういうふうな構造を作ってる。 これ、二人の癖が多分結構出てて、僕ずっと抽象度上げたいんですよ。結局ってことは、何やってるんだろうとかいうのをまとめたくなっちゃう。 記事もたぶんそんな感じになってると思うんですけど、抽象度を上げていって、誰にでも当てはまるように書きたくなっちゃうんですよね。 でもある意味で、何かができるためには、その対象の情報と自分のその対象に対する現在地の情報がないとダメなんですよ。 その両方を得るために、基本的には目指す動きがあったら、子どもたちは体育は運動しながら、その対象に対する自分の動きの情報を繰り返しながら得ていくんですね。自分の感覚で。 でもそれじゃ足りないから、コツっていう言語化したものと、あとは友達、教師、場からのフィードバックを受けて、その精度を高めていくみたいなイメージなので。 だからあれです。ただやるだけでは自分の情報しか集まらない。ただコツを知るだけではその対象の情報しか集まらない。その2つをミックスさせながらサイクルを回していくっていうのが大事。 自分の体を通して行われるものだから、体育はね。 何だろう、それ僕ちょっとワードに落とし込みたいですね。これとこれをやってみると何なんだろう、それは。現在地の確認。現在地ってどうやって確認するんですか? だから自分が例えばですけど、自走の動きがあったとしたら、例えば着地、まっすぐ回れないとか。 飛び箱で言うと、何とか飛びが。 快脚飛びでもいいですよ。 快脚飛びがありました。で、やってみるはやってみますよね。 やってみる。お尻が乗っちゃいましたと。そうしたら踏切までは、踏切着地まではできてるけど、体は飛び箱から空中で移動させられてないっていうのが現在地ですよね。 どうやって把握するんですか? だってお尻が打つじゃないですか。お尻打つじゃないですか。飛べなかったら。 自分で確認、そうなったって認知するってことですか? そう、だって場からフィードバック受けますよね。お尻が当たったら快脚飛びして。 そういうことね、はいはいはい。 そしたら次に何が必要かってなったら、またもう一回やるんですね。勢いつけてみると。これ多分無意識にやると思うんですよ。 でも失敗ばっかりすると怖くなっていくので、僕はあんまりそこは最後の方にそういう姿があるぐらいがちょうどいいと思っていて。 普通だったらもっとできる高さでやって、できたら次の高さ、次の高さっていうところで高さでの現在地の把握はできるじゃないですか。 できなくなった時にじゃあ何が足りないのかって言ったら、ここら辺で言語化が必要なんですよ。 うまくできることか、みんなで探して、例えば踏切は勢いよくやるとか、手のつく場所は前の方がいいとか、グッと飛び箱を押すとかっていうところですね。 その言語化を通して、自分のやっていたことにそれを意識してやる。 その手をつけばいいんだとか、もっと前につかなきゃいけないっていう分析は自分でやるんですか? みんなが集めてどうしたらいいって、例えば踏切とか手のつきとかっていう点は与えといた方がよくて、あとは上手になった、僕がやるのはみんなが集めたコツを本当にそうなのかっていう、うまくできてる動画をみんなで見せてどうなってるっていうのを確認すると。 そうすると納得感がめちゃ高まるから、じゃあやってみようってなるんですよね。 やっぱりやってみると考えるの王冠って感じですね。考えるの中に、ケテブレで言うとブーが入ってるし、問いも入ってるし、みんなで確認するって活動とかも入ってるし、いろいろ先生のフィードバックもあるし、考えるの中が今結構たくさんあるんですね。 そうですね。だから体育って結構、ケテブレのサイクルを一つ一つそこまで切り分けられないんですよね。 無理ですよね。難しいと思います。 グラデーションの中でやってみろ、今飛んでみようっていうのが計画で、すぐ飛ぶじゃないですか。これがテストで、その結果が分析したら、じゃあどうするかって次練習なのか、次の計画なのか。また練習することも計画じゃないですか。もう一回やってみようみたいな。 もう多分体動かしてるから多分余計そうですよね。そこら辺がティームレスになっていくというか。 そうなんですよ。だからこそ結構回転数ってあるじゃないですか。僕も夢中になって、何なら不老状態みたいなゾーンに入るじゃないですか。そういう回転数も大事な一方で、あれって無意識だから無思考なんですよね。 一旦立ち止まって回転数を落として考えるっていうのを取り入れて、もう一回サイクルを回して始める方が体育はすごく向いてる感じです。 僕もそういう回転数を上げるために、何を意識させようかなって思って、とっかかりがないと結局なんとなくやっちゃうじゃないですか。 多分おそらく場作りしたとしても、なんとなく練習するだけではやっぱりできるにはなっていかなくて。 だからなんとなくにならないためのとっかかりが、たぶんさっきの知ると確かめるを王冠しろっていうことだけを物差しに置いておくと、結構シンプルで回転数は上がっていく。 一番これから回転数が上がった感じがします。いろいろ言ってきたけど、けてブレード。 短い時間の中で意識できるサイクルの最小単位が、僕の中では知ると確かめるっていう言葉になったかな、たぶん。 今聞いている中では共通項としてはそこかなと思いました。 回転数を上げるための物差しっていう。 回転の質も変わっていくよなって僕は思ってて、どういう風なエネルギーでサイクルを回してるかってことを考えるんですけど、 やっぱりタンゲンの序盤は、ただただその運動することが楽しいというエネルギーでサイクルを回させるんですよ。 で、言ったように飽きるんですよね。飽きるからこそ、じゃあもっと上手くなるためにはとか、もっとこういう技をするためにはっていう次の目標があることでまたエネルギーが生まれて、 その成功体験を味わっていればいるほど、試行錯誤も楽しむし、深く考えることも楽しむし、何なら振り返りを書くことすら楽しみながら、いろんな方向からエネルギーを得ていくので、 一旦回転数を落としたとしても一回立ち止まって、次のエネルギーを得たりとかっていう場面もやっぱり意図的にタンゲンの中で取ってるなっていう感じです。 ああ、はっはっはっは。で、そうするとそのサイクルの質が変わっていく。 そうですね。やっぱりたくさんのことを楽しめる、楽しみながら回してる、たくさんのことができるようになっているサイクルって、最初のただ楽しむこと、楽しい、ただ楽しむことができるっていうサイクルよりも、その円の半径、めちゃ大きくなってるじゃないですか、円周が。 うん、うん、うん。 そうするとその回転って、全く同じ回転数、5回運動するっていう5回のサイクルも、タンゲンの1時間目にやってた5回と、タンゲンの後半の5回では全く違うっていう、そういうイメージですね。 確かに。 ああ、面白い。 そうなんですよね。 いやー、これ最後のこの記事で、この間、みらいの先生フォラムでも言ってましたけど、介入の話もしたんですよね。 ここらへんの、どうですか。あそこから3ヶ月ぐらい経って、介入のところをまとめてみて、その後なんか変化あります? いや、なんだろうな。言語化してみたけど、結局伝えるのがむずいっていうところに落ち着いちゃってます。 再現性の方法? 結局、僕4ステップ介入って言ってるし、あの4段階ぐらいがちょうどいいと思ってるんだけど、 でも結局、介入はできなくはないんですよ。質問から介入しなさいとか、次のステップで提案しなさいとか、ここはまだいけるんだけど、それに至らないんですよね。 結局見取りの話になってくるのかな。 いや、僕もそう思います。だから見取って僕は俗人化だと思うんですよね、完全に。 そうなんですかね。これなんとかできないのかなって思って、介入まではいけたけど、 結局その伝える難しさが出てくるのが見取りの方法。 これでも前も話したんですけど、見取るって、まずその見取る人が見取ろうと思ってないと見取れないでしょ? この話しましたっけ、こないだ。 しましたよ。 これが最後?終わった後に話したやつ? いや違う、これは8月。見取りって見取ろうと、まずそもそも見ようとしてるかっていう話じゃないですか。 何を見ようとしてるかですね。 なぜ見取るのかもそうですし。 だから、WhatもWhyもHowも、今あらゆることをやってるのはHowなんですよね。どうやって見取るか。 どうやって見取るか。 でも何をっていうのも、結局その子によって変わるから曖昧なんですよ。要するに変数が多いんですよ。 変数がめちゃくちゃ多いじゃないですか。 そしてなぜっていうのはそもそもその人の教育観とか指導観とかっていう話じゃないですか。 この2つの変数が多い中で、Howだけ紹介したら、それはうまくいかないという気がしますね。 分かんないですね。 だからやり方How toだけ押さえても、結局効果的に使えないって。 だから効果的に使えないってことは、それをやろうとする気がなくなっちゃうんですよ。 やると思って。 だから必要な人、これは大事だと思って納得感があるし、 見取ろうとは思っていろいろやってきたけど、うまくいかない人に関してはハマる部分はあると思うんですよね。 だけどそれが広がるにはもっともっと違う前段階が、僕は必要なんじゃないかなと思ってます。 なぜ見取るのか、何を書いたのかちょっとは。 なぜ見取るのかをちょっと書いたほうがいいかもしれないですね。 あとは、なぜ見取るのかもそうだけど、見取りたいと思えないとダメですよね。 見取りたいと思えないってなぜじゃないんですか。なぜ見取るかもそうですけど。 そうだけど、それって成功体験がめっちゃ大事だと思うんですよ。 たぶん新井さんが言ってる見取りのレベルってかなり高いんですよね。 やっぱり目的をちゃんと子どもたちの学びを充実するようにって、かなり上のほうの目的があるから。 でもそれにたどり着くためにははるか遠いんだけど、それにたどり着きたいと思うには、 まず見つけて、教師よかったなとか。 そういうファーストステップというか、本当に何かないとそうならない気がしてます。 ああ、そういうことか。 むずい。ちょっとわかんなくなってきた。 遠いんだけど、何ができるんだろうって思って。 ちなみになんで子どもたちがケテブレを回すようになるんですか。 なんで? なぜ子どもたちがケテブレを回すようになるんですかね。 やってるうちに、意味あるなって思うから。 意味あるっていうのは、たぶん漢字がスタートになるのは、漢字の得点が得られたっていう成功体験じゃないですか。 ああ、はいはいはい。 その中に、たぶんもしかしたらだけど、自己決定、自己選択する、自分が工夫する楽しさとか、 自分でいろいろ決める楽しさとかもあると思うんですけど、 たぶんそれって漢字の点数という小さな成功体験ですけど、それが得られてなかったらそれをやろうと思わないはずなんですよね。 確かに。 ってなった時に、その漢字の得点が良かったっていう成功体験を、今回この見取りの中では何として位置づけていくかみたいな。 じゃないですかね、たぶん。 っていうことか。 そう。 でもむっちゃむずいじゃないですか。できたよねっていうのが、めちゃくちゃむずいじゃないですか。 だから見取ってフィードバックして、介入してフィードバックしたとしても、それは子どもたちの変数があるから、 たぶん子どもたちの機嫌もそうだし、状態もそうだし、 そうなった時に、良かった、この子がすごい変わったっていう成功体験が得られるかどうかはわからない。 むっちゃむずいやん、それ。 そうなんですよ。 そこがやってみるしかないじゃんって思っちゃうし、たぶん本当そうなんですよね。 やってみる中で、しかも僕が横にいるわけじゃないから、できてるできてるって言えるわけでもないし。 てなったらですよ、これ本当にジャストアイディアですけど、 僕が思ってるのは、ある意味、もう本当に意図的にデザインされた見取りとフィードバックと子どもたちの変化のデザインを作っていく必要があるんじゃないかなと思います。 家庭のひとつとして。 枠組みを作るってことですか。 そう。 それは、例えばグループ学習にします。 携帯を整えます。 穴埋めのワークシートにして、教科書を見れば絶対にわかるプリントを作ります。 その上で、どこに載ってるかわかんないっていう子は、「どこに載ってる?」って質問だけをします。 そうすると、「あ、ここに載ってるよ。」っていうのを誰かに教えてもらえたりすれば、「あ、ここに載ってるんか。OKOKわかった。」って言って埋めれるみたいな。 この子が困ってて聞けないのかとか、今一人で考えてるのかだけを見取るみたいな、見取るものをぎゅーって絞って、絞れるような状況にするっていうのが今の枠組みの話ですか。 ある意味そうでもあると思っています。 それで子どもができたとかっていう併用があれば、それが一つエネルギーでしょ。 見取って介入した結果、子どもたちがこうできるようになったって。 でも、今ある不確定要素で、本当に見取って介入した結果この子が良くなったかどうかってわからない状態だとやるほうは不安なんですよね。 不安です。 で、それを乗り越えるだけの意思があればいいけど、新しいことに関してはやっぱり人間ってすぐに結果が欲しいんですよ。 結果が得られないことを何回も何回も繰り返せるほど強くないので、そうなった時に僕は今のやり方がいいかどうかわかんないけど、ある意味そうやってぎゅっと絞って、 一旦子どもも先生も良かったって思える状況が作れないと進んでいかないんじゃないかなって思いました。 つまり、今みたいな枠組みを作るのがいいかどうかわかんないけど、そういうようなことってことですね。 そうそう。成功体験ですね、いわゆる。 詰めるような枠組み。 ライザーさんならどういう枠組みが良さそうって思います?見取りの練習というか。 見取りの練習は絶対成功することを見取る。 ああ、そういうこと。 見取りっていうのは見取って終わりじゃなくて、僕の中では結構フィードバックとセットにするっていうイメージなんで、介入ですよね、つまり。 できることを見取るから、できたよねっていうフィードバックをするみたいな。 まずところから、要するにもっと介入という段階があって、さっき言ったように、ただ確認するのか提案するのか、それともほっとくのかってあるじゃないですか。 僕だってでも、あれですよ。もう夢中になってる子で自分で試行錯誤してる子には、あえてそんな声かけずに夢中にさせておく場面もあるから、見取りは見取るけど、その後のアクションを起こさない場合だってあるんですよ。 ありますよね。見守るがありますよね。 だけど、やっぱり序盤とか4月とか、最初の段階では全員にフィードバックするし、フィードバックするっていうのは、褒められるのが肯定されるのが嬉しいから、肯定されるためには肯定される運動をまずみんなが取り入れるっていうところなんですよ。 絶対、誰にでも声かけられるし、なんなら主語をつけて話す時もあれば、全体に向かって言うと、自分ができていればそれは自分のフィードバックとして受け取れるじゃないですか。 だから物理的に無理なものは、構造と仕組みと声かけの仕方で対象を広げたり対象を絞めたり。 苦手な子にはあえて主語をつけて、「何々さん、これはこうなってるよね」っていう事実を伝えてあげるとかもいいし。 じゃあ、Howに近いけど、こういう場面ではこういう声をかけましょうみたいなことで、それを説明書じゃないけど書いて渡したほうが、一旦その先生は体験できるってことですか? そうですね。ただそれはプロセスの一つっていうのは大前提でね。これが終始というんじゃなくて、まずスタートポジションとしては。 それがわさぞびってことか。ライズさんで言う。 かなと思いました。ただそこからその人が使うかどうかは、逆に言うとそれも変数なのでわかんないけど、一旦成功体験を進めるような説明書とかそういうのはあったほうがいいよねって話ですね。 でも結局Howに戻る感じもするな。むずい。 じゃあ、Howは目的じゃないんだけど、Howによって楽しさとか嬉しさとか達成感がないと、Yとかまでいかないですよ、たぶん。 じゃあ、今ダメじゃないってことか。今Howを一旦示してるのは。 ダメじゃない。だし、Yを受け取れてる人とか、Yがもうわかってる人はすごいすぐ使えるけど、今の新井さんがやってるのはかなり抽象化したHowだから、それをちゃんと具体に落とせる力と落としたいと思える人じゃないと扱えない。 だから、もっと多く広めたいんだったら、もっと限定的なHowを作っていく必要はあるよねって。もちろんそれが誤解とか誤った扱い方もするのは覚悟の上でって話ですね。 分かった。今僕は結構抽象度が高いから、それにもうちょい具体も落としていくと、より効果的ってことですね。 だから僕だったら、それはボール運動だったらこうしますとか、トリバトだったらやりますとか、そういうのがあります。 むずー。なんか分かったような分かってないような。でもすごい考えはしました。頭が分かった。 3つ目の記事に、自己調整を見取るというのは正しく回ってるかをチェックリストで確認すればいいという話ではありませんというのは、まさにその通りだけど、チェックリストがまずはあった方がいいよねって話ですね。 ああ、そういう話か。 それはそうなんだけど、チェックリストがない人はどうしたらいいか分かんないよねって。チェックリストがありながらもチェックリストのその先は自分の頭の中にチェックリストができるといいよねっていう世界観じゃないですか。 間違いないです。 そういうことです。その状況で。 一旦、でもチェックリストありますからね。そもそもね。 そうそうそうそうそうそう。 あるから、それはじゃあ次書こうかな。 はい。 いや、ありがとうございます。嬉しい。ヒントが見つかりました。 はい。ということで1時間ぐらいなんで、そろそろ終わりにしようと思うんですけど。 はい。すみません。 どうでしたか?今日は1時間。 いや、めっちゃ喋りましたね。 めっちゃ喋った。めっちゃ喋った。 なんか、めっちゃ途中からめっちゃ考えた。 で、分かるような分からんようなをずっと頭の中で繰り返しながら、抽象と具体を、ただ体育と理科をこう行ったり来たりしながらやったので、すっごい朝から頭を使いました。 はい。いや多分僕もね、まあ見えてない部分たくさんあるんですけど、もう一旦見えない部分を見ようとするためには、自分の土俵に落とし込むのが一番いいなと思ってます。 ライズさんもまさにそうですよね。 そう。抽象化されたものは具体化しないと。で、また自分の中で噛み砕けたらその具体化から抽象化するのは僕も好きなので。 はいはいはい。 そんな感じです。あ、なんかお便りが来てる。ちょっと待ってください。 え?便り? あ、ポンさん。ポンさんが今来ました。朝から濃くて最高。アーカイブ楽しみにしてますってことで。1時間ありますよ。 1時間。すみません。喋りすぎました。 いやいや。楽しかったです。 ありがとうございます。 はい。じゃあまたぜひ来年もやりましょう。 はい。よろしくお願いします。ありがとうございます。 はーい。ということでここで一旦録音は停止します。皆さん朝からありがとうございました。 ありがとうございました。 # まとめ・エンディング はい、ということで対談はいかがだったでしょうか。 本当に1時間ノンストップで思考をぐるぐるですね。 本当にバッキバキに喋った、かなり深いところまで話せたんじゃないかなと思います。 いやーでもね、新井さんは理科、僕は体育ですね。 新井さん中学校で僕小学校なんで、講習の違いとか教科の違いはあるんですけど、 今ね、こう抽象化していくとすごい重なる部分もあるし、 いろいろ言語化することで見えてくることもたくさんあったなと思います。 またこういう熱い対談ができるようにしたいなと思います。 ぜひ1時間めっちゃ長かったと思うんですけど、最後まで聞いてくださった方々ありがとうございました。 ぜひまたよろしくお願いします。 Voicyのコメント欄からの質問・感想もまたまたお待ちしています。 また、XOハッシュタグファンキャンタイプ例上で感想をシェアしていただけるととても励みになります。 ぜひリポストといいねポチポチもお願いします。 それではまた次回の放送でお会いしましょう。 パーソナリティーはライザーでした。 バイバイ。 もっと見る #自己調整学習 #自己調整 #自由進度学習 #体育の授業 #FunCan体育 #小学校体育 #FunCan体育Radio #FunCan体育の場づくり #FunCan三本柱 #FunCanサイクル FunCan体育Radio〜日本の体育授業を1歩前に〜らいざ@「楽しい」と「できる」のサイクルを回す体育授業00:401.タイトルコール59:282.本編①「あらいさんと自由進度学習・自己調整学習について話す」00:573.まとめ・エンディングコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#400【夏休み特別企画・体育WGシリーズ⑨】「評価とICTは、どう変わるのか」 15分・9月3日・ 379再生AI目次評価の変化:技能優劣からバランスへICT活用:学習状況と思考を見える化動画で自己調整!学びを深める秘訣AIが引き出す振り返りの質向上とは?「関わり方の評価」未解決の論点
#399【夏休み特別企画・体育WGシリーズ⑧】「先生に『余白』を」 14分・9月2日・ 382再生AI目次「余白」の意味する二つの側面とは個別最適な学びを阻む固定化教師の思い込みを手放す勇気余白が変える授業の中身と時間個別成長を支える「余白」の力
#398【夏休み特別企画・体育WGシリーズ⑦】「12年間を『遊び』でつなぐ」 14分・9月1日・ 417再生AI目次新学習指導要領 運動遊びの意図『やらされ』から『遊び』への転換点当事者意識が引き出す運動への熱意小4までの『楽しい』が未来に効く理由12年間の体育を繋ぐ『遊び』の効用