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悩むと考えるの違いとは?解決に向かう大事な考え方 − ワーママはる

悩むと考えるの違いとは?解決に向かう大事な考え方 − ワーママはる

ワーママはるさんが「悩む」と「考える」の違いを因数分解。自分ではどうすることもできない悩みと、解法のある悩みでは、その向き合い方が異なります。あなたの悩みは、実は考えれば解決することかもしれません。

この記事は、Voicyパーソナリティワーママはるさんの放送をもとに書き起こした記事です。
音声でも聴きたい方は、記事最後の再生プレーヤーからお楽しみください!

「悩む」と「考える」ってどう違うと思いますか?

今日のテーマは「悩む」について取り上げたいと思います。皆さん「悩む」と「考える」ってどう違うと思いますか?

実はVoicyファンフェスタの対談でLILYさんとお話したテーマで、悩みについて取り上げておりました。そこでLILYさんが、「私、考えると悩みについて、悩むことについて調べたんですが、考えると悩むってどう違うのかな」っていうお話をされていて、これはなかなか奥深くていいテーマだなと思ったので、私が個人的にVoicy取り上げたくなり、いま取り上げています。

皆様、いろんなことを日々考えていらっしゃると思います。でも、それがイコール悩んでいるのかというのは、また別の話だと思います。じゃあ考えると、悩むと考えるの違いってなんなのかなっていうのを見てみる。悩みとは、国語辞典上は「精神的に苦痛、もしくは負担を感じること、そうさせるものについて考える」です。つまり悩む=思いわずらうというか、解決策がなかなか浮かばなかったり、もしくは解法があるのかもしれないけど、精神的にそれが苦痛なので、選択ができなかったり、心の中にずっと考えたくなくても湧いてくるようなものが悩みというふうに定義していいのかなと思います。

悩みの90%が人間関係なのは、自分でコントロールできないから

じゃあ、具体的にどういった種類の項目になるのかというと、仕事の悩みだったり、あとプライベートです。家庭だったり、人間関係だったり、さまざまな場面で具体的な悩みが上がってくると思います。よく多くの悩みの90%は人間関係だっていうふうに言われますよね。なぜかというと、やっぱり悩みって、解決できなかった、それで精神的な苦痛を伴ったりするので、ずっとそのことをぐるぐる考えてしまいます。多くの悩み、仕事を含めて解決できるものって結構あります。それがなぜ解決できなかったり、心に残ってしまうのかというと、人が登場するんです。

人間が自分でコントロールできないものの代表的なものが人間関係だと思うのですが、この人間関係、親も、仕事関係も、友人も、子供もですが、すべてコントロールは難しい。解法があっても解決しないことが多いので、悩みというふうに繋がると。

自分が能動的に動いて解決できるものは「悩み」ではない

皆さん悩みありますか?悩みによってこう、毎日が憂鬱になったりとかですね、気分が乗らなくなったり、精神的な悪影響があると、やっぱりそこを解決したくなります。でもうなかなか解決できないから、これが悩みとなるこう行ったり来たりしながらですね。自分の中でずっとモヤモヤしたまま抱えているのが、すごく苦しくなっていくかなと思います。そもそも悩みなんですが、解決策があるもので悩む場合と、もう解決策あるんだけども、その解決法が取れなくて悩む場合と、いろんな種類があると思います。

私は、基本的に解決策があって、自分が能動的に動いて解決するものは悩みというふうにあまり考えないようにしています。「考える」のほうの分類です。なぜなら、自分が考えれば、自分が行動すれば、それが解決してゆくものであれば、そんなに悩みっていうふうに捉えていません。

ですので、Voicyファンフェスタで「はるさんは最近1番何に悩みましたか?」って聞かれたとき、回答ができなかった。一瞬間が空いたんですが、そのときはですね、「ヨガの内装スタジオのトラブルに悩んでいました。」というふうにお答えしました。でも、よくよく考えてみると、解法があるんですよね。要は別の職人さんにやってもらうとか、別のこういう手段を用いるとか、壁紙なんか張り替えたらいいっていう解法があるので、悩みって言うよりも私の中では考えたっていう方が、答えとしては正確かなと思ったので一瞬間が空きました。

この、解決策があるものを悩みと捉えない人と、解決策があっても悩みって捉える方がいると思うんです。それなぜかというと、解決に向かって行動することに対して、すごく億劫に感じたり、めんどくさく感じてしまったり、そこに対する労力とか、精神的な痛みを伴いますので、それらも重いというふうに思う方は、悩みという分類に括られるのかなと思います。でも、行動が早い方とか、いろいろと悩み事を、そうなんだけどどんどん動いていくような方、もしくは悩みが少なそうに見える方は、ここを悩みと定義しないから、精神的苦痛が少ないのかな?なんてことも考えたりします。これはあくまで個人の考えです。

解決策はあるけれど、自分ではどうしようもないものが「悩み」

じゃあ解決法がない悩みについて話していきたいと思うんですが、解決法がない悩みっていうのは、これもまた分解できると思っていまして、やっぱり解法があるけども、自分の力ではどうしようもない悩みだったりします。例えば人間関係はいい例だと思います。職場の上司と合わないと。だったら職場の上司と関わらなければいいって言うのが解法になると思うんですが、でも、そんなこと物理的に無理なので、解決しないで悩んでしまうっていうのが悩みになりますね。

他にも色々あると思うんですが、例えば子供と性格がどうしても合わないとか、子供ということがどうしても受け入れられない。でも、我が子を捨てるわけにはいきませんので、これもうじゃあわが子を捨てるというか、里子に出すか他所にやるとか。ストレスだから離れるという意味で距離をとるのが1番有効なので、解決法として選ぶことはできるけども、人間やっぱり選ぶことができません。子供を捨てるわけにはいかないからですね。

相手は変わらないもの。変えるなら自分

これ、婚姻関係もそうですよね。じゃあ離婚すればいいじゃんっていう単純な問題ではないから、みんな悩むんだと思います。じゃあどうしていくのがいいのかというと、やっぱり人間関係ベースでの悩みが多いので、人間関係ベースで考えていきますが、相手を変えるのが難しいというのは、もういろんなところで言われています。アドラー心理学とかでも。

自分を変えるしかない。相手は絶対変わらないし、過去も絶対変わらないと。わたしも同意です。相手を変えようと思うほど、悩みって深くなっているんです。要は変わらない相手に対してのギャップがどんどん増えていきますので、その変わらないことに対してイライラしてしまったり、精神的苦痛に変わるので、悩みはどんどん増えていきます。

じゃあ、自分が変わればいいんじゃない?ってなると、自分を変えるのを嫌な人は多いですよね。人間ってやっぱり自分を変えるのは嫌です。自分を否定された気になるので、自分を否定したくないですよね。相手も変わらない、自分も変わらないとなると平行線なので、ずっと悩みがそこにある状態になります。

悩みを外に出すことが、悩みを解決に向かわせる

どうしたらいいのかっていう話なんですが、私がよくおすすめしてるのは、やっぱり書く。自分の中からその悩みを外に出してしまうという方法です。自分の頭の中で悩みについてずっと考えていると、そこにばかりスポットライトが当たってしまって、その悩みが本当に自分の人生の中で全体から見たときにそこまで重要な割合なのかとか、その悩みに関して自分の解釈が細かく入りすぎていて果たして本当にそこまで悩む価値のある悩みなのか。こういったことが見えなくなりやすいので、私は書くこと、外に出すことをおすすめしています。

女性の方は、結構されてる方多いイメージがあります。書かなくても、お友達とかに愚痴という形で言われていますよね。女性の悩みは、よくただ聞いてほしいだけなんだ、共感してほしいだけなんだと言われたりしますが、これはまさに自分の中から出してるんですよね。人に言うことによってちょっとスッキリするっていう、客観的に見ることができるようになりますので、別にアドバイスなどを求めていない。出すことが大事なので、お話される方、結構いらっしゃいます。

私、これとてもいいと思っています。愚痴とか悩みを言わない人が、なんかこう性善説的にいい人だみたいに思われやすいんですが、そんなことないんですよね。逆に悩んでることをずっと心の中に溜め込んで、自分の精神を病んでしまうぐらいだったら、私は心許せる友人とか身内に、こういうことが辛いんだ、悩んでるんだとか、色々出してみるって言うのはいいと思っています。

この書くでもいいですし、人に言うでもいいですが。悩みは、出していくと結果的に客観的に見れるようになりますので、全体の割合で見ると、私の人生の中で意外と小さい話なのかもしれないなと気づいたり、もしくは解決策が無いと思っていたけれども、これ解決策を求めるほどの悩みでもないのかもしれないな。もしくは解決策が別の形で見つかるかもしれないんです。

「悩む」を「考える」に変える

例えば、先ほどの上司とどうしても合わないだったら、上司が後1年以内に部署異動するような会社の仕組みだったら1年我慢できるかどうかっていうのを自分に問うてみる。もしくは自分が、上司が嫌だと思ってたけど、本当は会社全体が嫌で、その上司がすごく嫌に見えているのかもしれないと気づいて転職してみる。なんかこう行動につながる解法が見つかったりするので、悩みを出してみることはすごい大事だと思います。

出していくのがどんどん癖づいていくとどうなるかというと、先程もお話ししたように、悩みが考えるに変わっていくんですよね。要は解法があるので「考える」。私が内装業者さんとのトラブルで悩んでいたときも、悩むっていうよりも考えるに近かったと思います。なぜなら、解法を求めて動いていくだけなので、あとは考えるだけなんですよね。

こういうふうにどんどん外に出していく癖がついていると、これは悩みとして受け取らずに、自分の思考が「あ、これは今考えてるんだな。」「精神的な苦痛ではなくて、どんな解決策がいいかって考えてるんだな。」というふうに感じ方が変わっていくように思いますので。「悩み」と「考える」どう違うのかなというのを考えてみると、悩みはやっぱり精神的苦痛を伴って解法がないような気がしてしまうが、外に出すことを習慣づけている人は悩みではなく考えるになっていて「あんまり悩んだことないんだよね。」という状態になるのかなと思いました。

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